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5宿直

 学校には宿直があって、職員が代わる代わるこれを勤める。ただし校長のホレムヘブと
教頭のカイルは別で宿直はしないそうだ。月給の少ない者がたくさん働いて、多い者が
宿直も免除される。こんな不公平があるものか! と、俺は不平を口にした。
山嵐ユーリが一人で愚痴をいっても制度なんてかわりはしないから、むやみに不平を
言うのもではないと眼鏡を光らせた。
 宿直部屋は校舎の裏手にある寄宿舎の1階だった。2階には部活の合宿の連中が泊まっている。
今夜いる生徒は誰かと調べたら、運が悪い。俺が受け持っているクラスの中で
一番うるさい生徒たちだった。カッシュ、ルサファ、ミッタンナムワの3隊長と
ガリ勉イル=バーニだった。奴らをはじめ20人ほどの生徒と同じ屋根の下に泊まることに
なるのだ。
 生徒も教師も帰ってしまうと学校とは静かなものだった。まだ5時だが、晩飯も
食ってしまった。やることも何もない。
 しばらくすると、ちょっと温泉に行きたいと思った。
宿直が学校を空けるのはいけないことと分かっていたが、どうしても行きたくなってしまったのだ。
なぁに、ほんの1時間くらいさ。温泉にぱぱっと入って、すぐに帰ってくれば
大丈夫だろう。
 いつも持って行く薔薇手ぬぐいは家に置いて来たから、仕方がないので先方で
かりることにした。
 駅に行って汽車を待っていると、先方から校長のホレムヘブの狸がきた。
すれ違いざまに俺は狸に挨拶すると、「あなたは今日宿直ではありませんでしたかね?」と、
真面目くさって言った。なにがありませんでしたかね?だ。偉そうに。
お前が決めた宿直だろうが! なんてわざとらしい奴なんだ。校長ともなると嫌に
曲がりくねった言葉を使うようになるものだ。
 俺は腹が立ったから、
「ええ、宿直です。宿直なので温泉に行ったら、学校に泊まります」
 と、言い捨ててすまして歩き出した。
 もうしばらく汽車を待っていると、今度は前方から山嵐ユーリがきた。
どうしてこの町はこうも狭いんだ。出て歩きさえすれば必ず誰かに会う。
「ちょっと、ラムセス先生。あなたは今日、宿直じゃないの!」
 黒い瞳を大きく見開いて驚くようにいった。
「うん、宿直だ」
「宿直がむやみに出歩くんじゃないわよ。ホレムヘブ校長やカイル教頭に見つかったら
めんどうよ」
「校長ならさっき会ったよ」
 サラリと答えた俺に山嵐ユーリは呆然としていた。
「とにかくだめよ。帰りなさい!」
 ユーリはその場で金きり声をあげた。女の癇癪はなんともいやなものだ。
俺は仕方がないので温泉は諦めて学校に帰ることにした。
 学校に戻ると、それからすぐに日は暮れた。
 何もすることもなく、眠くもないけど蒲団に入ることにした。
そろりと蒲団に入ればよかったのだが、まだ眠くなく元気もいっぱいだったので、
俺は蒲団を後ろに思いっきり倒れた。ふかふかの蒲団の感触が背中に来ると
思っていたが、そうではなかった。何かがべちゃっとつぶれた音がしたのだ。
背中でも、腕でも足でも頭でも。
 ――何だ?
 俺は飛び起きて電気をつけた。蒲団をまくると中には無数のバッタがピョンピョンと
跳ねていたのだ。少なくとも50匹はいるように思える。その中には数匹潰れたものもいる。
 バッタのくせいに人を驚かせやがって! 俺は腹がたって枕を投げつけたが、
相手が小さく数も多いので、枕ごときでは間に合わない。仕方がないのでホウキを
持ってきて外に掃きだした。バッタは跳ねることが仕事なので、俺の体にぴょんぴょん
まとわりついてきた。数も多いので部屋中がバッタだらけになってしまった。
ホウキではたいたり、枕をぶつけたりしたが、このバッタたちを部屋から処理するのに
30分以上もかかってしまった。なんともいまいましいバッタだ。そう思ったが、
バッタが悪いわけではない。蒲団の下に50匹以上ものバッタがいるなんて
いくら温暖化が進み、環境破壊が問題になっているとしてもそんなバカなことがあるわけない!
誰かが故意に……合宿の生徒たちが故意に仕組んだことに違いない。
 俺は2階に行って生徒たちをたたき起こした。

「どうしてバッタなんて俺の蒲団に入れたんだ!」
 カッシュ、ルサファ、ミッタンナムワ、イル=バーニを前に俺は怒鳴り声をあげた。
「バッタってなんぞな?」
 ハゲ頭のミッタンナムワがとぼけた表情で言った。
「中学生にもなってバッタも知らんのか。これだ!」
 先ほどのバッタを1匹生徒の前へ投げつけた。
「先生、これはイナゴですよ。バッタとは違います」
 堅物のイル=バーニが落ち着いた声で言った。
「べらぼうめ、バッタもイナゴも同じだ。問題は何故俺の蒲団の中にバッタなんか
入れやがったんだ!」
「誰も入れませんよ、先生」
「入れないでどうして入ってくるんだ!」
「おおかたイナゴが勝手にお入りになったんでしょう」
「50匹も60匹も勝手にお入りになるかっ。さあ、なんでこんないたずらをしたのか
白状しろ!」
「なんの……覚えもないので白状できませ〜ん!」
 4人は声を揃えていった。
 まったくヒッタイトにはろくな奴がいない。俺だって中学のころはいたずらなんぞ
いくらかはやったものだった。だが、誰がやったと咎められたときは、素直に認めたものだ。
卑怯な夏らだ。こんな奴らと話をするのも胸糞が悪いから、俺は4人に部屋に帰れといった。
これ以上談判しても時間の無駄であると思ったのだ。
 バッタをよけた蒲団にはいって、故郷エジプトのねねのことを思った。
ねねは教養はないし、不器量だし、足も太いし、ヲタクだけど、人間としてはすこぶる
いい奴だと思った。あんな素直な婆さんはそうそういないであろう。
パロ書きだって、HP更新だって、これといって人に迷惑をかけているわけではない。
ヲタクな婆さんだと馬鹿にしていたが、そうではない。こうして一人遠国に来てみると、
ねねのありがたさが身にしみてわかった。京都の八つ橋が食べたいのなら、
エジプトから飛行機で20時間かけても、買いに行ってやるべきだった。
食わせるだけの価値は十分ある。中性脂肪にさえ気をつければ……。
なんだか無性にねねに会いたくなってきた。
 そう感傷にひたっていると、2階からドーンというすさまじい音が聞こえてきた。
数にすれば2、30人がドーンドーンと拍子を取って床板を踏み鳴らす音がしたのである。
 俺はビックリして飛び起きた。さては、先ほどの仕返しに暴れているのだと思った。
 案の定、奴らは拍子を取ってどんどんと飛び跳ねていた。俺が2階に上がってきている
ということも知らないで……。
「てめーら何してやがるっ!」
 俺の声に生徒は一同振りかえった。
「根性叩きなおしてやる。みんな今ここで正座しろっ!」
「先生、うるさいですよ。もう夜の10時です。生徒は寝る時間なんです。
明日の授業に響くではありませんか」
 そういったのはガリ勉イル=バーニであった。
「授業もクソもあるかっ!」
「先生はよくとも、私たちは困るんです。明日の楔形文字の書道の授業があります。
よい書をたしなむためには気を落ち着けなければなりません。
先生も書をたしなんではどうですか?数学教師とはいえ、黒板にお書きになる
楔形文字の誤字脱字がひどいですよ」
「うるせいやい! 俺の国では楔形文字なんてダサイ文字は使ってないんだ。
象形文字。ヒエログリフ以外まともに書けるか!」
 すっかり堪忍袋の緒が切れて、生徒と同等の喧嘩をはじめてしまった。
夜の学校があまりに騒がしいので近隣の民家から苦情が出て、しまいには校長の
ホレムヘブがかけつけた。ホレムヘブは俺の説明を聞いた。生徒のいいわけも
ちょっと聞いた。処分は後日するから、明日からいつもどおり授業に
出るように言った。
 まったく、本当にとんでもないところにきちまったものだ。
これだけの労働と気苦労は、月給40シュケルに到底あわないと思った。


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