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3.ローズティー

「ラムセス先生、授業について相談したいことがあるのです」
 数学教師の主任である山嵐ユーリが目の前に立っていた。
銀縁の眼鏡がキラリと光っていた。
 新米の俺にこれからの授業方針について相談があるというのだ。
職員室も難だから、外へ出てお茶でも飲みながら相談しないかという。
教師なんてはじめての職であったし、少々の不安もあったので
黙って山嵐のあとについてゆくことにした。
「私が誘ったんだから今日は私がおごるわ。あなたはまだお給料もらってないしね」
 学校のはす向かいにある『喫茶ねね』という店に入り、ローズティーを2つ頼んだ。
『喫茶ねね』いい響きだ。もちろんエジプトに残してきた下女のねねがいるわけなかったが、
ねねという名前には親しみがある。それにローズティーまであるとは
ヒッタイトもまんざら捨てたものじゃないと思った。
俺は遠慮なく山嵐におごられた。たかが15円だ。給金をもらったら
ローズティーにでっかい薔薇の花をうかべておごり返してやると思う。
 簡単な授業の説明をユーリから聞いた。この学校のレベルはあんまり高くないから
基礎からじっくりやるように言われた。俺はピラミッド建設を誇るエジプト出身だ。
円周率も三平方の定理もばっちりだ。と、言い返したやった。
山嵐はつまらなそうに瞼を伏せ「そうですか」とうつむいた。難しそうな顔をしている。
俺は山嵐ユーリの機嫌を損ねたと思ったが、黒曜石の瞳が再び俺に向いた。
「先生はどちらに泊まってらっしゃるの? もう住むところは決まったの?」
 桜色の唇からソプラノ声が流れた。
「決まってない。駅近くの旅館から通っている」と短く答えた。
「いい下宿があるのよ。紹介してあげるわ。いつまでもあんな割高な旅館に
いたんじゃ給料すべて宿代に消えちゃうわ」
 来たばかりでまだ勝手の分からない田舎だから、そのまま俺は山嵐ユーリのあとに
ついてゆくことにした。町外れの丘の中腹にある閑静な家に案内された。
「私の知り合いでちょうど下宿人を探していたところなのよ。
家賃も8シュケル。安くていいでしょ。くれぐれもご主人とおかみさんに
失礼のないようにね」
 ユーリはそう言って俺を下宿に押し込んだ。部屋は8畳ほど、メシもつく。
環境も駅前の旅館よりずっといい。俺は素直に紹介された下宿に住むことにした。
 銀縁めがねをかけたチンチクリンの生真面目女だと思ったが、
結構いい奴かもしれない。生徒に信頼があるというのも分かる気がしてきた。
 さっそく移った下宿で荷物を片付けた。落ち着いてからエジプトのねねに手紙を書いた。
俺は文章がまずい上に字がきたないから、手紙を書くのは嫌いだった。
でもねねは心配しているだろう。仕方ないから俺はペンをとった。
 奮発して長いのを書いてやった。その文句はこうだ。

『昨日ヒッタイトについた。つまらんところだ。ゆうべはなかなか寝付けなかった。
夢の中にねねが出てきた。八つ橋をむしゃむしゃ食べていた。虫歯になるぞねね。
今日は学校へ行ってみんなにあだ名をつけてやった。校長は狸ホレムヘブ、
教頭は赤シャツカイル、英語教師はうらなりキックリ、数学教師は山嵐ユーリ。
いまに色々なことをかいてやる。さようなら』

 きっとねねは喜ぶだろう。手紙を書いたらなんだか眠くなってしまった。
明日から授業だ。早めに蒲団に入ることにした。



4.薔薇蕎麦先生

 いよいよ学校へ出た。はじめて教壇の上に昇ったときは変な気持ちがした。
生徒が大きな声で『先生』と呼ぶ。先生と呼ぶのと呼ばれるのは雲泥の差だ。
なんだか足の裏に蟻が2匹這っているようなむずむずした感じがした。
俺は卑怯な人間でも臆病な男でもなかったが、こういうときの胆力が少々欠けていると感じた。
最初の一時間目はなんだかいいかげんにやってしまった。
たいした質問も投げかけられることなく無事に終わった。
俺なんかでも先生が勤まるのかと思った。
 職員室に帰ると山嵐ユーリが「どうだったか?」と聞いた。俺は短く「うん」
と答えた。山嵐は安心したようににっこりと笑っていた。
 二時間目に白墨を持って教室に向かうときには、なんだか敵地に乗り込むような
心持ちがした。ヒッタイトはエジプトの敵地なのだからいいのかもしれないが、
今はちょっと違う状況だ、俺は雇われた数学教師なのだ。
 教壇へ昇ると前の組より個性の強そうな奴がたくさんいた。
額に三つ編みのバンダナを巻いている生徒。シャギーの入った黒髪に
切なそうな瞳をしている生徒、中学生なのにスキンヘッドの筋肉質の生徒。
名前は順番にカッシュ、ルサファ、ミッタンナムワといった。
他にも見た目は三つ編み中国人だが生真面目そうなイル=バーニという生徒、
女子の中にはクルクル天然パーマの双子もいた。一人俺好みのウルスラと
いうナイスバディな顔立ちの整った女生徒もいた。
この教室はわいわいがやがやとうるさい。俺は構わず授業を進めたが、
途中で「先生の話は早すぎてわからんがな」ととスキンヘッド生徒、ミッタンナムワが言った。
「わからないならわかるようにじっくりと聞くがいい」と言い返してやったら
少々のざわめきの後、静かになった。
 この調子で二時間目もなんとか乗り越えた。ただ帰りがけにイル=バーニと
いう真面目にクソがつきそうな生徒が
「先生、この幾何の問題を解釈してください」
 と問題を持って迫ってきた。なんじゃこりゃ? こんな複雑な問題を中学生が解くのか?
俺は冷汗を流した。
「なんだかわからない。この次教えてやるから待て」
 と言い残し引き上げたら、生徒が『わあ!』とはやし立てた。
その中に「できんできん」という声も聞こえた。
べらぼうめ!先生だって、できないものはできないのだ。できない事をできないと
正直に言って何が悪い。そんなものができるくらいなら、月給40シュケルでこんな
田舎に来るものか! と腹を立てながら職員室に戻った。
 今度はどうでしたか?と山嵐ユーリはまた聞いた。「うん」と言ったが、うんだけでは
すまなかったので「ここの生徒はわからずやが多いな」と言ってやった。
 山嵐ユーリは妙な顔をしていた。

 1週間もすると授業にも慣れた。ときどき生徒がからかい半分に質問を
することもあったが、なんとかかわせるようになってきた。
 余裕が出てきたので、田舎だか町を探索してみることにした。商店街に行くと
食い物やがいろいろと並んでいた。その中に「エジプト蕎麦屋」という看板を見つけた。
俺は蕎麦が大好きである。それもエジプトという固有名詞もついている。
俺は迷わず蕎麦屋の暖簾をくぐった。
 中へ入ると「エジプト」という看板が泣くと思った。エジプトを知らないのか、
金がないのか、めっぽう汚い。床も壁も黒ずみザラザラであった。天井も低く
思わず首をすぼめたくなるほどであった。入ってしまったものは仕方がないから、
俺は何か頼むことにした。メニューにエジプト名産の「薔薇蕎麦」というものが
あった。俺は迷わず薔薇蕎麦を頼んだ。すると隅に三人固まってツルツルと蕎麦を
すすっていた連中が目に入った。顔を確認するとカッシュ、ルサファ、ミッタンナムワの
3生徒であった。先方で挨拶をしてきたから、俺も返した。
 薔薇蕎麦がきたので俺は1杯ペロリとたいらげた。久しぶりの蕎麦の味。
うまかったので薔薇蕎麦を4杯たいらげた。
 翌日、何の気もなく教室へ入ると、黒板いっぱいくらいの大きな字で
『薔薇蕎麦先生』と書いてあった。俺の顔を見てみんな「わあ」と笑った。
ばかばかしくなったから「蕎麦を食って悪いか?」と聞いてやった。
すると生徒の一人カッシュが「悪くはないが4杯はすぎるぞな」とクスクス笑いながら
言った。「何杯食おうが俺の銭で食うんだ。文句はあるまい」と、
さっさと講義を済ませ職員室に帰った。
 次の授業へ出ると『一つ薔薇蕎麦4杯なり。ただし笑うべからず』と黒板に書いてあった。
さっきは別に腹も立たなかったが、今度は癪に障った。冗談も度をこせば
いたずらだ。いたずらも度を越せばイジメに発展する。
俺は黙って薔薇蕎麦を消して「こんないたずらが面白いか?卑怯な冗談だ」と
言ってやった。生徒の一人が「自分のしたことを笑われて怒るほうが卑怯ですよ、先生」
とクソ真面目チャイナ人イル=バーニが冷ややかに言った。やな奴だ。
ヒッタイトなんて田舎で狭い都だから、ちょっとした出来事も
大袈裟にしてしまうのだ。薔薇蕎麦事件をカデシュの戦いのように騒ぎ立てるのであろう。
憐れな奴らだ。わざわざエジプトからこんな奴らを教えにきたかと思うと情けなくなった。
 それから次の教室にも『薔薇蕎麦先生、怒る怒る』と書いてあった。
どうにも始末に終えない。腹が立ったから、そんな生意気な奴は教えないと
教室を後にした。生徒は授業が潰れて喜んだそうだ。
 薔薇蕎麦も家へ帰って一晩寝たら、そんなに腹も立たなくなった。
数日経つと薔薇蕎麦事件も下火になり、何も言われることも書かれることもなくなった。
 それから1週間後、町を散歩していると、今度は団子屋を見つけた。
大変うまいと評判の団子屋があると聞いていて、たまには甘いものでも
食ってやろうと思って俺は団子屋に入った。今度は生徒はいない。
店を見回してから俺は団子を注文した。ことわざに『薔薇より団子』とあるように、
たいそううまい団子であった。
 次の日、学校へ行って一時間目の教室に入ってみると、黒板に『団子二皿1シュケル』と
書いてあった。確かに俺は団子を二皿食べ1シュケル払った。どうもやっかいな奴らだ。
二時間目も何かあるだろうと思って気構えて教室に入ると、やはり
『薔薇より団子、うまいうまい』と書いてあった。俺はめっぽう呆れた。
本当に狭い都だ。うんざりしたが団子だけでは終わらなかった。団子事件が一段楽すると、
今度は『薔薇手ぬぐい』というのが評判になった。なんのことやらと思うかもしれないが、
俺はここへ来てから毎日温泉に行くことに決めていた。他の所は何を見てもエジプトの
足元にも及ばないが、さすがはヒッタイト、大陸地。温泉だけは立派なものだった。
運動がてら俺は毎日歩いて15分ほどの温泉に通った。行くときには必ず
エジプトから持ってきた薔薇手ぬぐいを腰からぶら下げて行った。ヒッタイトの
田舎者にとっては、この手ぬぐいが珍しいらしく、俺のことを薔薇てぬぐい薔薇てぬぐいと呼んだ。
 どうも狭い土地に住んでいるとやたらうるさい。なんで俺はこんな鼻の先が
使えるような場所に来てしまったのかと思うと情けなくなってきた。
できることならすぐにエジプトに帰りたい。ねねに会いたい。これがホームシックと
いうものなのだろうか? いや違うであろう。ねねに会いたいというのはホームシックの
分類に入るかもしれないが、まるで俺の行動をいちいち監視されているようで嫌だ。
まっぴらごめんだったが、来て一ヶ月で帰るわけにも行かず、
しばらくはこの土地で耐えなければならなかった。


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