第4章 〜天の河〜

 亡き藤壷の宮が忘れられないカイルの元に 結婚の話が飛び込んできた。
朱雀帝ジュダの皇女、女三の宮アレキサンドラとの結婚である。浮いた噂は多くあるけれども 亡くなった葵上アッダ・シャルラト以来、正妻を持っていないカイルであった。
紫上は 生母の身分が低いため カイルの正室にはなれない身であった。
女三の宮の母は 早くに亡くなり、朱雀帝ジュダも出家を決めているという。
心残りは まだ夫を持たない女三の宮のことだけであった。
もう、40近くになるカイル、若い姫との結婚なんて断った。紫上ユーリを一番に想っている。また、自分を信じ切っているユーリを もうカイルはこれ以上悲しませたくなかった。
丁重に朱雀帝ジュダに 断りをしたカイルであった。が、ジュダに泣きつかれてしまった。
「お願いします。カイル源氏。娘を 女三の宮アレキサンドラを貰ってやってください。妻としてでなくてもいい。幼い姫を娘としてでもよいから 
カイル源氏の手で育ててやってください。」
娘を心配するジュダは 泣きながらカイルに言った。
 カイルは困惑した。女三の宮アレキサンドラは、まだ若き10代の姫。自分には不釣合いだ。しかし、ここまで言われては・・・。そういえば女三の宮の母は藤壺の宮の妹だ。女三の宮は、藤壺の姪にあたる。
藤壺の縁の姫。藤壺の・・・。もう一度藤壺の宮を 我が手に・・・・・。
「はい、朱雀帝様。わたくしで良ければ・・・。」
カイルは無意識のうちに そう、朱雀帝ジュダに告げていた。

(なんということであろう。私も もう40。長年連れ添ってきた紫上ユーリを
またこんな所で裏切ることになるなんて・・・。)
カイルは後悔を重ねたが 後の祭であった。

 結婚に良き日が占われ、カイルと女三の宮は結婚した。
藤壺の宮の縁の姫ということであったが 藤壺の宮の面影は何処にも見当たらなかった。容姿も雰囲気も似ていない。文を書かせても 風情や趣きもない。ただ大人しく、幼いだけの姫であり、まだ、女としての自覚もない、人としての自我すら芽生えていないような姫であった。
 後々であったが、ユーリもこの女三の宮に会った。ユーリの印象もやはり
カイルと同じようであった。
「カイルは私を気遣って、一緒にいる時は今まで以上にやさしくしてくれる。
私だって 女三の宮アレキサンドラ姫との結婚は認めている。
でも、どうして?カイルが昇進したときには一緒に喜び、明石に下った時には共に辛い思いを 分かち合った。長い年月を 共に歩んできたのに 一夜にしてあのような幼い姫に 妻の座を奪われてしまった。ただ、カイルに似合う身分がなかったというだけで・・・。私の築き上げてきた 数十年は右も左もわからない世間知らずの姫に 崩されてしまったのだ。
 こんな時代に生まれなければ良かった。四民平等が唱えられ、一夫一妻制である国に生まれれば良かった。」
カイルの前では 平静を装っていたユーリであったが、心の中は嫉妬でグチャグチャだった。

 女三の宮の結婚を 喜ばない者がもう一人いた。
かつてから 想いを寄せていた柏木の中将、氷室であった。柏木は薔薇直衣ラムセスの息子である。薔薇直衣ラムセスとは違い、時代離れした大人しい青年であった。
柏木の中将氷室は 女三の宮がカイルのものとなってやり切れない思いを抱いていた。身分、容姿からしても カイルには到底かなわない。
しかし、かなわぬ恋こそ 人を大胆な行動に走らせる。氷室は一目、女三の宮アレキサンドラを見るだけと言う約束で アレキサンドラ付きの女官に手引きをしてもらい カイルがいない夜 女三の宮の寝所に侵入した。一言、二言、言葉を交わすだけで十分だと思っていた氷室であったが 生身の女三の宮アレキサンドラを 目の前にして
我慢できなくなってしまった。いやがる女三の宮と無理矢理契ってしまった。

 この一夜がきっかけで アレキサンドラは妊娠してしまった。勿論、世間ではカイルとアレキサンドラの子だと思われていた。カイルもまさか、あの幼い姫に通う男がいるとも思って見なかったので自分の子だと 少々の不思議はあったが信じていた。
だが、アレキサンドラの様子がどうもおかしい。以前より 話さなくなったし
誰かと文のやりとりをしているようだ。そう、カイルは疑問を持つようになった。

 ある日カイルはアレキサンドラが隠したと思われる文を見つけた。なんと、
自分でも不思議と思っていたアレキサンドラの懐妊がこんな結果だったとは、柏木の中将、氷室が アレキサンドラのお腹の中の父親とは・・・。

 カイルは思っても見なかった。
昔、自分が犯した罪を今度は 自身に被ってしまった。今、私はあの時の父シュッピルリウマと同じ立場にいる。だが、父は知らずに世を去った。いや、知らずに去ったと思いたい。
こんな苦しい思いは 罪を犯した自分だけで十分だ。
「ああ、父上。どうかお許し下さい。」
カイルは 涙ながらに天に向かってそう叫んだ。

 真実がわかってしまったカイル。頭では 過去に行った罪が今帰ってきたことだと分かっている。
しかし、感情がついていかない。やはり、女三の宮アレキサンドラと柏木の中将氷室が許せなかった。カイルはネチネチと 周りに分からないように 二人を追い詰めていた。
もとから気が弱く、少し頼りない所のある氷室は心労のあまり 床に伏せってしまった。そして遂には、アレキサンドラが子を産む直前に 氷室は この世を去ってしまった。
.....一度も我が子を抱くこともなく・・・・・。
また、子を出産してから アレキサンドラも 世をはかなみ 幼い我が子を残して出家してしまった。カイルと一緒に子を育ててゆく勇気がなかったのだろう。
カイルは今後、父を欺き、藤壺の宮を苦しめた報いに 一生 他人の子を
我が子として抱かなければならない。
自分は柏木氷室を追い詰め、死に追い遣り、女三の宮アレキサンドラを尼にしたのだ。
そんなカイルに 天から罰が下ったのだろうか?最愛の妻 紫上ユーリがこの世を去った。


 紫上ユーリが亡くなってから、幾度目かの春が巡ってきた。
ユーリが亡くなってから 光の君と呼ばれるような 輝きは もはやカイルにはなかった。
カイルはフラフラと心地よい風の吹く、夜桜の舞う庭の方へでた。
「私は一人残されたのだ。皆 私を残して逝ってしまった。
私が出会った女性たちは 皆、なんとすばらしい方たちだったのだろう。
 葵上アッダ・シャルラトは、歳の割には大人びた立派な女性であった。互いに若くもあり意地を張り合い、分かり合えないうちに亡くしてしまった。
 六条御息所セルト。年上で大変教養もあり賢い女性だった。生霊となってまで他の女性を苦しめたが 私を思ってのことだった。なんと憐れなことを私はしたのだろう。
 藤壺の宮イシュタル。母であり、姉であり、初恋の相手であった。私は結局、生涯この方を追うこととなってしまった。
 明石の君ギュゼル。我が子を手放し、自分は日陰に徹した奥ゆかしき女性。なんと 謙虚ですばらしい女性だったのだろう。
 女三の宮アレキサンドラ、結局、自分が不幸にしてしまった姫。私がアレキサンドラとの結婚を断ればこうは ならなかった。すべて私が悪かったのだ。
 そして、忘れてはならない。紫上ユーリ。我が軌跡を共に歩んできた姫。
楽しい時は一緒に笑い。悲しい時は涙を共にした。時代(とき)を超えても共に過ごそうと誓い合った姫・・・。
カイルは初めて ユーリを垣間見た 北山の山荘でのことを思い出した。
『雀の子を犬君が逃がしてしまったの。籠の中に入れてあったのに。』
泣きじゃくる幼きユーリの姿が昨日のことのように カイルの目に浮かんだ。

「私が愛した女性達は 天に昇ってしまった。宵の明星イシュタルを始め
天に輝く星として 私を残し昇って逝ってしまったのだ。」
天には 満天の星が輝いていた、まるでカイルを見つめているように・・・。
天に翔ける河、天の河(あまのがわ)は 涙を浮かべるカイルをいつまでも見守っていた。

                         【完】

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