赤髪の白雪姫2次小説
夢に見た光景〜番外編




本編はこちら

1.暖炉の炎 
2.三つ編み 
3.決意 
4.約束
5.手紙


木々とミツヒデの子供(女の子)が登場します。
皆さんに名前を投票して頂きました。
(投票期間 2017年5月19〜23日)
沢山の投票ありがとうございます。
私の独断も含め(笑)、この中で2つの名前を使わせて頂きました。
どんな名前かは読んでのお楽しみです♪

結果リンク

   




1. 暖炉の炎

 外へ出ると冷たい北風が強く吹き付け、赤い髪を乱した。
 ゼンは寒さに思わず身震いし、顔にかかった赤い髪を整える。
 空気はひんやりと冷たく、今日は太陽も出ていなかった。
真っ白な空が王宮の遥か遠くまで広がっている。
 クラリネスの王宮に来て、これが何度目の冬だろう。もう片手では数えられない。
 でも両手では数えられるはずだ。たまには数えてみよう。
 ――そうだ、もうこれが9度目の冬だ。
 王宮にきたのは7歳の時だった。
 タンバルンの国境近くの森の奥深くで、林檎のような赤い髪を持つ母と二人で暮らしていた。
 森の中で怪我をしている貴族たちを助けたことがきっかけで、このクラリネスの王宮で生活することになった。
 母からは「お城に行って、みんなで暮らすのよ」と言われ、このウィスタルの王宮に連れてこられた。
 王宮で暮らすのは少しの間で、またすぐに森へ戻るものだと思っていた。
 初めての街に初めてのお城。
 ずっと田舎の森で育った自分にとっては見る物すべてが珍しく、最初はワクワクして楽しかった。
 異変に気付いたのはでっかいお城に着いた時だ。
 重い服に着替えさせられ、同じく重そうな服を着た人々がジロジロと自分と母を見た。
 当時は内容まで理解できなかったが、何かひそひそと噂されているようだった。
 馬車の中では知らない人の名前を言って何度も挨拶の練習をさせられた。
 大きな部屋へ連れて行かれ、大勢の人々の前で挨拶をしろと言われたができなかった。
その場の空気にのまれ一言も声を発することができず泣き出してしまったのだ。
 しっかりと状況を理解するのに随分時間がかかった。
 最初は自分と同じゼンという名前の人が父親だということも教えてくれなかったし、
自分がこの国の王子だということを理解するまでにかなりの時間を要した。
母は小さな自分に何度も説明してくれたらしいが、理解できなかったのだ。
 今なら順序立てて説明できる。まとめるとこうだ。
 宮廷の薬剤師であった母は、第二王子である父と両想いだったが、
平民出身の母との結婚は強く反対された。
父に一目ぼれをしたという伯爵令嬢との結婚が進められ、母は一人で王宮を去った。
そのときにはお腹に自分が宿っていて、母は隠れて僕を産んで森の奥で育ててくれたのである。
 そのまま静かに森の奥で暮らしていれば、今、王宮にはいなかったのかもしれない。
 よくよく考えると今の状況を作ってしまったのは自分なのだ。
 森の中で怪我をして困っていた人たちがいた。
 その中に父がいるとは知らずに、薬屋をやっている自分の家にみんなを連れてきてしまったのだ。
 父が迎えたお妃様は、結婚して数年で亡くなってしまったらしく、子供もいなかった。
 母は最初王宮へ行くことを拒んだらしいが、父の希望と王宮からの許可もあり、
母は正式に妃として、自分は王子として迎えられることになった。
 一般市民出身の母は民衆からの支持も熱かった。
 宮廷薬剤師だった母が結婚を許されず王宮を去り、数年後妃として戻ってきた話は、
人々の心に響き、今では舞台や演劇で人気の作品となっているらしい。
 二人が離れていた間、父が大切に持っていた懐中時計も注目を集め、
レプリカだがクラリネスの紋章付きでグッズとして売りに出されている。
 森の奥の家も、今ではちょっとした観光名所だ。あまり豊かな地域ではなかったので、それはそれで恩返しができたのかとも思う。

 あれから9年の月日がたった。7歳だった自分は16歳になった。
 王宮に来て一年も経たないうちに、父の兄であるイザナ陛下が亡くなった。
 随分前から、肺を病んでいたと聞いた。感染する可能性のある病気だったので、
あまり父の兄に会うことはなかった。
 いつも遠くから姿を見るだけだったので、もう少し話をしたかったと今は思う。
 翌年、すぐに父が国王として即位し、母は王妃となった。同じ年に弟も生まれた。
 今は自分を合わせると王子三人、王女一人の4人兄妹となった。
 王宮に来てから様々な勉強をした。
 剣術の稽古は楽しかったが、政治や歴史の勉強は難しく感じた。
今まで全く縁のないものだったので、随分と先生を困らせたものだった。
 学ばなければいけないことはまだまだ沢山あるが、今年の春から王子としての役割を任されることになった。
 2年間、ウィラント城に赴任することになった。
 クラリネスの王宮からは何日も馬車でかかる遥か遠い北の地だ。
 王子としての初めての任務である。しっかりと務めなければならない。
好きで来た王宮ではなかったが、離れるとなると少々寂しいものがある。

「そうか、リリアスか。随分遠くに行っちゃうんだね、ゼン」
 母は暖炉の前で編み物をしていた。
 暖炉の炎が母の赤い髪を更に真っ赤に見せていた。心なしか暗い声のような気がした。
「リリアスも含む北の地の勤務ですけれどね。ウィラント城にいることになりそうですよ、お母さん」
「お母さんも一緒にリリアス行こうかな……」
 編み物をしてる手を止めて深くため息をつく。
「はぁ? 何言ってるの! 行けるわけないでしょ。その体で!」
 ゼンは母の膨らんだお腹を指さす。
 自分の下に弟が二人、妹が一人いる。
 今、もう一人懐妊中の母である。まだお腹はそれほど大きくはなく、やっと膨らみがわかる程度だった。
 王宮を離れて遥か彼方の北の地に一緒に行くなんて言ったら、父が腰を抜かすに違いない。
「そうだよね……わかってる。」
 俯いた母は沈んだ声で頷く。
「僕がいなくても、お父さんも弟も妹もみんないるじゃないですか。
オビやミツヒデさん、木々さんだっているんだから寂しくないでしょ!」
 母は赤い髪を横に振る。そうではないらしい。
「ゼンはずっと一緒にいたから、ゼンがいなくなるのは寂しい……」
「お父さんも弟も妹もずっと一緒にいたじゃないですか」
 再度、首を横に振る。
「ゼンは家族の中で一番長く一緒にいたから、遠くに行っちゃうのは寂しい……」
 母は編み物の手を止め、編み上がった毛糸を手で揉み始めた。
 ゼンはハッとする。
 クラリネスの王宮に戻ってきたのは9年前。
 それまでは国境近くの森に親子二人で暮らしていた。
 確かに母の言うとおり、家族の中で一緒にいる時間が長いのは自分だ。
「お腹の子が生まれたら一度戻ってきますよ。今度は男ですかね? 女ですかね?」
 落ち込む母を上手く慰める言葉が見つからず、ゼンは話題を変えてみた。
「うーん、女の子かな? なんとなく……」
 母は編み物を止めていた手を動かし始める。
「それは……お母さんの希望ですか? 男の子3人、女の子1人だから……」
 ゼンは苦笑いになる。
「そういうわけじゃないけど……あっ! やっぱり男の子がいい! 
ゼンが遠くに行っちゃうんだものね。ゼンにそっくりな男の子がいい!」
「……」
 白雪は編み棒を片手に熱弁する。「はいはい」と適当に誤魔化した。
 ――パチリ。
 薪の割れる音にゼンは振り向いた。
 暖炉の中にある薪が燃えて、パチパチと音を立てていた。
 以前、森の奥深くで母と暮らしていた家にも暖炉があった。
豪華な装飾が施してある王宮の暖炉とは違って、レンガを積み上げた簡素なものだった。
 パチパチと音を立てて燃える暖炉に炎に、ゼンの記憶は呼び戻される。

 寒い冬の日だった。あれは父やミツヒデさんたちが家に来る前の冬だったと思う。
 森の家では、王宮のようにいつでもたくさんの薪があるわけではなかった。
寒い冬の夜などは、薪を使い切ってしまい、途中でなくなってしまうこともあった。
そんな時、母は決まって小さな僕に沢山服を着せてくれた。母はいつでも薄着だったような気がする。
「今日はちょっと早いけど、寒いから寝ちゃおうか、ゼン」
 薪が燃え尽きて暖炉のついていない部屋は、ほんの少しの時間で外と変わらない寒さになってしまう。
 風が吹き付けないだけ家の中の方がましだが、頬に触れる空気は氷のように冷たくなってきた。
「うん、もう寒いからお母さんと一緒に寝る」
 ゼンは手の甲で洟をぬぐった。空気の冷たさに洟がどうしても出てきてしまった。
 寝台に母と入り、一緒に一枚の毛布に包まる。
 母の身体はヒヤリと冷たいことに気づく。指先など氷のように冷たかったのだ。
「お母さん、手がこんなに冷たいよ!」
 ゼンは白雪の手に触れる。
 自分の手も決して温かくなかったが、母の手はもっと冷たかった。それなのに薄着だった。
上着や毛布はすべて自分にかけてくれていたのである。
「ごめんね、ゼン、寒くなっちゃうね」
 母は自分から手を離そうとする。
「ううん、僕がお母さんを温めてあげる。こんなに冷たいんじゃ眠れないでしょ」
ゼンは母に抱きついた。
「本当だ。ゼンあったかいね……」
 母はゼンの赤い髪に顔を埋めた。
 母の鼻が頭頂部に当たると、鼻先がものすごく冷たかったことを覚えている。
本当に身体が冷え切っていたのだ。目の前に柔らかな胸の感触がする。いいのかな? 
と思いつつもゼンはその中に顔を埋めた。柔らかさが心地よくて思わず笑みがこぼれる。
一枚の毛布にくるまっているせいか、母の身体もだんだん温かくなってきた。
暖炉の火がなくてもこれなら眠れそうだ。
 ゼンは母の胸の中でそっと目を閉じる。
 うとうとと眠くなり、柔らかなぬくもりのなかに溶けていった。

 ――パチリ。
 木の砕ける音でゼンは目を覚ました。
 部屋にある暖炉に火が灯っていた。すぐ横に母が薪の調整をしている。
 外はもう明るく、窓の外からは小鳥たちのさえずりが聞こえた。
朝になっていた。
「おはよう、ゼン」
「おはよう、お母さん」
 ゼンは眠たい目をこすりながら起き上がる。
「薪、取ってきたの?」
「うん、朝は冷えるからね。ゼンが寒くて凍えるといけないしね」
 暖炉の前で微笑む母の笑顔は、本当に暖かかった。
 森で暮らした7年間、いつも母は優しかった。
 その笑顔は、別れた父の姿を自分に重ねていたからだと分かったのは、
本当につい最近のことだと思う。森の奥で、母の愛を一心に受けて育った7年間は貴重なものだった。
王宮での生活と比べると、決して豊かなものではなかったが、今となっては大切な記憶だ。
 年の離れた弟と妹たちに森での生活の話をすると、「また兄上の苦労話が始まった」と笑われた。
 羨ましがられもしない森での生活だったが、母と二人で過ごした本当に大切な7年間だった。

「ゼン、どうしたのぼうっとして……」
 暖炉の炎をずっと見つめていたゼンは声をかけられた。
「ああ、なんでもないよ」
 ゼンは我に返る。
 暖炉の炎を見ていたらつい昔のことを思い出してしまった。

 ゼンは白雪に挨拶をして部屋から出た。
 王宮の廊下を歩いていると、「こんにちは、ゼンJr様」「ごきげんよう、赤髪の王子」と
色々な呼び名で挨拶をされた。母が父を忘れることができず、同じ名前をつけてしまったので、
『ゼン』と呼ぶのは母くらいなものだった。父と区別するためにゼンJrと呼ばれることが多かった。
 真っ赤な髪なので『赤髪の王子』と呼ばれることもあるが、もう一つ自分には呼び名があった。
その呼び名は16となった今では少し恥ずかしい呼び名だ。
 できれば呼んで欲しくない名前だ。
「林檎王子!」
 振り向くとの金髪碧眼の美少女が立っていた。
 緩くウェーブしたブロンドがかった金髪は胸まであり、青く澄んだ大きな瞳は、
ずっと見つめていると吸い込まれそうに美しかった。
 スッと通った鼻筋は整った顔立ちを象徴するようにバランスがとれていて、
ピンク色の形の良い唇は笑うと更に愛らしくなる。
 絵にかいたような美少女はクリーム色に青い縦縞のドレスを着て、
廊下の壁に腕を組んで寄りかかっていた。ゼンJrを見てニコリと笑う。
「その名前で呼ぶなと言っているだろう! リナ!」
 金髪の美少女の目の前に立つ。
「何で? 一番似合っている呼び名だと思うけど?」
「林檎なんて……女じゃあるまいし恥ずかしいんだよ!」
「えー、林檎頭かわいいのに……」
 自分より4つも年下の少女に頭を撫でられる。
 リナは父の昔からの側近であるミツヒデさんと木々さんの娘だ。
二人とも美男美女で母曰く、リナは二人の良いところを凝縮して生まれてきた娘らしい。
確かに母の言うとおり誰が見ても文句なしの美少女だ。
初めてリナに王宮で会った時はビックリした。
イザナ陛下に挨拶ができなくて泣いていたのだが、リナを見て思わず涙が止まってしまった。
 涙が止まるほど可愛かったのだ。リナの二つ上に兄もいるが、これまた背が高く格好良かった。
 この王宮では有名な美貌の兄妹だった。
 二人とも自分が王宮に来たときからずっと一緒で、年も近いこともあり本物の兄妹のように育った。
リナは兄と同じく、12歳にしては背が高かった。整った顔立ちも年齢よりも大人っぽく見える
「じゃあゼンJr殿下。これから剣の稽古しない?」
「稽古? その恰好で?」
 リナの服を指さした。
 リナは裾の長いドレス姿だった。クリーム色に青い縦縞のシンプルなドレスだ。
 右サイドで髪が一房束ねられており、ドレスの縦縞と同じ青いリボンが結ばれていた。
「お父さまとお母さまのお客様が来ていたからこの格好なの。ちょっと待ってて着替えてくるから」
「わかった」
 リナはドレスを翻し、部屋へ向かって走っていった。
 ドレスの裾が邪魔なのかスカートをたくし上げ、貴族の令嬢らしからぬ恰好だった。
 剣の稽古は、リナと兄の3人ですることが多かった。
 小さな頃から、父とミツヒデさんとオビに稽古をつけてもらっていたので、
同年代の者とは技量の差がありすぎて稽古にならなかった。
 剣術の腕だけは他の誰にも引けを取らないつもりだ。
 リナも女の子であったが、母である木々さんも剣士だったので、一緒に剣術の稽古をしていた。
 稽古の甲斐あって、男の子顔負け腕前である。リナより強い同年代の男の子はいなかった。
 数分後、リナが戻ってきた。剣術の稽古用の服に着替えており、腰には練習用の剣をさしていた。
「お待たせ、ゼンJr」
 先ほどのドレスも綺麗だったが、剣術の稽古用の身体にぴったりとした服装も美しかった。
 長い髪がなびき、颯爽として格好いい。
 ――ん? 長い髪……。
「あれ? リナ、髪は束ねないの?」
 服装は軽装になったが、長い髪がそのままだった。右サイドに束ねられた青いリボンも結ばれている。
「あ、そっか。急いでたから忘れてた」
 リナは右サイドのリボンをほどき、指の間にリボンを挟み、両手で髪をまとめた。
 青いリボンまとめた髪に巻き付け長い金髪を縛った。
「そのリボン……」
 リナの青い瞳と合っていて綺麗だなと思った。
「なに? このリボン気に入った? あげようか? 後でその赤い髪縛っていい?」
 リナが目を爛々とさせる。赤い髪をいじるのが大好きなのだ。
 王宮に来たばかりの頃は小さなリナに「林檎林檎」とよく頭を撫でられたものだ。
「何言ってるんだよ、嫌に決まってるだろう!」
 ゼンJrは赤い頭を抱えリナから一歩離れる。
「なんだつまらない」
 リナは意地悪そうに笑う。リナに髪を触られないよう少し前を歩く。
 リナは後ろでクスクスと笑い、「やっぱり林檎王子が一番似合うわよね」などと独り言も言っていた。
 赤い髪にリボンなど巻かれるなんて、この年になって恥ずかしいこと極まりない。髪に触れられないよう、少し早足で歩く。
 結局、リボンが似合っていると言い逃してしまった。
 いつも一緒にいるので今更褒め言葉を言ってもどうってことないと思うが、たまには思っていることを伝えたい。
 剣術の練習場まであと少しという所だった。
 気づくと後ろから足音が聞こえなかった。
 ゼンJrは廊下を振り返る。
 リナの姿はなかった。少し早く歩きすぎてしまったらしい。ゼンJrは来た道をかけ足で戻っていく。
 角を曲がったところでリナの青いリボンが見えた。
「リナ!」と声をかけようとしたときだった。リナの他にもう一人黒髪の男の姿が見えた。
 男はリナと向かい合って手紙のようなものを渡していた。服装は近衛兵団のものだった。
 確か春に入ったどこかの子爵の息子だ。挨拶はされたが、どこの子爵だったかは忘れた。
 政治や歴史と同じくらい人の名前を覚えることは苦手だった。自分より一つ年下だったと思う。
 黒髪が肩まである長髪の男だ。くせ毛なのか肩で髪が踊っているように跳ねていた。
「あっ」
 ゼンJrの姿を見て、黒髪の男は手紙を渡し、走って逃げて行ってしまった。
 リナは渡された手紙をじっと見つめ、次にゼンJrを見つめた。お互い視線がぶつかり、沈黙が流れる。
「行こうか」
 沈黙を破ったのはリナだった。無造作に手紙をポケットにしまい練習場に向かって歩き始めた。
 リナと剣術の相手をしている時も、なんだか上の空だった。
 誰が見ても可愛いリナ。モテるのは当然のことと思う。
 あんなふうに手紙を渡されることはよくあることなのだろうか? 
 自分が知らないだけで、もしかしたら誰か付き合っている相手がいるかもしれない。
 自分もまだまだ子供だと思うが、年下のリナはもっと子供だと思っていた。
 そういう恋愛のたぐいは、ずっと遠いものだと思っていた。でもそうではないのかもしれない。
 上の空だったからであろうか。
 リナと剣を合わせているうちに、右手からスルリと剣が抜けた。
 剣は目の前のリナの腕に直撃する。
「痛っ!」
 リナが短く叫んだ。
 ガシャンと二本の剣の落ちる音が響いた。
「大丈夫か!? リナっ!」
 リナは左の手首を押さえていた。ゼンJrはリナに駆け寄る。
「ごめん、よけきれなかった……」
 リナが顔を歪ませ謝る。
「謝るのはこっちだ! 手が滑ってしまってごめん。リナ、手首、見せて」
 ゼンJrは青い顔でリナの手首を見た。
 リナの手首は直径5センチメートルくらいの青あざができていた。
 剣は練習用なので切れたりはしないが、しっかりと柄が当たって打撲していた。
「手首と指は動くか? ここ触ってどう?」
 青あざの部分に軽く触れる。リナは痛そうに顔を歪ませたが飛び上がるほど痛いというわけではなさそうだ。
「手首と……指は動く。触ると痛いけど、まあ大丈夫」
 リナは手をグーパーさせて動くことを証明する。
「それなら骨にヒビとかはなさそうだ。部屋に戻って手当しよう。歩ける?」
「歩けるよ。怪我したの手だもの」
 リナは呆れて言った。もし歩けないようだったら抱きかかえて行こうと思ったのだ。
「そうか、それなら早く部屋に帰ろう」
 今度はリナの歩調に合わせてゆっくりと廊下を歩いた。
歩いている時、てのひらに汗をかいていたことに気づく。
 これでは剣が滑ってしまうはずだ。
 何故、てのひらに汗などかいてしまったのだろう? 

 ゼンJrに、今はその理由がわからない――。

 リナと一緒に廊下を歩いて行った。


 
2.三つ編み

 部屋に戻ると母はいなかった。弟や妹たちもいなかったので一緒に出掛けているのだろう。
 宮廷薬剤師である母にリナの手当てを頼もうかと思ったが、自分でやるしかない。
「リナ、ここに座って」
「うん」
 薬の入っている戸棚から、打撲用の薬と包帯を取り出す。
 一番年の近い弟でも8つ年下だ。その下に5歳の弟と3歳の妹と続く。
 病気や怪我をすることも多かったので、たいていの薬は部屋に揃っていた。
 小さな頃から母の薬剤師の仕事を見てきたので、簡単な処置なら自分にもできるのだ。
 冷却作用のある鎮痛薬を患部に塗り、しっかりと包帯で固定する。
青くアザになっているが、腫れてはいないので、骨折や骨にヒビは入っていないはずだ。
「上手ねぇ〜、ゼンJr」
 リナは包帯を巻かれながら感心する。
「小さい頃から母の仕事を見ているからね」
「ゼンJrと結婚する人は病気や怪我をしても安心ね」
 リナがさらりと言った。
「けっ、結婚!?」
 思いもかけない単語にゼンJrは動揺する。包帯を巻く手が一瞬止まってしまった。
「はい、できたよ。痛みがあるうちは剣術の稽古は無理だな。
本当に俺のせいでゴメン。手が滑ってしまって……」
 ゼンJrはリナに頭を下げる。
「ううん、よけられなかった私も悪かったからいいの。もうそんなに痛みはないし大丈夫よ」
 大きな瞳がまっすぐにこちらを見つめてニコリと笑った。その愛らしい瞳にドキリとした。
こんな可愛い子に怪我をさせてしまって本当に申し訳ないと思った。
「いや、本当にゴメン」
 ゼンJrはもう一度赤い頭を下げた。
「もういいってば……」
 謝るゼンJrにリナは困り顔をしていた。
「今日は剣術の稽古もできないから、部屋で本でも読むか……」
「うん、そうする」
 リナは笑顔で頷いた。

 暖炉の前で各々本を読んだ。
 ゼンJrは苦手な政治の本を持って、暖炉から一番遠いソファに腰かけた。
3人掛けのソファに足を投げ出して本を広げる。一人で読んでいると間違いなく睡魔が襲ってくるような本である。
リナの手前、居眠りをするわけにもいかないので、格好つけているわけではないが、わざと難しい本を選んだ。
 リナは暖炉のそばの一人がけのソファに座って本を読み始めた。
表紙は見えなかったのでどんな本かはわからなかったが、伏せ目がちに視線を落とすその姿も美しかった。
 長い睫毛が一定の間隔で瞬きを繰り返す。暖炉の前で本を読むリナは、まるで絵の中から抜け出てきたような少女だった。
 しばらく二人で本を読んでいると、リナは本を閉じて膝の上に乗せた。
 ポケットに手を突っ込み、折れ曲がった手紙を取り出す。ビリビリと遠慮なく封を破り、その手紙を読み始めた。
 ゼンJrは本を読むふりをしてリナを見つめる。顔は本で隠しているが視線は100%リナであった。
 手紙の文字を追い、青い瞳がゆっくりと左右に動く。じっくりと手紙を読んでいることがわかる。
 眼球の動きが止まり、リナは目を閉じた。肩が大きく上下し「はぁ〜」と大きく溜息をついた。
 ゼンJrはさすがに本から顔を上げてリナを見た。視線が交差する。
「ラブレター?」
「まあ……そんなところかな?」
 リナは手紙を閉じて元の封筒にしまった。立ち上がりすぐ横の暖炉の前に立った。
「どうした? リナ?」
 ゼンJrは本を閉じてリナの隣に並ぶ。リナはじっと暖炉の炎を見つめている。
 どうしたのかと思い、様子を伺うためリナの顔を覗き込もうとしたその時、手に持っている手紙を炎の中に投げ込んだ。
「なっ! 何で燃やすの?!」
 ゼンJrは驚いて目を丸くする。
 リナは投げ込んだ手紙をじっと見つめていた。手紙は炎に包まれメラメラと燃える。
 やがて手紙の形がなくなり暖炉の中に灰となって溶け込んでいった。
「いらないから燃やしたの。持ってても仕方ないし……。名前と顔は覚えた。近衛兵の人だから、兄経由で断ってもらおうかな……」
 リナは小さくため息をつく。
 手紙は間違いなくラブレターである。
 リナから『断る』という言葉を聞いて安心した気持ちになる。
 モテるとわかっていても、手紙を渡している現場を目の当たりにすると、なんだか落ち着かない。
 リナの兄も近衛兵団に属している。手紙を渡した黒髪の男よりも
彼女の兄の方が先に近衛兵団に入っている。リナ本人が断るよりもいいかもしれない。
 ゼンJrは元のソファに座って本の続きを読み始めた。
 手紙のことなど気にしていない風を装うため本に集中するふりをした。
 栞を挟んだページから読み始めると、何故か内容がまったくわからなかった。
どうやら活字を目で追っていただけで本の内容を理解しないで読み進めていたようだ。
 上の空だったのである。数ページ戻って読み始める。
「ねえ、ゼンJr?」
「なんだ?」
 本から目を離し、振り返るとリナが背後に立っていた。
「赤い髪いじってもいい?」
 つむじから後頭部にかけて撫でられる。
「もういじってるだろっ」
 本を読みながら口を膨らませる。
「いつ見ても綺麗よね。林檎みたいな赤い髪……」
 リナは3人掛けのソファの隣に腰かけ、横から髪を梳く。
 うっとりとした表情で髪を撫でる。リナのブロンドがかった金髪も充分に綺麗だと思うが、それは口には出さずに本を読み続けた。
「三つ編みしちゃおうかな!」
 リナは耳の横の髪を一束とり三つ編みを始めた。
「やーめーろー」 
 本を読みながら抑揚のない声で言ったがリナは聞いていなかった。嬉々とした表情で三つ編みをする。
「妹の髪でもいじればいいだろう」
「妹? モクレンの?」
「ああ、モクレンの髪をとかすなり、セットするなりすればいいじゃないか」
 リナの5つ下にモクレンという名前の妹がいる。
 自分よりも華やかな名前をつけたいという木々さんの想いから付けられた名前だ。
 モクレンは東国から伝わった花で、池に咲く蓮のような大きな花を咲かせることから、『木に咲く蓮』と言われる。
 毎年、春の訪れを告げるかのように可憐な花を咲かせ、
リナに負けず劣らずの美少女である妹にぴったりの名前である。
 ちなみにリナはミツヒデさんがつけた名前である。リナは別の国の言葉で「可愛い」という意味がある。
 生まれたばかりのリナを見てミツヒデさんが付けた名前だ。そのままである。
「最近、モクレンは自分で髪をセットしちゃうの。
もうお姉ちゃんの手は借りないって……。それに私と同じ髪色だもの。やっぱり赤い髪がいい!」
 リナは「ふふふ」と笑いながら髪をいじっている。
「うーん、やっぱり編み込みはできないなぁ〜。長さが足りないわ。
ねえ、ゼンJr、もう少し髪伸ばさない? そうすれば編み込みできるんだけど?」
 リナが本を読んでいるゼンJrの顔を覗き込む。
 緩くウェーブのかかった金髪が揺れ、青い瞳が目の前に迫る。
口角があがりニコリと笑った笑顔が可愛かった。至近距離で目が合いすぐに言葉を返せなかった。
「なっ、なんで髪なんか伸ばさなきゃいけないんだよ! 男なのにこれ以上伸ばせるかっ!」
「ええ〜なんだ、つまらない……」
 口を尖らせながら再び髪を撫でる。
 リナはまた三つ編みをしてるようで「ピンでとめちゃおうかな? ふふふ」などと言っている。
 楽しそうだったのでリナの好きなようにさせておいた。
 ゼンJrは心の平静を保つために本に集中した。すると、あることを閃いた。
「リナ、そんなに編み込みがしたいなら、あの手紙をくれた近衛兵の男はどうだ? 
肩まで黒髪があるし、あれなら長さが足りるだろう」
 リナの髪を梳く手が止まった。なんだか後頭部に妙な視線を感じる。
 ゼンJrは本からそっとリナに視線を移す。
 リナが面白くなさそうな顔をしていた。口がへの字に曲がり、不機嫌そうな顔だった。
「いやよ……」
「えっ?」
「何であの男の髪を触らなきゃいけないの。あんな男の髪、触りたくもないっ!」
「リ、リナ?」
 リナはソファから立ち上がり、大股で扉に向かって歩いて行った。
勢いよく扉を開けたかと思うと、バタンと大きな音を立てて部屋から出て行ってしまった。
 部屋にはゼンJrだけが残される。パチパチと暖炉の炎が燃える音だけが静かに聞こえた。
「ど、どうしたんだ……リナの奴。何で怒っているんだ?」
 突然怒りだしたリナにゼンJrは呆然とした。
 髪を編み込みしたいなら、もう少し長さがある人の髪でやればいいのに。
 あの手紙を渡した男の黒髪が嫌なのか? そんなに赤い髪は珍しくて面白いものなのか? 
リナの怒っている理由が分からず、部屋で一人首をかしげた。
 再びソファに座り本を読んでいると、扉の外が騒がしくなった。母と弟、妹たちの声が扉越しに聞こえた。
「ただいま」
「ただいまー」
「あっ! ゼンにーちゃんだ!」
「ゼンにーちゃん! ただいま〜」
 外へ出掛けていた母と弟たちが返ってきた。静かだった部屋が一気に騒がしくなる。
「ゼン、帰ってたの? みんなの着替え手伝ってくれる?」
「ああ、わかった」
 ゼンは本を閉じてテーブルの上に置いた。
 母に言われ弟と妹の着替えを手伝う。
 外で遊んできたと思われる弟と妹たちは真冬なのに汗をかいていて、服も汚れていた。
特に5歳の弟と3歳の妹の服は泥だらけだった。
 8歳の弟は自分で着替えを取り出し、一人で着替えている。5歳の弟に着替えを渡し着替えさせる。
「あら、その頭のピン。リナちゃんが付けてくれたの?」
「え?」
 3歳の妹の着替えを手伝っている母から声をかけられた。
 髪に触れるとピンが付いていた。
 右耳のすぐ上の髪が三つ編みされていて、ピンで止められていたのだ。ゼンJrはピンを外して三つ編みをほどく。
 花の形をした銀色のヘアピンがついていた。丸い花びらの中央にパールの飾りのあるピンだ。
いつのまにピンで止められていたのだろう? 気づかなかった。次に会った時、
返さなければならないと思い、ゼンJrはテーブルの上に置いた本の間にピンを挟んだ。
 ――そうだ!
 剣術の稽古をしていたらリナに怪我をさせてしまい、手当てのため、
薬草と包帯を使ったことを母へ報告しなければならない。
「そうだ、お母さん。リナと剣術の稽古をしていたら、
手が滑って剣の柄がリナの左手首に当たって怪我をさせてしまったんだ。
手当てをするのに薬草と包帯を使ったから、補充しておいて……」
「えっ!? 怪我?」
「うん。手首も指も動くし、腫れもないから、骨に異常はないと思う。青アザにはなったけど……」
 言い終わった時には母の顔が青くなっていた。
「ちょっと、どうして早く言わないのっ! ゼン! 謝りに行かなきゃ……。子供たち見ててね」
 母の目がつり上がり気味になる。着替えの終わった妹を渡される。
「わかった……」
「リナちゃん〜、木々さーん!」
 と叫びながら母は部屋を出て行った。
 大怪我ではないにしろ、女の子にアザを作ってしまったのだ。
 後で母と父から怒られるかもしれない。覚悟はしておこう。そう心の中で頷いた。
 ふと気づくと隣に妹がいない。部屋を見渡すと、妹はゼンJrの元を離れ、
暖炉を覗き込んでいた。慌てて妹の元に駆け寄る。
「わあああ! 危ないっ!」
 妹たちが暖炉に近づけないよう、ソファと椅子を使ってバリケードを作る。
 着替え終わった弟たちは部屋の中を駆け回っていた。
 先ほどリナと静かに読書をしていた部屋とは同じとは思えない、騒がしい部屋となった。
 怒られてもいいから、早く母が帰ってこないかな……。
 妹の服を引っ張りながら、そう思うゼンJrであった。


3.決意
 
 リナに怪我をさせてしまったことは、後からしっかりと父と母に怒られた。
 手当ては的確であったが、嫁入り前の娘さんに怪我をさせるなんて、以ての外だと言われた。
 じゃあ嫁に行ってれば怪我をさせてもいいのか? という疑問も浮かんだが、
更にまたお小言をもらいそうだったので静かに怒られた。
 あれからリナとは普通に話すようになった。
 怒って出て行ってしまったことはもう忘れているようで、会えばいつもの可愛い笑顔を向けてくれる。

 2週間ほどたった穏やかに晴れた冬の午後。
 リナの左腕の青アザも消え、彼女の兄の3人で剣術の稽古をすることになった。
部屋から3人一緒に稽古場へ向かうと、途中でリナが「あっ!」と声を発した。
「どうした? リナ?」
「忘れ物した……」
「忘れ物?」
「うん、ちょっと一度部屋に戻るから、先に行ってて!」
「わかった」
 兄と同時に返事を返した。
 リナは廊下を全速力で走ってゆく。
 すれ違うメイドが驚いて身を引いてしまうくらいのスピードだ。貴族の令嬢としては到底ふさわしくない。
 二人で稽古場の隅に座ってリナを待った。
 廊下を全速力でかけて行ったのだ。あのスピードなら数分で来るだろうと思っていたのだが、
リナはなかなか戻ってこなかった。青空の下にある稽古場は、じっと待っているだけでは寒かった。
 早く稽古を始め、身体を動かして温まりたかった。
「遅いな、リナ」
「そうだな……」
 リナがやってくるであろう廊下を覗いても来る気配は全くない。
「おかしいな……」
「え?」
 ゼンJrは顔を上げる。
リナの兄が胸ポケットから懐中時計を出し、眉間に深い皺を刻む。顔色も少々青いような気がする。
「遅すぎる……。おかしい。ちょっと戻って見て来よう」
「ああ」
 リナの兄が立ち上がったので、ゼンJrも後へついて行った。
 廊下に戻ってもリナの姿はなかった。
 息を切らしたリナが今にも廊下の向こうからやってきそうだったが、その期待は裏切られた。
 稽古場から離れ、廊下をだいぶ進んだところで、話し声が聞こえた。
 何やら言い争っているような男女の声である。リナの兄と顔を見合わせ、声の方向へ走っていった。
「ちょっと、離してよっ! さっきから、イヤって言ってるでしょ!」
「何でだよっ!」
 角を曲がったところで、リナが黒髪の近衛兵の男に腕を捕まれていた。リナは必死に抵抗し逃げようとしている。
「リナっ!」
「お前っ! 妹に何してるっ!」
 黒髪の近衛兵の手が緩んだのか、リナがこちらに逃げてきた。兄の背中にサッと隠れる。
「お前、この前断っただろう! 妹にしつこいことするな!」
 リナの兄が激怒すると、黒髪の近衛兵は「ちっ!」と言って走って逃げて行ってしまった。
「よかった……」
 リナが兄の背中でホッと溜息をつく。
「大丈夫か? リナ?」
 ゼンJrはおそるおそるリナの顔を覗き込んだ。
「うん、大丈夫。予想以上にしつこい奴で、ちょっと油断した……」
 リナはこちらを見て笑ってくれたが、その笑顔は引きつっていた。げっそりとした青白い顔であった。
「3回目、いや4回目か。あんまりひどいようだったら父上に言うか?」
「ううん、まだこれくらいなら大丈夫」
 リナは首を左右に降った。
「いや、一応報告しよう。これからも何かあったら困る」
 リナの兄は一人頷いていた。
 ゼンJrは目の前の兄妹のやり取りに呆然とする。
 剣術の稽古場で待っていた時、リナの兄の顔が青くなっていた理由がわかった。
「すごいな、こんなこと4回もあるのか」
 ゼンJrは兄妹を見つめて呟いた。
「ううん、5回目よ」
 リナがサラリと答える。
「ご、ごかいめ……」
「あら、ゼンJrだって、色っぽいメイドさんに迫られたことあるみたいじゃない」
 リナが冗談めかせて笑う。その笑顔はいつもの笑顔に戻っていた。
「あれは本当に嫌だった……怖かった」
 ゼンJrは思い出したくもなく、ふぅ〜と大きく溜息をついた。
 数か月前のことになるが、お茶を持って来たやたらと胸の大きいメイドに迫られたことがあった。
「お近づきになりたい」と言われ、服の前ボタンが上から二つほど開いており、谷間が丸見えだった。
目の前に迫る巨乳はもはや恐怖でしかなく、思わず助けを求めてしまった始末だ。
 後で聞いたら、胸の大きなメイドは、自分に近づきたかったのではなく、
王子である自分の身分に近づきたかったのだという。人間の中身なんてどうでもいいような言い方に少しショックを受けた。
王子という身分だけに引かれるような人間とは長く一緒にいようとは思わない。
 その事件があってから、お茶は自分でいれるようにしている。
 元からメイドなんかに頼らなくても、自分のことは自分で出来るのだ。何しろお茶など6、7歳から入れていた。
「剣術の稽古はどうする? 今日はこんなことがあったし……やめようか?」
 ゼンJrはリナと兄の様子を伺う。
「ううん、やるわ。またこういうことがあってもいいように腕を磨く。
そうだ、今度オビさんに体術も教えてもらおうかしら?」
「ああ、それはいいかもしれないな」
「そうしたら今みたいなことがあっても、相手を倒せるものね」
 リナの青い瞳がキラキラと輝く。
「剣術も体術も一緒に稽古しよう。なっ、ゼンJr?」
「あ、ああ……」
 リナの兄に同意を求められゼンJrは頷いた。
 剣術の腕だけでもたいしたものなのに、可憐な美少女の姿とは裏腹にどんどん逞しくなっていくリナであった。

***

 稽古が終わり、ゼンJrは自分の部屋に帰って来た。
 なんだか気分がもやもやする。気持ちを切り替えようと思い、本棚の読みかけの本を手に取った。
 寝台に本と一緒に倒れ込み、大の字になって天井を見つめる。
 手紙を貰ったり、今日みたく男にしつこくされるようなことが、リナには5回もあったのだ。
 黒髪の近衛兵に絡まれ、自分たちが見つけた時、リナは兄の背中に隠れた。
 できれば自分の背中に隠れて欲しかったと思った。
 リナの兄のほうが身長は高いし体格もいいから、
あちらのほうが確かに頼りがいはあるが、自分が守ってあげたかったとも思う。
 このもやもやした気持ちは何なのだろう? どうしたらいいかわからなかった。
 ずっと3人で剣術の稽古ができればいいと思っていた。
 毎日顔を合わせ楽しく過ごせればそれでいいと思っていた。だが、そんな日々はもう長く続かないのだ。
 春からは北のウィラント城に行かなければならない。
 リナとは離れることになる。きっと離れている間にも手紙を貰ったり、今日のようなことがあるはずだ。
 黒髪の近衛兵はリナの好みではないようで断っていたが、今後、リナ好みの男から告白されることもあるかもしれない。
 付き合うようなことになったら……と考えると、心臓が押しつぶされる気持ちだった。
 2年もあるのだ。そういうことがあってもおかしくない。
 ゼンJrは天井を見つめたまま大きく溜息をつく。
 ――ああ、やっぱりそうなのかな。
 これだけリナのことが気になるのだから、やっぱり好きなんだろうな……。
 いつでもそばにリナがいたから、今まで深く考えないようにしていたのかもしれない。
 リナを好きなこのふわふわした気持ちは一体どこから来るのだろう? 
 頭の中なのか、胸の奥なのか……この想いは自分の何処に宿っているのか不思議だった。
 大の字から横向きに態勢を変えようとすると、指に本が当たった。
 読みかけの政治の本だ。難しい政治の本など今は読む気はしない。
 寝台の脇にあるサイドテーブルに本を置こうとしたら、本の間に何か挟まっていることに気づいた。
 本には花の形をした銀色のピンが挟まっていた。リナのヘアピンである。
 彼女に返そうと思っていたのだが、本に挟みっぱなしですっかり忘れていた。
 ゼンJrは本をサイドテーブルに置き、銀色のヘアピンを手にする。
 丸い花びらの中央にパールの飾りのついたヘアピンだ。可愛いリナに良く似合う。
 恋愛なんて遠いものだと思っていた。結婚なんて更にその遥か彼方だ。
 自分はまだまだ子供で、リナは4つも年下なのでもっと子供だと思っていた。
 王宮に来た頃から……小さな頃からずっと一緒にいたからといって、
いつまでも一緒にいられるわけではないのだ。
 このまま何も気持ち伝えず、ウィラント城に行けば、リナとは別の道を歩むことになるだろう。
 そういう道もあるが、ずっとリナと一緒にいたい気持ちが自分の心の中の大部分を占めていた。
 貴族の令嬢は、早い人では14、5歳で縁談が来るという。正式に来た縁談を断るのは、大変なことだと聞いたことがある。
 リナは、2年後には14歳だ。ウィラント城から2年で確実に帰って来られるという保証はない。
 ――ここで今、リナに想いを伝えなくては、いつ伝えると言うのだ。
 嫌われてはいないと思う。赤い髪が好きだと言ってくれた。
 でも好きなのは、この珍しい赤い髪だけなのかもしれない。そう思うと不安でたまらなかった。
 この想いを伝えることにより、今までの楽しく、心地よい関係も崩れるかもしれない。
 今、気持ちを伝えて――それがどういう結果になるかなんてわからない。
 上手くいくにはきっと、縁やタイミングも深く関係すると思う。父と母を考えてもそうだ。
 離れた父と母が再び出会い、結婚できたことも果てしない縁と運があったからだ。
 だが、一つだけ確実なことは、父はきちんと母に想いを伝えていたということだ。
 親の恋愛模様なんてそんなに知りたいものではないが、演劇で人気の作品なので、
どんな経緯で結ばれたかはよく知っている。
 少々、話は脚色されていると思うが、父が母を想う気持ちは間違いないはずだ。
 2年は長い。その間にお互い色々なことがあると思う。
 この気持ち伝えずにウィラント城に行ったらきっと後悔することになる。そんなのは嫌だった。
 何よりもリナを好きなこの気持ちをうやむやにしてしまうことが一番嫌だった。

 銀のヘアピンを手の中に握り、ゼンJrは決意した。


4.約束

「話って何? 私、これからダンスのレッスンだからあんまり時間がないんだけれど」
 リナはダンスのレッスン用のドレスを着ていた。
 上半身は体のラインがくっきりでる黒ドレスで、スカートはくるりと回ると綺麗な円ができそうな形をしている。
 ゼンJrはリナを見つめて硬直する。
 これから伝えようと思うことを考えると心臓が喉元で鳴っている状態であった。
 二人の間に沈黙が流れる。
「ねえ、話って何?」
「あっ、えっと、あの……」
 ゼンJrはえっと、あの…を繰り返すばかりで肝心のことを伝えられずにいた。顔は赤い髪と同じくらいに真っ赤であった。
「話がないなら私、もうダンスンレッスンに行くから……」
 なかなか話そうとしないゼンJrにしびれを切らせ、リナはスカートを翻し、扉に手を掛けた。
「ま、待って! リナっ!」
 ゼンJrはリナの腕をしっかりと掴む。
 リナの腕は少し力を入れると折れそうなくらい細かった。
 この細い腕であの重い剣を振り回しているなんて信じられなかった。
 ゼンJrは感心してしまったが、今はそんなことに感心している場合ではない。
「お、俺はもうすぐ北のウィラント城に行かなければならないんだっ!」
 真っ赤な顔でゼンJrは喋りはじめる。
「知ってるわ。2年間だっけ?」
「そ、そうだっ!」
 ゼンJrはリナの腕を握る手に力が入る。
「腕、痛いわ。離して…」
「あっ、ごめん」
 自分が握っていた部分が少し赤くなっていた。よく考えれば、青アザを作ってしまった左腕であった。
 悪いことをしたと思ったが、今は気持ちを伝えることに集中しなければならない。
「2年だ。2年は長い。その間に……お互い色々なことがあると思う……」
「まあ……そうね」
「あの……リナにその……2年間の間に、例えば縁談とか来たら困るんだ。だからその……」
「縁談!?」
 リナは思いもかけない言葉がゼンJrから出てきて目を丸くする。
「だからその……俺と婚約してほしいんだ。今すぐに!」
「こん……や…く?」
 リナは固まる。何かの聞き違いだろうか。
『こんやく』という言葉をきいて思いつく単語は『婚約』だ。
 あ、でも。東国にコンニャクという食べ物があると聞いたことがある。コンニャクの間違いではないだろうか?
「婚約?」
 リナは静かに聞き返す。
「ああ、婚約だ」
 ゼンJrは真剣な表情で強く頷く。
「……」
「もしすぐが嫌だったら、婚約の約束でもいい!」
「約束って……あの……私、まだ12なんですけど……」
「知ってる。でも2年たてば14だ。女性は……早い人は14、5で結婚が決まるというではないか。
俺がウィラント城に行っている間に、リナに縁談が申し込まれたら困るんだ!」
 ゼンJrは先ほど話した腕を再び掴む。真剣な表情は変わらない。
「なんで困るの……?」
「リナが他の男に取られるなんて嫌だ!」
「どうして嫌なの?」
「リナが好きだからに決まってるだろう!」
「……」
 リナは真っ赤なゼンJrを見て呆然とする。
 告白される前にプロポーズされてしまったこの状況をどうすればいいのだろう。
 逆だ。順番がまったくの逆だ。リナは深く溜息をつく。
 これは王子様の気まぐれか? いや、このゼンJrは気まぐれなど起こす性格ではない。
 どちらかというと不器用で、気の効いた言葉一つかけられない性格だ。
 そんなところがゼンJrの父である国王とそっくりだと、自分の父と母がぼやいていたことを思い出す。
 リナは考える。
 あと2年もすれば縁談が来るのは王子であるゼンJrのほうではないか。
 クラリネスの第一王子と結婚したい令嬢や他国の姫は山のようにいるはずだ。
 ゼンJrの隣に自分ではない別の女性が並ぶ。
 その姿を自分は穏やかな気持ちで見ていられるだろうか。祝福する気になれるだろうか――。
 リナは大きな目を一瞬伏せて、ふっと笑った。
「ああ、確かに……白雪様が……王妃様が昔、王宮を出て行った気持ちがわかるかも……」
「え? 何か言ったか?」
「ううん、なんでもない」
 リナは軽く首を振った。
「わかったわ。じゃあ、私は母に報告するから、ゼンJrも王妃様に報告してね」
「へ?」
 ゼンJrが間抜けな顔になる。普段からそんな凛々しい顔ではないが更に間抜けな顔になった。
「え? じゃあいいのか? 婚約の約束……」
「うん、いいよ」
 リナは軽く返事をした。
 扉を開けて右に曲がろうとする。
「あ、リナ。ダンスのレッスンの部屋はこっちだぞ」
 ゼンJrは左を指さす。
「ダンスのレッスンなんてどうでもいいよ。今くらい踊れていれば十分。今日は行かない。剣術の稽古なら行くけどね」
 リナはニコリと笑う。
「いいの?」
 ゼンJrは左を指さしたまま聞いた。
「うん、これからお母さまのところへ行く。そうね、もしこのあとダンスのレッスンに行ったら、
疲れて婚約のこと言い忘れてしまうかもしれないわね」
 リナは含み笑いをする。意地悪な笑顔も美しい。
「いいっ! ダンスのレッスンなんてどうでもいい! 行こう! 木々さんのところへまっすぐに行ってくれ!」

 リナを送り出して、ゼンJrは部屋へ向かった。
 婚約の約束のこと。
 リナは早速、木々さんに話してくれるという。自分も母に話さなければならない。
 リナと婚約したいと願ったのは自分だ。だが、親に報告するところまでは考えていなかった。
 ウィラント城に行っている間にお互い縁談が来たら困る。
 貴族や王族の間では当人の気持ちそっちのけで縁談が進められることはよくあるという。
 うちの親や木々さんやミツヒデさんに限ってそんなことはないと思うが、
2年の間にそんな話が一つ二つ出ても不思議ではない。
 まだ何と両親に説明したらいいかわからなかったので、部屋に母がいませんようにと願った。
 この時間だと父はまだ部屋にいないだろう。でも母は弟や妹たちと一緒にいる可能性がある。
 静かに話したいので、弟や妹がいたら話は後にしよう。
 そう思いながら部屋に入ると、母は暖炉の前で一人編み物をしていた。見るからに暇そうである。
「おかえり、ゼン」
 母は編み物から一瞬顔を上げる。
 ゼンJrは何から話し始めたらよいか分からず呆然と立ち尽くす。
 リナを好きな気持ちから話せばいいのだろうか。でも唐突すぎるような気もする。
 ああ、そうだウィラント城に行くから、リナと一緒にいられなくなることから話せばいいのだ。そうしよう。
「どうしたの? ゼン、顔が真っ赤よ」
「あっ、えっと……その!」
 いざとなると言い出すことができなかった。
 考えているだけで顔が真っ赤になってゆくのがわかった。
「ぷっ! 顔も髪も真っ赤で、『ゆでだこ』みたい! 
お母さんも顔が赤くなると『ゆでだこ』みたいって笑われたけど、こういう顔してたのね。ふふふっ」
 母が編み物の手を止めて笑い転げる。
 タコでもイカでもなんでもいい。なんとかリナと婚約したいことを伝えなくては! 
 リナだけに話をさせるわけにはいかないのだ。
 ゼンJrはリナと婚約の約束をしたことを伝え始めた。
 緊張と恥ずかしさで、やはり順序立てて話はできていないらしく、
途中で何度も母から「えっ? 何? どういうこと? 意味わかんない」を繰り返えされたが、
リナと婚約したくて、彼女もそれを承諾してくれたことをなんとか伝えた。
「ええっ! 本当に!? 本当にリナちゃんと婚約したくて、リナちゃんもそれを受けてくれたってこと?」
 母が立ち上がり目を丸くして驚く。驚きの余り編み物の棒を床に落としていた。
「う、うん。婚約は今すぐじゃなくていいんだ。ウィラント城に行く前に、婚約の約束ってことで……」
 自分の顔は『ゆでだこ』を超えてゆで上がって干からびたタコであること間違いない。
 恥ずかしさと緊張で喉がカラカラになっていた。
 床に落とした編み物の棒を拾って母に渡す。
「や、やったー! 木々さ〜ん!」
 編み物の棒を持ったままバンザイをした母は、リナの母の名前を呼びながら部屋から出て行ってしまった。
 部屋に取り残されたゼンJrは何が起こっているのか分からず呆然と立ち尽くす。
「な、なんだ……。何であんなに喜んでいるんだ?」
 自分とリナの婚約に、母と木々さんは手を取り合って喜んでいた。
 婚約の約束はもちろんOKであった。
 母と木々さんは、子供たちの誰かが将来結婚してくれたらいいなと企んで……というかずっと思っていたらしい。
 もしかしたらリナを好きになるように、今までわざと一緒にいる時間を長くされていたのではないだろうか。
 仕組まれていたのかもしれない……。
 父とミツヒデさんは、当人たちの気持ちがあるから、
強要するようなことはしないようにと言っていたらしいが、まんまと母達にはめられたのかもしれない。
 ミツヒデさんは、まだ12歳のリナの婚約にショックを受けたみたいだが、
「ゼンJrとリナが結婚すれば、リナは遠くにお嫁に行かないで、ずっとそばにいるよ」
と木々さんと父と母に諭され、納得してくれた。
 婚約の約束でいいと話したのだが、もう気持ちがあるなら、
しっかりと婚約の方がいいとお互いの両親に押されまくり、正式に婚約の発表が出された。
 ものすごく恥ずかしかったが、色々な人から「おめでとうございます」と声をかけられ嬉しかった。
 リナの兄からも、お互いの気持ちは薄々気づいていたが、
まさかこんなに早く婚約するとは思わなかったと驚かれた。
 でも、これでリナにまとわりつく変な男は減るだろうし、肩の荷が下りたと言われた。
 リナの兄も嬉しそうだったので、これまた安心した。


***

 外の空気はまだ冬の冷たさを残していたが、太陽は日に日に昇る時間を早めていた。
 春が近づいているのである。
 婚約は決まったが、王宮を離れることは変わらない。
 リナとも家族とも当分会えなくなるのだ。寂しくないといったら嘘である。
 剣術の稽古のため、リナと二人で廊下を歩いているときのことだった。リナが突然足を止めた。
「どうした? リナ?」
 リナがスッと腕を前に差し出す。剣が滑って打撲してしまった方の腕だった。
「もうアザは治っただろ? まだ痛むのか?」
 リナが高速で首を振る。
「違う。手、繋いで……」
「えっ?」
「いいから早く」
「あ、ああ」
 リナと久しぶりに手を繋いだ。
 王宮に来たばかりの頃は、お互い小さかったので、よく手を繋いで庭を駆け回っていたものだった。
 だがここ数年は手を繋ぐことなんてなかった。
 リナと手を繋ぐなんて何年ぶりだろう。てのひらの温かさが全身に伝わり熱を持った。
 するとリナに手を引っ張られた。腕を絡ませもう片方の手を添えられ、しっかりと腕を組まれた。
「リ、リナ……」
 リナの身体が密着し、どうしたらよいかわからなくなる。心臓がちぐはぐになっている。
 リナは平然と前を向いて歩いている。
 リナに習い前を向くと、黒髪の近衛兵が歩いてきていた。通りすがりに「チッ」と舌打ちされる。
 ――手を繋いできたのは、そういうことかと思い納得する。
「もうあいつ行ったぞ……」
 ゼンJrはリナから身体を離そうとしたが、リナはしっかりと腕をつかみ離そうとしない。
「もう少し、このままでいようよ」
 リナがゼンJrを見つめてニコリと笑う。
 顔のすぐ真下にリナの可愛い笑顔があって心臓がバクバクしてどうにかなりそうだった。
「あ、ああ……」
 リナに言われそのまま手を繋いで廊下を歩く。
 通りすがる人々にクスクス笑いながら挨拶をされる。
 恥ずかしさと嬉しさが混じったこの気持ちをどう表現したらいいのだろう。
 ただ手を繋いでいるだけなのにこんなに幸せな気持ちになれるなんて……。ゼンJrにとっては新たな発見であった。

***

 春が来て、ウィラント城に旅立つ日が来た。
 両親と弟、妹たち。リナとリナの兄と妹のモクレン。ミツヒデさん、木々さん、オビが見送りに来てくれていた。
 皆に見送りの言葉をかけられる。しばらくみんなと会えないと思うと本当に寂しい思いがした。
 リナは細かい花柄が散りばめられているラベンダー色のドレスを着ていた。
 台形にあいた襟の中央に大きなリボンが付いている。髪は結わずにそのまま降ろしていた。
 緩やかなウェーブが年よりもずっと大人っぽく見せている。
 いつも剣士姿なので、髪は一つにまとめている。ドレス姿は時々しか見ないので思わず見入ってしまった。
「ゼンJr殿下」
 リナが一歩前に出た。笑顔でゼンJrの前に手を差し出した。
「これ私の時計です。持って行ってください」
 リナの手には懐中時計が乗っていた。通常ならチェーンの付いている部分に髪を結わく青いリボンがついていた。リナの瞳と同じ色のリボンである。
「あっ、じゃあ俺もこれを……。俺の懐中時計をリナにあげる」
 ゼンJrは慌ててポケットから懐中時計を出してリナに渡した。
 懐中時計に紐やリボンをつけることは、クラリネスにいる者なら誰でも知っている。
 チラリと両親を見ると、二人とも目をウルウルとさせていた。自分たちのこのやり取りに昔を思い出しているのかもしれない。
「ああ、そうだ。これがあるならいいや」
 ゼンJrは青いリボンのついた懐中時計を大切にポケットにしまい、代わりに胸ポケットからあるものを出した。
 リナに一歩近寄り、彼女の右耳の上にヘアピンを留める。花びらの中央にパールの飾りのついたヘアピンだ。
「黙って持っててごめん。リナの時計があるならこれは返すよ。リナだと思って持っていこうと思っていたんだ」
 ゼンJrはリナの瞳をまっすぐに見つめ笑った。
 リナはヘアピンに触れ、形を確かめていた。花びらとパールのついた部分に触れて、小さく「あっ」と言った。
 ピンに触れたままリナの肩が震える。眉間に一瞬、皺が寄ったかと思うと、大きな瞳からボロボロと涙が零れ始めた。
「な、何で泣くの!? これ返さなかったのそんなに悪かった?」
 鼻をすすりリナは肩を震わせ泣き始める。ゼンJrは突然泣き出してしまったリナに動揺する。リナは「違う」と泣きながら首を振った。
「リナは嬉しくて泣いているから大丈夫よ」
 木々さんが優しく言ってくれた。リナはまだ下を向いて泣いていた。木々さんが隣に寄り添いリナの肩を優しく叩いていた。
 ふと周りを見ると、両親はもちろん、みんな涙を潤ませていた。
 泣かせるようなことをしたつもりはないのに、皆なぜ泣いているのだろう? ゼンJrは不思議でならなかった。
 弟と妹たちは元気に笑って手を振っていた。
 みんなのあたたかな見送りを胸に、ゼンJrは北のウィラントに旅立って行った。


5.手紙

 北のウィラント城に着いて、2カ月が過ぎた。
 仕事と寒さにも慣れ一息ついたところに、王宮から3通の手紙が届いた。
 リナとリナの兄、母からの手紙だった。
 どの手紙から読もうか迷う。3通の手紙を見つめゼンJrは考える。
「ごめんなさい」
 クラリネスの王宮の方に向かって一礼する。リナの手紙を最初に広げた。
 別れ際に泣き出して、ちゃんと見送りができなくて、ごめんなさい。
 婚約してもいいと返事はしたけれど、ちゃんと好きな気持ちは伝えていなかった。
 今度会った時に必ず顔を見て気持ちを伝えたいと書いてあった。
 最後に「林檎王子が大好きです」と締めくくってあった。
 ゼンJrは手紙を読んだまま固まる。
 まさか手紙に「好きだ」なんて書いてあると思わなかった。夢ではなかろうか。
 ゼンJrは思わず目をこする。驚きと嬉しさにもう一度手紙を頭から読み返す。大丈夫だ。やっぱりちゃんと書いてある。
 思わず顔がにやけてしまう。部屋に一人だから誰にも気持ち悪いとは言われないが、はたから見たら、さぞや気持ち悪いだろう。
 リナから貰ったリボン付きの懐中時計も大切だが、この手紙も宝物だ。後でもう一回読み直そう。
 次にリナの兄からの手紙を開封した。
 別れ際にリナが号泣していたのは、自分が大切にリナのヘアピンを持っていて、
それをウィラント城に持っていこうとしていたことに感動したからだと書いてあった。
木々さんが「リナは嬉しくて泣いている」と言っている意味が分かった。
 その後も、俺が行ってしまったことが寂しくてしばらく泣いていたと書いてあった。 
 リナが悲しむのは心が痛いが、寂しいと思ってもらえるのはやはり嬉しかった。自分も会いたいと思う。
 リナはヘアピンも大切に持っていて、時々眺めて笑っていると書いてあった。
 次に母からの手紙を開けた。分厚かった。開封すると分厚い理由がわかった。
 弟たちからの手紙も一緒だったからである。
 母からの手紙は寒い土地に行って体に気をつけるように、
あれやっちゃだめ、これもだめと色々お小言が書かれていた。
 笑顔で見送ってくれた弟と妹たちであったが、実は兄がウィラント城に行く意味を分かっていなかったらしい。
 次の日から兄がいないことに気づき、どうしていないのかと、わんわん泣いていたのだという。
 5歳の弟と3歳の妹が理解できないのはわかるが8歳の弟は事情を分かってもいいだろうと思う……。
 ふと、7歳のとき、自分が初めて王宮に来たときのことを思い出す。
「分からなくても仕方ないか……」
 ゼンJrは手紙を見て笑った。
 手紙を読み進めると、「子供たちが泣いていたのでお母さんも悲しくなって一緒に泣こうと思いました」
と書いてあった。その状況が目に浮かび、思わず「一緒に泣かないでくれ」と叫んでしまった。お腹の子も順調だという。
 文末に父からの手紙もあった。詳しく言ってしまえば、手紙を書くことが苦手な母による代筆の手紙である。
 ウィラントでの心構えなど城を発つ前に聞いた事と被る部分もあったが、最後は体に気をつけるようにと書いてあった。
 8歳の弟からは覚えたばかりの字を書いての手紙だった。
 決して綺麗とは言えない文字で所々間違いもある。だけれども一生懸命書いてくれたということは伝わった。
 5歳の弟と3歳の妹からは絵が入っていた。家族の絵が描いてあった。
 妹が描いたと思われる俺はただの頭が赤く塗りつぶしてあるだけの物体だった。思わず絵を見て笑ってしまった。

 ゼンJrは窓の外を見た。
 春の訪れを告げるモクレンの花が目の前に咲いていた。
 ウィラント城にも遅い春がやってきたのだ。
 モクレンの花を見て思う。
 蓮のように大きな花をつけるモクレン。木々さんの娘、モクレンを思い出してしまう。
 モクレンを思い出せば必然とリナのことを想ってしまう。思わず顔がにやける。
 ダメだと思いゼンJrは赤い頭を激しく振った。
 モクレンの木の枝に続く空を見上げると、綺麗な青空が広がっていた。
 今日は天気が良く、どこまでも澄み渡る青い空は、リナの青い瞳を連想させる……。
 ダメだ! やっぱりリナのことを思い出してしまう。
 リナも父も母も弟や妹たちも遠く離れているけれど、この空の下に必ずいる。
 青い空の下で必ず繋がっているのだ。それだけで今は充分だ。
 リナの隣に並んでもおかしくないよう、しっかりとウィラント城で務めを果たさなければならない。

 ゼンJrはリナの瞳と同じ青い空を見て、満足そうに笑った。
 


♪おわり


はい、番外編まで終わりました〜。

コンニャクはなんと縄文時代からあるそうですよ。だからクラリネスの時代にもある!(笑)
http://kan-etsu.com/knowledge/rekishi/

名前の投票もありがとうございます。リナとモクレンを使わせて頂きました。
サラもよかったんですけどね〜。リナのほうがイメージに合うかなと思い使いました。
モクレンは名前の理由も投票して下さったので、票は少ないですが使わせて頂きました。
番外編まで読んで頂いて本当にありがとうございます。こんなに長く書いたの、初めてです(笑)。
最後まで書けて本当に良かった。それでは、また(^_^)/~





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