***闇のオッド・アイ***

第1章 第2章 第3章 第4章 第5章


第1章

 薔薇川薔薇男(ばらかわばらお)、27歳、独身。彼女いない暦22年。
初恋、5歳のとき、はす向かいのあかねちゃん。
趣味は音楽鑑賞に、少々のパチンコと競馬。小、中、高、大と右へならえをするように、
なんとなく行き、なんとなく過ごした学生時代。白い糊のきいたワイシャツにネクタイを締めて、
スーツ姿で毎朝出勤。満員電車に揺られ会社に着いた頃には、もうクタクタ。
きちんと締めたネクタイもくにゃりと曲がっている。
 朝がきて、仕事に行って、あまりおいしくない社員食堂でお昼を食べて、また仕事して、
残業がなければ、そのまま家に帰る……。変化のない、毎日を過ごしていた薔薇川薔薇男。
 そんな薔薇男に、ある小さな小さな変化が生まれた。毎月、5日と20日が待ち遠しくてならなくなったのだ。
5日と20日と言えば…。そうである。少女コミックの発売日である。
 薔薇男の妹、百合子が読んでいた「天は赤い河のほとり」。20過ぎてもまだ漫画なんか読んでいやがると
バカにしていたが、百合子のいない所で何気なく1巻を手にとると……。
―――これは面白い!
 夢中になって、今出ている20巻まで一気に読んでしまった。
 カイルとユーリの作る理想の国。それを阻む、ラムセスやナキア。ヒーロー、ヒロインだけでなく、
それをとりまく脇役達も良い味を出している。テンポよく進むストーリーに目が離せない!
 薔薇男は、百合子の買っている少コミもこっそり読むようになった。
 天河と出会って以来、薔薇男はすっかり2週間サイクルの男になってしまった。
発売日まで、指折りわくわくしながら待つようになったのだ。
 今日は少コミの発売日。自分と同じくどっぷり天河にハマッている妹、百合子に感謝すべきだ。
いつも仕事が終わっても、寄り道をしてくる百合子だが、少コミの発売日となると、
本屋さんに直行し、そのまま素直に家へ帰ってくる。
 百合子がお風呂に入るとき、―――それが薔薇男の少コミを読むチャンスだった。
百合子は、風呂に入ると、最低1時間は出てこない。薔薇男はこっそり、家族に見つからないように百合子の
部屋に忍び込み、天河をウキウキしながら読んでいた。
 百合子がお風呂に入っているスキに、いつものようにこっそり忍びこむ。
電気をつけ、パラパラと天河ページを探す。真剣に続きを読む薔薇男。
 ―――と、そのとき、部屋の蛍光灯がバチッという音を立てて、辺りが真っ暗になった。
「停電か?! くそっ! これじゃ読めない!」
 薔薇男は悔しそうな顔をした。するとキラッと一瞬、右前方で何か小さなものが目の前で光った。
光った場所に手をやると、平たい物がが手にあたった。鏡のようだ。薔薇男は、鏡を自分の顔の前まで
持ってきた。
 ―――すると!
 暗闇のはずなのに、ぼんやりと薔薇男の顔が浮かび上がった! 薔薇男の目から光りが発せられており、
鏡に自分自身の顔を映し出している! 
 右目がセピア色、左目が金色に交互にピカピカ輝いており、光を発していたのだ!
「な、なんだ! これは! どうしたんだ!」
 薔薇男は驚いた。驚きに浸るのも束の間。突然突風!
薔薇男の周りを風が取り囲んだ。バサバサと少コミも言っている。
 ―――次の瞬間、薔薇男はなんと少コミの中に……、天河の古代アナトリアの世界に引き込まれてしまったのだ。


第2章

 
「ん?……一体どうしたんだ? 何が起こったんだ?」
 薔薇男は、少コミに引き込まれたときのショックで、強く頭や体を打っていた。
 ぎしぎし言う体をようやく起こして、薔薇男は辺りを見まわした。
 目の前に広がる黄金の大地。それは砂漠だった。
 黄金の砂が、どこまでも、どこまでも、限りなく続いている。地平線をなぞる輪郭までもが、
黄金の砂で覆われていた。所々で、砂煙が舞っている。
「な、なんだここは……」
 薔薇男は呆然とした。
(百合子の部屋で少コミを読んでいたはずなのに、なんでこんな所に…。この砂漠は何なんだ!)
 薔薇男は、呆然としながらも砂漠を1週見まわした。
 すると……、
 砂漠の中に紅1点。黄金の砂の中に赤い塊が、少し離れた場所にあるのを見つけた。
 とりあえず、赤い塊を目指して、歩き出した。近づいて行くと、いい香りがした。何かの花の匂いだろう。
(この匂いは……、百合子がつけている香水と似ているな。確かこの香水はローズだったような…)
 近づいて行くと赤い塊は薔薇の花であることが分かった。巨大な薔薇園が砂漠の中にあったのだ。
薔薇男は、一種のオアシスだと思い薔薇園の中に入っていった。
 カラカラ乾燥した砂漠とは大違い! みずみずしい薔薇の花が競わんばかりに咲き乱れていた。
「すごいな…、この薔薇園……。オアシスにしては設備が整いすぎているな…。
誰かが故意に作った物としか思えないなぁ……」
 薔薇男は、ぼんやりと薔薇の花を見ながら考えていた。
 すると―――
 グイッと後ろから腕を引っ張られた。
「兄さま! やっぱりここにいると思った!」
 後ろには、浅黒のスタイルのいい、金髪の女が立っていた。
「あ、あなたは……、もしやネフェルトさん!」
 薔薇男の腕を引っ張ったのは、エジプト将軍ラムセスの妹、ネフェルトだった。
「何言ってるの? もうすぐヒッタイトとの会戦に出かけなくっちゃいけないんじゃないの?
薔薇の世話もいいけど、早く仕度しなくちゃだめよ! 兄さまがいなくちゃ軍はまとまらないんだから!」
 ネフェルトは強引に、薔薇男の腕をグイグイ引っ張って連れ出した。
「会戦…って、人違いです。ネフェルトさん。僕は天河の一読者であって、ただのサラリーマンです」
 ネフェルトは睨み据えるような目つきで薔薇男を見た。
「バカとバラも休み休み言ってよね! あなたが兄さまじゃなければ、誰が兄さまなの!?」
 薔薇男は、自分の手を見て、体を見て、顔を触った。
 肌は浅黒くないし、目も鼻も口も自分のものだ。近くに薔薇の花用の水がめがあったので、
自分の姿を映してみた。
 どう見ても、冴えない薔薇川薔薇男、本人だった。だが、違うところがひとつ……。
 それは、瞳がオッド・アイだったことだ。右目がセピアで左目が金色。
ラムセスのトレードマークであるオッドアイが、薔薇男の瞳の中でキラキラ輝いていたのである。
 薔薇男は天河ワールドに入り込んでしまったのである。

「お帰りなさいませ、将軍。もう、軍の準備は出来ています。早く出兵のご準備を」
 ラムセスの第一の部下であるワセトが言った。
 ワセトから見ても、他の兵士から見ても、薔薇男の姿はラムセス本人にしか見えないようである。
「軍の準備と言っても……。僕はそんな……」
 ウジウジする薔薇男はそっちのけで、ヒッタイトとの会戦へ旅立たなければならなかった。
 2頭引きの戦車に引かれて、ヒッタイトとの戦場にまで来た。エジプト兵とヒッタイト兵が
武器を持って戦っている。薔薇男は怖くてならなかった。戦争なんて、ユーリと同じように、
教科書の中でしか知らない。いくら周りからはラムセスに見えると言っても、怖くて溜まらなかった。
目の前で人が刺されるのを見るたび、震え上がって何もできなかった。
「ラムセス将軍! このままでは我が軍は全滅してしまいます。何か指揮を!」
 ワセトが薔薇男に向かって、必死で叫んでいる。だが、薔薇男にはどうすることもできなかった。
 突然……
 ―――ガツンッ!
 薔薇男の背後から、襲い掛かって来た者がいた。薔薇男は頭を殴られ、その場で気絶してしまった。
「ラムセス将軍!」
 ワセトが小さく叫ぶ声を、遠くに聞きながら、薔薇男の意識は薄れて行った。

(いててててて、一体何なんだ? 今度はどうしたんだ?)
 薔薇男は、うっすら目を開けた。まだぼんやりした意識の中で、誰かが側で話をしているのが聞こえた。
「まったく! ミッタンナムワってば、ラムセスを後ろからゲンコツで殴ることないのに!
まだ、目を覚まさないわよ」
「いえー、ユーリ様。素手で殴るのは危険かと思いましたが、なんだかラムセスはぼんやりしていたようでしたので
武器を使わずにそのままガツンと行ってしまいました。でも、私の手は大丈夫です。ご心配なく」
「私が心配してるのは、ミッタンナムワの手なんかじゃなくて、ミッタンナムワの怪力でラムセスが
死んじゃったらどうしようってことを言ってるの! せっかくの大事な捕虜ですもの。それも大物♪」
「そ、そうですか……」
 ミッタンナムワは少し寂しそうに言った。
(な、なんだ…。まだここは天河ワールドの中なのか……?)
 薔薇男は、ゆっくりと体を起こした。
「あっ! ラムセス! 目を覚ました!」
 ユーリは嬉しそうに言った。側にはハディ、リュイ、シャラの3姉妹とミッタンナムワもいた。
 どうやら、薔薇男はユーリ達にもラムセスに見えるようだ。
「ラムセスが目を覚ましたか!」
 ヒッタイト帝国の第一権力者であるカイルも部屋に入ってきた。天河メンバー大集合である。
(め、目の前にあこがれのユーリちゃんが! ハディねえさんが! 双子が! そして皇帝陛下が!!!)
 薔薇男は、いつも本の中でしか出会えないキャラ達に出会えて、嬉しくてならなかった。
 実は、女神であるユーリの大ファンだったのである。
「サ、サイン下さい!!!」
 薔薇男はユーリの腕をガシっとつかみ、サインをねだった。
「は?」
 ユーリはキョトンとした。

 

【第3章】

「ふぁ〜あぁ〜。……よく寝た……」
 ラムセスは、薔薇男の妹の百合子の部屋で目を覚ました。
「れ? ここは何処だ……? 見なれない場所だな。確か俺は、砂漠の薔薇園で昼寝をしていたような…」
 古代エジプトに戸籍を置くラムセスにとっては、現代の百合子の部屋は異世界。
テレビもステレオも窓ガラスも…ラムセスにとっては、みんな驚きの対象になるはずだが……、
彼はさして驚かなかった。何事にも冷静に対処できることが、長に立つ者の勤めである。
気持ちを落ち着け、部屋を見まわしていた。ふと、フローリングの床を見ると、天河のコミックスが数冊転がっていた。
カイルが表紙の4巻がふと目に入った。
「これは…ムルシリじゃないか! なんで奴がこんな所に!」
 ラムセスはパラパラとコミックスを読み始めた。
「おお! ムルシリだけでなく、ユーリが! 黒太子が! みんな本の中で動いているぞ!」
 側にあった本棚に目をやると、今まで出ているコミックスがずらりと揃っている。
ラムセスは1巻から、じっくりと読み始めた。
(に、日本語は分かるのか……ラムセス…と言うつっこみなしね♪)
「ふむふむ。ユーリは、未来からナキア皇太后に連れて来られたのか……。
だから、普通の女とは違う考えを持っているんだな! それと俺様は一体、いつから出てくるのだろうか…。
あっ! あった。8巻からか…。ここからは俺様のオンスステージと行きたい所だが…。
やっぱり中心はムルシリとユーリか……。くそっ!」
 自分の出てくる8巻以前のユーリとカイルの馴れ初めを知らなかったラムセス。これで、天河のストーリを
総復習出来たことだろう。
 次にラムセスは、コミックスをフローリングの床に1冊づつ並べた。
「なんだ? この表紙は……。ムルシリやユーリばっかりじゃないか! つまらん!
俺様がどーんと表紙のコミックスはないのか!」
 20冊前後あるコミックスを順に床に出ていった。
「おっ! あるじゃないか! 18巻! この巻の売り上げが一番伸びたことだろうな! はっはっはっ!」
 ラムセスは高笑いした。彼の声を聞き、風呂から出てきた百合子が、部屋に入ってきた。
「あっ! お兄ちゃん! とうとう見つけたわよー。私、知ってたんだから!
お兄ちゃんがこっそり天河読んでること! いっつも少コミの発売日になるとこっそり読みに来てたでしょー」
 百合子は、にまにましながらラムセスに話しかけた。
 ラムセスの姿をしているはずなのだが、薔薇男と同様、他の者にとってはラムセスは薔薇男に見えるらしい。
「?????」
 見知らぬ顔にキョトンとするラムセス。だが、うろたえたりはしない。
「別に今まで隠さなくっても良かったのに! いいよ、自分の部屋に少コミ持って行ってゆっくり読みなよ」
 百合子は、少コミをラムセスに渡し、部屋から出て行くように言った。
 薔薇男の部屋で立ちすくむラムセス。薄いチェックの壁紙がラムセスを取り囲んでいた。
ここは一体何処なのだろう? 目覚めたとき、一番最初に持った疑問はまだ消えてなかった。
 ラムセスは百合子に渡された少コミをパラパラめくった。
 天河のページで手を止めた。中には、ユーリやカイルの姿があった。その中に約1名、どうみても不釣合いな
人物が―――、薔薇男である。それも少コミ中では、薔薇男はラムセスと呼ばれているではないか!
「なんだこれ? 随分と冴えない男だな! こんな男が俺の名を騙るなんて許せん!」
 ラムセスは頬を膨らませ、プンプン怒った。だが、怒っても仕方ないこと、どうにもならないのだから…。
夜も深けてきたことだし、あきらめて寝ることにした。
「ここは……俺の柔軟な脳みそで考えた所によると、ユーリの暮らしていた未来の世界なのかもしれないな。
さっき俺が目を覚ました部屋にいた女の兄貴と俺が入れ替わってしまったようだな……。
悩んでも仕方ない。今日はゆっくり休んで、明日からかんがえよう。
もしかしたら、目が覚めたら、元の世界に戻っているかもしれないしな!」
 さすがはエジプト将軍。未来のファラオ。異世界に来たというのに、同じない。
落ち着きを持っているのか、何も考えてないのか…今の所は不明である。

 次の朝。古代にふりそそぐ太陽と同じ明るさで、ラムセスは目を覚ました。
 昨晩の期待とは裏腹に、古代の自分の世界には戻っていなかった。薔薇男の部屋のままだった。
「さて…、どうするかな…。とりあえず、着替えるとするか!」
 着替えの入っていそうな、タンスを開けた。じっと、薔薇男の持っている服を見ている。
「なんか…地味な服ばっかりだな…。真っ赤なシャツとかないのか? 白やグレーばっかりじゃないか!」
 ガックリ来たラムセスはとりあえず、部屋の壁紙に似た、チャックのワイシャツを着てみた。
「これに合うネクタイは……、おっ! 薔薇模様のネクタイがあるじゃないか! これしかないな!」
 チェックのワイシャツに薔薇模様のネクタイを締めるラムセス。ちょうど、ワイシャツと壁紙が
一体化して、鏡で見た姿は、チェックの背景から薔薇模様のネクタイと彼の顔が浮き出ているような感じだった。

りなさん作

                                         
「うんうん。似合うじゃないか! 古代だろうが、未来だどうが、やっぱり俺様には薔薇だな!」
 満足げな笑みが彼の頬には浮かび、オッドアイの瞳は今日も綺麗に輝いていた。

 

【第4章】


「おおおおお! 河が赤い! 大地も赤い! 空も現代よりずっと高いぞォォォォォ」
 薔薇男は大声で天に向かって叫んだ。
「ちょっと…、ユーリさま。どうします? やっぱりラムセス将軍は変ですわ。捕虜のくせにヒッタイトの
観光をしたいだなんて…」
「やっぱり…、ミッタンナムワの怪力で頭がおかしくなちゃったのかしら……」
「いつもおかしいけど…、今のラムセス将軍は輪をかけて変ですわ。これは、エジプトに返しちゃいましょうよ!」
「ダメよ。ハディ! あんなラムセスを返したら、ヒッタイト帝国がラムセスを壊したとして
訴えられてしまうわ! ミッタンナムワが極刑になっちゃうよ」
「ひいいいい。お止め下さい。ユーリ様」
 ミッタンナムワがブルブル、ユーリも横で震えていた。
「そうだ! ユーリ様。僕にサイン下さい。自分の世界に返ったら、妹に自慢したいんです」
 薔薇男は、ユーリにサインをねだった。ユーリは、少し口元で笑い、複雑な表情で薔薇男をみつめていた。
 ヒッタイトの景色に感動している薔薇男とは裏腹に、今後のラムセスの扱いように戸惑うユーリ達。
「サインって…、どうしますユーリ様? 外交書簡にサインするってわけじゃなさそうですわよね。
ただ、ユーリ様のお名前が書いてあればいいのかしら?」
「サインなんて、どうでもいいわ! 私の楔形文字の練習粘土版でもやっておいて。
それより、どうやったら元のラムセスに・・・いつもの強引で薔薇好きなラムセスに戻るかを考えなくっちゃ!」
「じゃあ、ユーリ様。もう一回、私がラムセスを殴るというのはどうでしょう?
元に戻るかもしれませんよ」
「ミッタンナムワ…、極刑にされる前に、私の手を汚させたいの……?」

 ヒッタイトにウキウキしている薔薇男。現代のスモッグ社会に比べ、見るもの、振れるものが全て新鮮だった。
「ハディさん。赤い河の向こうはなんですか? ヒッタイトとは雰囲気が違う町並みが見えますよ」
「ああ…、あっちの西の国境は快感フレーズですわ。で、東の国境は、微熱少女で、南はWILD ACT。
北の国境は妖しのセレスだったんだけど、連載が終わちゃったから、今は読みきりが入ってます。
私達キャラは、勝手に国境(ページ)を超えて他の作品の中に入ってはいけない掟があるんです。
そんなことも忘れたんですか? ラムセス将軍!?」
 薔薇男の来た天河ワールドは、実は少コミワールドだったのである。

***

 さてさて、こちらは現代にいるラムセス。チェックのシャツに薔薇模様のネクタイを締めたはいいが、
これからどうしたら良いかが分からない。ここは、薔薇男の妹、百合子に事情を全部話して、協力
してもらうしか方法はなさそうだ。
 偶然にも百合子は、夏コミの原稿が間に合わなくて、有休をとって家で原稿を書いていた。
ラムセスは、かくかくしかじか事情を百合子に話した。猫の手も借りたい百合子にとって、
ラムセスの相手などしている暇はない。
「俺は本当のラムセスだ! ですって? バカとバラも休み休み言ってよね! おにいちゃんの
相手なんてしてる暇ないんだから!」
「そんなこと言われても困る! 本当に俺は古代エジプトから来たラムセスなんだ。何でもするから、
俺がこの世界で暮らしてい来るように協力してくれ!」
 ラムセスは唯一の頼み綱である百合子に懇願した。
「何でもする……?」
「ああ、何でもする!」
「ホントに?! じゃあ、このペン入れお願い。猫の手も…ラムセスの手も借りたいのよ!」
 何故か現代で、まんがの原稿のペン入れをするラムセスの姿があった……。
 
 ラムセスのおかげで、百合子の原稿は無事に上がった。〆切にも間に合いそうだ。
百合子とラムセスはクタクタになりながらも、一つも目的を達した達成感に満足気であった。
「ありがとう。おにいちゃん。仕方ないから、おにいちゃんの天河ごっこに付き合ってあげるよ。
おにいちゃんがラムセスなら、私はユーリになっちゃおうかな♪」
「ユーリは、まんがの原稿なんて書かないさ! それより…俺はこの世界で生きていくにはどうすればいい?
どうすれば暮らして行ける?」
 ユーリになることを否定された百合子だが、原稿を手伝ってくれた恩につけて、ラムセスに話を合わせてあげた。
「どうすればって…、とにかく働いて、お金かせいでれば暮らして行けるんじゃない?
今日は会社どうしたの? お休み?」
「かいしゃ…?」
「ネクタイ締めてるじゃない。会社行かないの?」
「かいしゃというのは、軍隊の名前か? どこの国の軍隊だ?」
 百合子はお手上げ風に手を上げながら溜め息をついた。兄もここまでラムセスになりきっていると、
合わせてあげなくては可愛そうだと思っているらしい。
「会社っていうのは軍隊じゃなくて働く所よ。会社まで一緒に行ってあげるから、働いてきなさい!」
 ちょっとイライラしながら、ラムセスを会社まで連れて行った。

 現代で暮らすこと数日。順応性の高いラムセスは現代の生活にも慣れていった。もともと窓際三流職員である
薔薇男は、たいした仕事はしていなかったので、すぐに仕事も出来るようになった。
出来るどころか、有能なエジプト将軍であるラムセスは、薔薇男よりも積極性があり、頭のいいので、
しだいに評価されていった。現代にない、ラムセスの考え方は掟破りの意見として、注目を浴び始めたのだ。
 現代でも、古代でも、ラムセスはラムセス。このままヒラの社員でいるなんて似合わない。
部長に、社長に。そして最後は、薔薇ムセス会長に……じゃなかった(笑)、頂点まで昇りつめようと、
いつの時代でも野望は変わらなかった。
 ユーリ似の彼女、鞠絵もでき、有意義な生活を送っていた。
「薔薇男さんって…、最近変わったわよね。前までは、ウジウジしていて会社でも目立たない存在だったのに、
今はなくてはならない存在。生き生きとしてて、はつらつで、目の輝きが違うわ!」
ラムセスはオッドアイを輝かせながら鞠絵を見る。
「今はこんな会社で働いているけど、いずれは国をまとめる内閣総理大臣となって、
政治を正してやるんだ! 時代は進んでも、医学が進んでも、人の心は同じ。今は食べ物に飢えることはなくとも、
俺のいた時代と比べて、心が飢えている。そんな飢えをなくすことのできる長に立ってやる!」
「私の妹が……、数年前から行方不明なんだけど、薔薇男さんのような人に出会って元気ならいいな…」
 鞠絵は、オッドアイを見つめながらやさしく言った。

 

【第5章】


「ユーリ様、何か私に出来ることありませんか?」
「出来ること?」
「はい、この王宮に…、このヒッタイトにユーリ様のご好意で置いて頂いているんです。
タダで置いて頂いているのも迷惑かと…。お手伝いできることがあれば何でもします。お言いつけ下さい」
 タダ飯食らいは、やはりちょっと気のひける薔薇男。ユーリの役に立ちたくって、何をすればいいか訪ねた。
「別に…やりたきゃ、庭掃除でも皿洗いでもなんでもすれば…」
 ユーリは薔薇男の顔も見ずに、抑揚のない声で言った。
「はい、庭掃除ですね。すぐにやります!」
 用事を言いつけられた薔薇男は嬉しくってすぐに取りかかろうとした。
「いいかげんにしてよね!」
 声を裏返しながら大声でユーリは怒鳴った。
「何なの? ラムセス! あんた何? 仕事がしたきゃ自分で探せばいいでしょ! 
どうして自分で探そうとしないの?どうしてそうやって何もかも受身なの? 
そんな態度で…、人が…民衆がついて来ると思うの?」
 薔薇男は驚いて何も言えない。ユーリはかすかに目を潤ませていた。
「……あなたはラムセスじゃないよ。見かけはラムセスそのものだけど…、中身は別人ね。もういいよ……」
 ふうっと疲れた溜め息をついた。一呼吸置いてユーリは…、
「……帰って」
「えっ…?」
「エジプトに帰って、ここを出ていって。もう顔も見たくない」
 ユーリは薔薇男に背を向けた。
「ハディ! 馬とエジプトに行けるまでの食料を用意して! そしてこのラムセス追い出して!」
「そんな…ユーリ様…。私には帰るところなど…、この世界にはありません。どうか見捨てないで下さい!」
 薔薇男は無理矢理、王宮からつまみ出された。
 ユーリは薔薇男に背を向けてから、振りかえりもしなかった。
 薔薇男は途方に暮れた。見渡す限りの赤い大地。何処までも続く地平線。
馬にも満足に乗れない薔薇男は、トボトボと痩せた大地を歩いていた。
「これからどうすればいいんだろう…。本の世界になんか入ってしまって…。もし、エジプトに帰れたとしても
ラムセスとしてはやっていけない。これから…どうしよう…」
 赤みがかった空がどんどん薄暗くなってきた。昼間はあんなに暑かったのに、どんどん冷えてくる。
 薔薇男はペタリと座り込み、そのまま後ろに倒れて、赤い大地と平行になった。
 見上げた空は、満天の星。現代のようにネオンもなにもない。振ってくるかのような星空が
薔薇男を包んでいた。
「きれいだなぁ…」
 ボソリと呟いた。
(現代でも所詮、窓際三流社員。大して仕事も出来ない。彼女もいない。顔だって冴えない、背だって高くない。
いいところなんて、なーんにもない。せっかく、カッコイイラムセスになれたのに…。
身分だってなんだって、人も羨む地位と権力を手に入れたのに…。僕は何にも出来ない。
時代が違っても、顔かたちが違っても、結局僕は僕なんだ。他人になれないし、なることも出来ない)
 ふうっ。溜め息をついた。息は白くはないが、かなり冷え込んできた。
ユーリの渡してくれた荷物の中から上着をだして羽織った。
(このままここでラムセスである僕が死んだら…。歴史はどうなるのだろう?
ラムセス一世は、ファラオになる。そうなると、セティ一世もラムセ二世も存在しないことになるのか…。
アブシンベル宮殿も現代にはないことになっちゃうんだな…。僕は…歴史を変えてしまうことになるかもしれないんだ…)
 今にも落ちてきそうな星空を見つめていると。自分の情けなさに涙が出てきた。
(頭もぼうっとする…、僕はこのまま死んでしまうんだろうか…?)
 すると、満天の星空にすうっとスクリーンのようなものが浮かび上がった。プラネタリウム版の映画館を
想像してもらいたい。そのスクリーンには、現代の薔薇男の姿が…、ラムセスである薔薇男の姿が浮かび上がった。
 ラムセスは薔薇模様のネクタイを締めて、せかせか働いていた。慣れぬ現代に、一生懸命適応しようと
必死な姿があった。
 ラムセスが上司に向かってぺこぺこ頭を下げている。何か失敗したのだろうか?
でも落ち込まないでやる気満々だ。次から次へと仕事をこなしている。
(あっ! あれは、僕の憧れの鞠絵さん…。鞠絵さんをモノにしたのか…。いいなぁ…。
僕は…、もうダメだ…。歩きつかれて動けない…。このままここで眠ってしまったら…
凍死するか…、さそりに挿されるか………。―――もし、僕が生まれ変わったら、こんな僕じゃなくって、
ユーリ様の言うとおり、自分で何かを求め、自分で何かを生み出す人間になってやるんだ。
僕は今までずっと受身だった。言われたことしか…いいや、言われたことも満足にできないダメ男だった。
今度生まれ変わるときにはきっと…。ラムセスのように逞しくって、積極的で、誰にでも好かれる……)
 薔薇男は、涙を浮かべながらそのまま目を閉じた。頬を伝わる涙が冷たかった。冷たい涙も
すぐに乾燥して、ヒリヒリとした。

***
 寒さに身震いして、薔薇男は目を覚ました。朝だった。
凍死もせず、さそりにも挿されず、朝を迎えることが出来た。
 しかし、向かえた場所は―――
 薔薇男の部屋だった。自分の机の上に潰れるようにして眠っていたのだった。
「ここは…、古代じゃない…」
 薔薇男はほっとした。夢だったのか…。やけにリアルな夢だった。
 机の上には、少コミが天河のページを開いてあった。薔薇男はこの少コミの上で寝ていたのだ。
「少コミ…、だからあんな夢を見たのか…?」
 薔薇男の肩には、見なれないカーデガンがかかっていた。きっと家族のだれかがかけてくれたものだろう。
 カーデガンをたたもうと、肩から外したとき…。
 ―――コロン
 何かが転がった。薔薇男は床に転がったものを拾おうとかがんだ。
 ―――土色をした粘土版だった。赤い土が少しついている。
 目を疑った! 粘土版には見なれない文字が掘ってある。字の大きさは整っていなくて、
あまり綺麗とは言えない楔形文字らしきものが掘ってあった。
 もちろん楔形文字なんて読めない。しかし、薔薇男はその粘土版に何て書いてあるのか分かった。
いや、わかったというより、なんと書いてあるのか感じたのである。

『がんばってねラムセス ユーリより』
 
 そう書いてあるような気がした。
 自分は本当に本の世界に入ったのか? 古代の世界に行ったのか? ユーリに会ったのか?
夢かもしれない。本当かもしれない。証拠には粘土版があるが…。きっと話しても誰も信じてくれないだろう。
 ユーリのサインを貰うことが出来た。それも、とびっきりのメッセージ付きで。
薔薇男はうれしくてならなかった。ユーリのサインを、メッセージを貰えたことも嬉しかったが、
もう一度、自分をやり直すことが出来そうで、嬉しくてならなかった。
「僕が平成の薔薇男! 薔薇薔薇バラムセスになってやるんだ!」
 薔薇男は、薔薇模様のネクタイをきゅっとしめ、元気よく玄関の外に飛び出した。

♪おわり