赤髪の白雪姫2次小説
夢に見た光景




〜第三部〜


第一部 第二部

10.森から城へ
11.ゼンの宝物
12.最初の夜(R18)
13.結婚式
14.運命の赤  



10. 森から城へ

 ハルカ公爵たちが砦を発ってから1週間後、白雪と小さなゼンも王宮へ向かうことになった。
 ゼンは馬車で白雪と小さなゼンを迎えに行った。
「すごい馬車だね、お母さん!」
「そうね、こういう豪華な馬車に乗るのはゼン初めてだものね」
「うん! 楽しみ!」
 小さなゼンは嬉しそうに頷く。迎えに来た馬車に興奮し、目を輝かせている。
できる限り目立たない簡素な馬車を用意するようにと言ったのに、
迎えの馬車は、美しい装飾のついた豪華なものだった。
 確かにこれよりも派手な馬車はあるが、もう少し目立たない馬車にして欲しかったと思う。
 馬車の中では、小さなゼンが白雪の隣に座り、向かい合わせにゼンが座った。
 親子で初めての乗車である。
 森を出発し、馬車の窓から顔を出してはしゃいでいた小さなゼンであったが、
しばらくすると外の景色を見ることはやめて、座席に落ち着いた。
 白雪の隣で俯いて静かになる。
 騒ぎ疲れて静かになったのだろうと思ったのだが、なんだか違う。
 視線を落とし暗い顔をしている。おかしいと思い、ゼンは息子の様子を伺う。
「どうしたの? ゼン? お腹でも痛いの?」
 白雪もおかしいことに気づいたらしい。小さなゼンの顔を覗きこむ。
「僕は可哀想なんでしょ……」
 小さなゼンは俯いたまま呟く。
「は? なんで?」
 白雪は息子の言葉に固まる。
 俯いて悲しそうな顔をするだけで、理由はなかなか答えてくれない。
「どうしたの? なんで可哀想なの?」
 馬車に乗った時はあんなにはしゃいでいたのに、突然おとなしくなるなんておかしい。
 白雪は息子の顔を覗き込み、真剣な表情で聞く。
「お母さんは……」
 小さなゼンが涙声になる。
「お母さんは何?」
「お母さんは……貴族様のゴサイになって、僕はツレゴで可哀想なんでしょ?」
「連れ子!?」
 白雪の高い声が馬車に響く。
 目を見開いた白雪と視線が合う。お互い3秒ほど見つめあう。
「……だ、誰が言ったの? そんなこと?」
「向かいのおばさん……」
 小さなゼンの目に涙が滲む。
 白雪が額に手を置き「あの噂好きのおばさんだ……」と小さく呟いた。
 世間にはそう思われているらしい。白雪は大きく息をつく。
「連れ子じゃないわ。それだけは確か。別にゼンは可哀想じゃないよ。
お城に行ってみんなで暮らすだけ。ゼン、お城嫌い?」
「ううん、行ってみたい! お城!」
 俯いていたゼンが顔を上げ、元気な声になる。
「大きいゼンもオビもミツヒデさん、木々さんもみんな一緒よ。
もちろんお母さんもずっと一緒だから、ゼンは可哀想なんかじゃない」
 白雪は息子を見つめてにっこりと微笑む。
「本当に?」
「うん、本当!」
 白雪は笑顔で頷く。
「よかった。それに僕はゴサイじゃないよ、ナナサイだよ!」
 小さなゼンは白雪の腕に抱きついた。
「ぷっ!」
 白雪とゼンは同時に噴出し顔を見合わせる。
 後妻、連れ子という単語が小さなゼンから飛び出して驚いたが、
言葉の意味はわかっていないらしい。ゼンはホッとした。
「そうだね、七歳だね。あんなに小さかったのに大きくなったね……」
 白雪は小さなゼンの赤い髪を優しく撫でる。
 その姿をゼンは静かに見つめていた。すると白雪がこちらをハッとした表情になる。
 小さなゼンの頭を撫でる手を止める。
「あっ、ごめん……」
 白雪が気まずそうに視線を反らす。
 ゼンはまただと感じる。
 妃として小さなゼンと一緒に王宮へ来ることを承諾してくれた白雪。
 でもまだ白雪に指一本も触れていなかった。時々こうやって、よそしいときもある。
 子供がいる手前、必要以上に触れあうのはおかしなことかもしれないが、もう少し白雪と距離を縮めたい気持ちがあった。
 それにもう一つ気になることがあった。
 小さなゼンが自分のことを「お父さん」と呼んでくれないのだ。
 白雪と再会した日。
 自分が父親だということは言わないで欲しいと白雪から言われた。
 小さなゼンは今まで父親はいないと言われてきたようだ。
 デリケートな問題なので、自分から名乗り、驚かせてしまうのも問題だ。
 溝になるようなことはしたくない。白雪が時期を見て伝えるはずだと思っている。
 これからずっと一緒にいられるのだから急ぐ必要はない。そう言い聞かせた。
「ちょっと何してるの! もう大きいんだからそんなにくっつかないで!」
 小さなゼンが白雪に笑いながら抱きつき、膝の上に頭を乗せていた。
 狭い馬車の中で白雪は息子から逃げようとする。小さなゼンの頭を抱え起こそうとしていた。
「ほら、ちゃんと起きて!」
「やだ、眠い」
 白雪の膝の上に完全に赤い頭を乗せて腰に抱きつく。
「眠いの?」
「うん」
 目をつぶったまま頷く。
「もう……」
 白雪は膝の上に乗っている小さなゼンの頭をそのままにする。
 赤い頭に手を置くと、小さなゼンは数回瞬きした後、ゆっくりと目を閉じた。本当に眠ってしまったらしい。
「寝ちゃった……何か身体の上に掛けるものないかな?」
 白雪がキョロキョロと馬車の中を見回す。
「じゃあ、これを……」
 ゼンはマントを外し、そっと小さなゼンの身体の上にかけた。
「ありがとう、ゼン」
 そう言うと、白雪は窓の外へ視線を移した。
 森を出てさほど時間がたっていなかったので、窓の外にはのどかな田園風景が広がっていた。
 日が落ちると一気に冷え込む時期だったが、昼間は春の風が心地良かった。
 白雪は気持ちよさそうに窓の外を見つめている。
 時々、白雪は目を閉じていた。
 そのまま寝てしまったのかと思うと、頬が優しく緩み、うっすらと笑っていた。
 しばらくすると、ゆっくりと目を開けてゼンの方を見る。
「どうかした?」
 視線が合い、白雪に笑顔で聞かれる。
「いや……何も……」
 ――見とれていた。
 と言おうと思ったが、恥ずかしくて言えなかった。
 白雪はまた窓の外の景色を見つめる。幸せそうに微笑むその横顔はゼンの心を優しく満たしていった。

***

 馬車から見える風景が徐々に森から街へと変わっていった。
 クラリネスの首都に近づいてきているのだ。
「お店がいっぱい、人もいっぱいだね!」
「そうだね」
 白雪は息子と一緒に窓の外を見る。
 小さなゼンと過ごした森の近くにも街はあった。
 何回か一緒に買い物も行ったこともあるが、首都の街とは規模が違う。
 人の多さ、店の多さ、行き交う人々の活気。小さなゼンにとっては目に映るものすべてが珍しく、馬車の中でずっとはしゃいでいた。
「ほら、もうすぐ城が見えてくるぞ」
 向かいに座っているゼンが馬車の窓から遠くを指さす。
「わあ、本当だ。お城だぁ〜」
 小さなゼンは馬車から身を乗り出す。馬車が進むにつれて迫ってくる城に興奮する。
「すごいね、おかーさん! お城すごいね!」
小さなゼンは同意を求める。
「そうだね。もうすぐお城に着くから座ろうか……」
 窓から顔を出しているゼンの服を引っ張り隣に座らせる。
 まっすぐに座って行儀よくしなさいと言うと、小さなゼンは「うん」と笑顔で頷いてそのとおりにした。
 馬車が城に到着した。
 ウィスタル城の一番大きな門の前で馬車は停車する。
 白雪が顔なじみのカイとシイラが門番をしている詩人の門ではない。
 ウィスタル城の正門の方だ。確か星影の門という名前だったはずだ。
 ゼンが出迎えの貴族や門番たちと話をしていると、その間、何人もの人に馬車の中を覗き込まれた。
 そのあとのひそひそ話が白雪の耳に入る。
 ――こうなることはわかっていた。
 白雪は息子の手を握り、覗き込む人たちと目は合わせないようにした。
 8年の時を経て、宮廷の元薬剤師が、第二王子の子を連れて戻ってきたのだ。
 好奇の目で見られるのは仕方がないことだ。自分では分かっていた。
 心配なのは息子のゼンだ。この視線に耐えられるだろうか。
 王宮でどれだけの人が、どんな視線を向けてくるのだろう。そう思うと不安でたまらなかった。
 馬車は星影の門から王宮内を進み、表玄関に到着した。
 最初に、イザナ陛下に挨拶をしに行かなければならなかった。
 王宮へ入る手前の街で、ゼンが用意してくれた服に着替えた。
 木々が選んでくれた服だという。
 白雪の服は髪色に合わせた落ち着いた朱色のワンピースだった。
 シンプルなデザインだが襟元と袖口に美しいレースが装飾されている。
 小さなゼン用には飾りボタンのたくさんついた白い上着とズボンのセットが用意されていた。
 上着のボタンはゼンの瞳と同じブルーで、真っ白な上着によく映えて綺麗だった。
 サイズもピッタリで、さすがは木々さんと拍手を送りたい気持ちになった。
「この服ちょっと重いね〜」
 着慣れない服に小さなゼンは肩をもそもそと動かす。
「そうだね。でもゼン、とっても格好いいよ!」
「うん、似合っている。格好いいな!」
 ゼンも向かいの席で満足そうに頷く。
 小さなゼンが白雪を見つめてニコリと笑う。
「お母さんのお洋服もかわいいね」
「えっ、そう? ありがと」
「うん……か、かわいいぞ!」
 大きなゼンが顔を赤らめる。
 ダブルゼンに褒められ、白雪は少し嬉しい気持ちになった。
「じゃあ、馬車から降りるぞ」
 ゼンに手を引かれ、白雪と小さなゼンは王宮に一歩を踏み出した。
「白雪!」
 馬車から降りるとすぐにミツヒデと木々に迎えられた。別の馬車に乗ってきたオビとも合流する。
「木々さん、服を用意して頂いてありがとうございます。私もゼンもサイズがピッタリです」
 白雪は小さなゼンの背中に手を掛ける。
「よかった」
「ミツヒデさんもありがとうございます。お子さんの具合はその後どうですか?」
「ああ、もう元気いっぱいだ。心配してくれてありがとう」
 ミツヒデの優しい笑顔に安心する。
「それにしても……すごい人ですね」
 後ろからオビが小さな声で呟く。
 白雪は眼球が動く範囲で左右を見回すと、予想以上の人がいた。
 第二王子一行を本当に迎えに来た人や衛兵たちもいるが、
大半はやじ馬であることはわかった。迎えの人々も衛兵も多すぎる。
「これは非番の衛兵も出勤していますね……。お嬢さん、大丈夫?」
「うん、だいたい想像はついたから私は大丈夫……」
 白雪は小さなゼンに視線を移す。
 王宮の高い天井を見つめ、口を開けてポカンとしている。
 王宮の広さと人の多さに驚いて声も出ないらしい。だが、今のところ怖がっている様子はなかった。
「じゃあ、早速、兄上のところへ行こう!」
 ゼンを先頭に王宮の奥へと進んで行った。
 白雪は小さなゼンの手を引いて後について行った。
 玄関ほどではないが、内部にもたくさんの人がいた。
 人々の好奇の目は白雪にも注がれているが、それよりももっと小さなゼンに注がれていた。
 時々「あれがゼン殿下の子?」「髪が赤い、でもゼン殿下にそっくりだ」と囁く声が白雪の耳にも入った。
 白雪は我が子にそっと視線を移す。最初は驚きでポカンと口を開けていたが、
いつのまにかその口は閉じていた。
 次第に不安そうな表情に変わってゆく。白雪の手を握る小さな手にも力が入ってゆく。
 イザナ陛下のいる謁見の間に着いた。
 扉が開かれると、真正面の玉座にイザナは腰かけていた。周りには貴族や高官らが囲む。
 明らかにこの部屋にも人が多かった。その中に、ハルカ公爵の姿を見つけた。
 すぐに目が合い、白雪は目礼する。ハルカ公爵も小さく頷いてくれた。
「兄上、白雪を連れて戻りました」
 ゼンが挨拶するとイザナはゆっくりと微笑む。
 その顔は青白く痩せていた。ゼンから聞いていたが病気だと言うのは本当なのだ。白雪はゴクリと唾を飲む。
「大変ご無沙汰しております、イザナ陛下。白雪です。こちらは息子です」
 白雪は小さなゼンの両肩に手を添えて、一緒に深く頭を下げた。
「ほう、それが子か……」
 イザナは小さなゼンを上から下までじっくりと見つめる。
 天井の高い大広間。大勢の人の視線、そして緊迫感。
 大人でもこの緊張した雰囲気に飲み込まれ、息が苦しくなる。
「ゼン、ご挨拶して」
 白雪は小さなゼンの肩を軽く叩く。
 何も反応がない。
 おかしいと思い視線を落とすと、小さなゼンの肩が小刻みに震えていた。白雪はハッとなる。
「ゼン、馬車の中で何度もご挨拶の練習したでしょ。言ってみて」
 白雪は小さな声で言う。息子の震えは止まらない。
 方々から「挨拶もできないの?」「7歳にしては小さいわね」「殿下の子をあんなにやせさせて……」と囁く声が聞こえた。
「ゼン、お願い。ご挨拶して」
 もう一度小さなゼンの肩を優しく叩く。
 震えが嗚咽に代わる。「ああ、ダメだ」と白雪は心の中で呟いた。
「うっ……ひっく……ひっく」
小さなゼンは白雪の背後に隠れその場で泣き出してしまったのである。
「すみません、兄上。白雪も子も長旅で疲れています。挨拶はまた今度にして下さい」
 ゼンは兄に向かって頭を下げる。
 イザナは玉座に座ったままフッと笑った。
「なるほど、泣き虫なところも含めてゼンそっくりだ。これなら誰も疑う者はいないだろう……」
「なっ! お、俺は泣き虫などではありません!」
「今は、だろう。昔はよく泣いてたじゃないか」
 イザナは面白そうに弟をからかう。
「な、泣いてなどいません!」
 ゼンは必死になって言い訳する。
「まあ、いい。今日はゆっくり休め。白雪たちの部屋はゼンの部屋のすぐ近くに用意してある。長旅の疲れを取るように……」
「はい、申し訳ありませんでした」
 白雪はイザナに深く頭を下げ、ゼンと一緒に退出した。

***

「いやぁ〜あれは怖いですよね。俺もお嬢さんのお尻に隠れて泣きたかった」
 オビが泣きまねをする。
「オビ、お前は泣かなくていい。お尻も余計だ」
 ゼンに頭をポカリと軽く殴られる。
「本当に、すごい人だったね」
「ああ、予想以上だ」
 ミツヒデと木々も顔を見合わす。
 ゼンは、白雪と泣いている息子を自分の部屋まで案内した。
 王宮の雰囲気と人々の視線に耐えられず泣き出してしまったゼンの涙は、まだ止まらない。
 白雪に抱きついてずっと泣いていた。
「ごめんな、ゼン。怖い思いさせて……」
 ゼンは息子の赤い頭を優しく撫でる。
 小さなゼンは一瞬振り向いたが、笑顔を見せることなく白雪の胸の中に収まる。
「木々様、ミツヒデ様。いらっしゃいますか?」
 扉の外から声がした。木々が向かうと、女官が男の子と女の子を連れていた。
「わあ、木々さんとミツヒデさんのお子さんですね。はじめまして!」
 二人の子は照れているのかミツヒデと木々の後ろに隠れていた。
 だが興味深そうにこちらをじっと見ている。
「ほら、挨拶して……」
 木々に促され男の子のほうが前に出る。木々から5歳だと聞いていた子だ。
「こ、こんにちは」
 照れながら小さな声で挨拶してくれた。
「こんにちは。うちにも男の子がいるの。ゼンっていうのよろしくね」
 白雪が息子のゼンの背中を押した。まだ涙が止まらず泣き顔であった。挨拶どころではない。
「こんにちは!」
 女の子のほうが元気よくミツヒデの後ろから顔を出した。
木々とミツヒデの良いところを凝縮した西洋人形のような可愛い女の子だった。
「さすがは木々さんとミツヒデさんの子! 二人とも可愛い!」
 白雪が悶絶するように叫ぶ。すると女の子のほうが泣いているゼンの前に立ち顔を覗き込む。
「どうして泣いているの? お兄ちゃんより大きいのにおかしいね」
 大きな目をクリクリとさせて不思議そうに言った。ミツヒデが慌てて娘を抱き上げる。
「ほら、ゼン。ゼンより小さい子の前でずっと泣いてばかりじゃおかしいよ。もう泣くのはやめよう」
 白雪が一度、ゼンの赤い頭を撫でる。小さなゼンは大きく一度しゃくりあげた後、呼吸を整える。
 まだ泣き顔であったが涙は止まったようだ。
「お嬢さん、ちょっといいですか? 次のお客様ですよ」
 扉の前に立っているオビが白雪に向かってウインクする。
「お客様?」
 白雪は立ち上がり扉の方を見る。すると扉から見覚えのある白衣がチラチラと見え隠れしていた。
「えっ!?」
 白雪がハッとなる。声を上げた次の瞬間には、白衣の集団が部屋に流れ込んできていた。
「白雪君!」
「白雪さんっ!」
 薬室のガラク、八房、リュウ、ヒガタが白雪に会いに来たのだ。
 白雪はガラクに抱きつかれる。
「白雪君っ! ごめんなさい、ごめんなさいねっ! 会いたかったわ!」
「や、薬室長!」
 ガラクに号泣される。白雪との久々の再会にリュウをはじめみんな涙ぐんでいた。
「薬室長、本当にご心配おかけしました。リュウもこんなに大きくなって……」
 自分より大きく成長してしまったリュウの姿に白雪は驚く。8年ぶりで懐かしい思いでいっぱいだった。
「こっちが白雪君の子ね? ああ、なんてかわいいのかしら!」
 号泣しながらガラクは小さなゼンに抱きつこうとする。
 白衣姿で号泣している見知らぬおばさんに迫られ、小さなゼンはギョッとする。
「ひいいっ!」
 小さなゼンは怯えて白雪に抱きつく。
「や、薬室長。すみません、今は落ち着かないので抱きつかないでくださいっ!」
 ガラクはリュウとヒガタに止められる。
「ご、ごめんなさいね。感動してつい……。そうだ、八房、例の物を!」
 ガラクが八房に向けて手を差し出す。分かっているように八房は書類の束を渡した。
「はい、白雪君。これに目を通して」
「何ですか? これ?」
 白雪は書類を受け取り不思議そうにたずねる。
「流行病の治療薬の論文よ。白雪君の名前を筆頭に論文にしようと思うの。
白雪君の調合した治療薬、すごいわ! これで沢山の人が救われる!」
 ガラクは白雪の両肩に手を置く。
「そんな……いいです。私なんかを筆頭の論文なんて……」
 白雪は恐れ多くて左右に首を激しく降る。
「薬を調合したのは白雪君よ。白雪君が筆頭になるべきよ!」
 ガラクの言葉に八房もリュウもヒガタも頷く。
「流行病にかかっている人みんなに行き渡るよう、少し処方を加えました。白雪さん、一度、目を通して下さい」
 リュウが説明する。
「この薬の効果が認められれば、近隣の国に輸出だってできる。
どんなに偉い貴族でも、白雪さんに何も言えなくなりますよ」
 八房が言った。
「なるほど、それはすごいな」
 ゼンをはじめ皆が納得する。
「それに白雪さん、薬室への復職認められたんでしょ?」
「はい」
「それなら尚更、薬室でも頑張ってもらわないとね! 白雪君はこの王宮に必要な大事な宮廷薬剤師ですもの!」
「薬室長……」
 みんなの優しい気持ちに、白雪の瞳には涙が滲む。
「ありがとうございます。薬室長、みんな……」
ガラクから渡された書類に顔を伏せ、白雪は泣き顔を隠した。
「良かったな、白雪」
 ゼンが顔を伏せたままの白雪の肩に手を置くと、小さく「うん」と頷いた。
「まだ王宮に戻ってきたばかりで落ち着かないと思うけど、早めに薬室にも来てね」
「そうですよ、白雪さん。待ってます!」
 ガラクをはじめ、みんなに見つめられる。この王宮に戻ってきてよかった――。
 白雪は嬉しい気持ちでいっぱいだった。
「はい、ありがとうございます!」
 白雪は深くみんなに向かって頭を下げた。

 白雪との再会を果たしたガラクたちは、薬室へと帰って行った。
 しばらくすると、女官たちから夕食の準備ができたとゼンに伝えられた。
「夕食の用意ができたみたいだ。ゼン、お腹空いているだろ?」
 ゼンがやっと泣き止んだ息子に声をかけた。
 真っ赤な目をしたゼンは小さく頷いた。
「じゃあ、ご飯にしようね。王宮の食事おいしいよ!」
 白雪が息子の背中を叩く。
 オビ、木々、ミツヒデとその子供たちと一緒に食事の用意してある部屋へ行った。
 金色の刺繍が四隅に入った真っ赤なテーブルクロスの上に豪華な食事が用意されていた。
 テーブルの中央にはアンティークな燭台があり、ろうそくの炎が美味しそうな食事を照らしていた。
 白雪と小さなゼンは大きなテーブルに案内される。
「すごい……」
 小さなゼンは目の前の食卓に目を見開いていた。
「ゼン、ここに座って」
 白雪が椅子を引く。大人用の椅子なので小さなゼンには高かった。ゼンは椅子によじ登る。
「白雪、ゼン。よく王宮に来てくれた。みんなも今日はありがとう。では食事にしよう!」
 ゼンの声で、みんな「いただきます」と言って食べ始める。
 小さなゼンも小さな声で「いただきます」と言った。
 白雪はナイフとフォークを手にする。
 緊張で空腹も感じなかったが、よく考えるとお昼から何も食べていなかった。
目の前の食事にお腹がぐぅと鳴りそうだった。
 食事を口に運ぼうとしたその時、ふと隣のゼンが気になった。
 ゼンは強張った表情で料理を前に固まっていた。
 食べようとしていなかったのだ。どうしたのかと思い白雪は息子の顔を覗き込む。
「どうしたの? ゼン。食べないの?」
 小さなゼンはまっすぐに料理を見つめたままだった。好き嫌いはあまりないはずだ。
 少なくとも今、食卓に上がっているもの中で嫌いな食べ物はない。
 なのにゼンは食べようとしていなかった。今にも泣きそうな顔をしていた。
 白雪は皿の周りに置かれている沢山のナイフとフォークを見つめてハッとなる。
 小さなゼンは食事のマナーなど知らない。
 皿の周りにずらっと並ぶナイフとフォークに戸惑っているのだ。
 今までの白雪と二人の食事ではスプーンとフォークの1種類しか使ったことがない。
 何本ものナイフやフォークを使うような料理は出していなかった。
 テーブルを囲むみんなの視線が小さなゼンに集中する。
 するとゼンが立ち上がった。
 小さなゼンのテーブルの前まで行き、皿の周りに並んだフォークとスプーンの中で
一番小さいものを一組取った。あとはすべて片付ける。
「これを使って好きに食べていいぞ、ゼン」
 小さなゼンの顔から不安げな表情が消える。
「うん!」
 小さなゼンは笑顔で頷くと、フォークとスプーンを取り、目の前ある食事に手を付け始めた。
「白雪もマナーなんか気にしないで食べていいぞ」
 ゼンに言われ白雪は苦笑いする。
「私は……なんとか思い出します」
「そうですよ、お嬢さん。食事なんておいしく食べられればいいんですから!」
 テーブルの上に肘をつき、肉をほおばりながらオビが言った。
「オビ、お前はマナーを気にしろ!」
 白雪の隣で小さなゼンはおいしそうに食事を口に運ぶ。
 カチャカチャとスプーンとお皿の当たる音が響いた。
「ゼン、音は立てちゃだめよ……」
 小さなゼンの手に白雪はそっと触れた。
「いいぞ、そんなの気にするな!」
 ゼンはそう言ってくれたが、後ろに控える女官たちのひそひそ声が白雪の耳には届く。
「うまいか? ゼン?」
「うん、おいしい! でもお母さんの料理もおいしいよ!」
 小さなゼンが食事をほおばりながら言った。
「そうだな、白雪の料理はおいしかった!」
「お嬢さんの料理は本当にうまいですよね! そうだ、今度作って下さいよ!」
「私も白雪の料理、久しぶりに食べたい!」
「俺も!」
 みんなの視線が白雪に集まる。小さなゼンも嬉しそうに笑っていた。
「今度また……時間のある時に……」
白雪は照れくさそうな笑顔になった。
 
***

「じゃあ、ゼンお休みなさい。今日は色々ありがとう」
「おやすみなさい」
 白雪と小さなゼンが就寝の挨拶をする。
 夕食が終わり、今日は早めに休むことになった。
 オビもミツヒデも木々も自分の部屋に帰っていった。
 食事をして少し元気になったが、小さなゼンは不安そうな顔をしていた。白雪にぴったりとくっついている。
 初めての王宮、兄への謁見、大勢の人々の好奇の視線、慣れない食事。
 小さなゼンには驚きと不安の一日であったに違いない。今夜はゆっくり休んで欲しかった。
「ああ、おやすみ」
 ゼンは笑顔で手を振る。
 白雪の部屋は、ゼンと隣の続き部屋を用意してあった。
 二人はゼンに背を向け部屋に入ってゆく。
 扉が閉まり、ゼンは一人部屋に残される。
 いつも仕事が終われば一人だったが、今日はなんだか違うような気がする。
 部屋の空気がいつもより静かなような気がした。誰もいない静まり返った部屋はゼンを孤独にした。
 白雪は妃としてこの王宮に来ることを了承してくれた。
 8年前、白雪を突然失ったショックを考えると、今は信じられない幸せな状況だ。
 だけど何か心にぽっかり穴が開いたような感覚がした。
 白雪にとって子供が一番だということはわかる。ゼンも充分に理解しているつもりだった。
 扉一枚隔てて白雪は存在するというのに、何故か遠くに感じられた。
 人間はなんと贅沢な生き物であろう。
 望んだ幸せが目の前にあるのに、もっと白雪と一緒にいたい、彼女に触れたいという思いがあった。
 ゼンが呆然と部屋で立ち尽くしていると、扉の向こうから声が聞こえた。

「おかーさん、森にはいつ帰るの?」
「え? 森にはもう帰らないわよ。これからはお城で暮らすって言ったじゃない」
「なんで? やだよ。森に帰る。お城より森のほうがいい」
「なんでって……もう森には戻らないの。ここでみんなで暮らすのよ……」
「どうして……やだよぅ……」

「もう寝よう。今日はゼン、疲れたね。寝よう!」


 扉の向こうから、小さなゼンの泣き声と白雪の慰める声が聞こえた。
 ゼンは青くなる。
 自分が寂しがっている場合などではない。
 ずっと森で育った小さなゼン。
 王宮のことも王族のことも何も知らずに今まで育ってきた。戸惑うのは当然である。
 なんとかこの環境に順応してもらわなければならない。
 小さなゼンに王宮に来て良かったと言ってもらいたかった。
 白雪に幸せだと感じてもらいたかった。
 この道を選んだことを決して後悔して欲しくない。
 二人を守らなければならないのだ。
 ゼンは自分の感情は心の奥底にしまい、妻と子供のことを第一に考えることにした。



11.ゼンの宝物

 白雪は久々に薬室の制服に身を包んだ。
 制服を着るとやはり身が引き締まる。白雪は鏡の前で全身をチェックし、身なりを整える。
 今日は流行病の論文のため、薬室へ行かなければならなかった。
 論文の資料を持って部屋を出ようとする。
「お母さん! どこに行くの!」
 息子の必死な声が聞こえた。振り向くと青い顔をしてゼンが立っていた。
「少しだけお仕事に行ってくる。ゼン、お留守番しててね」
 白雪は息子と同じ目線になり笑顔を作る。
「やだ! 行かないで! 一人にしないで!」
 小さなゼンが白雪に抱きつく。
「一人じゃないよ。オビがいるでしょ。オビと一緒に今日は留守番ね」
「やだ、行かないで……」
 小さなゼンは白雪の白衣をギュッと掴む。その力が思いのほか強くて白雪の心がギュッとなる。
「じゃあ一緒に行く? 薬室長がゼンも来ていいって言ってたし」
 白雪は心苦しい気持ちを表に出さずにニッコリと笑う。
「部屋の外に出るの?」
「そう、部屋の外に出て渡り廊下を渡って、その向こうに薬室はあるからね」
「やだ、外行かない!」
 小さなゼンは怒ったように首を横に振る。
「そう……じゃあオビとお留守番しててね。よろしくお願いします、オビ」
「了解です、お嬢さん」
 オビがゼンの肩に手を置く。
「早く帰ってきてね。絶対だよ!」
「はいはい」
 白雪は返事をしながら扉を開ける。外に出ると小さなゼンも一緒に出てきた。
「絶対、絶対早く帰ってきてね!」
 ゼンが白雪に向かって強く手を振る。白雪も息子に笑顔で手を振り返した。
 小さなゼンとオビに見送られ、廊下の角を曲がった。
 白雪は書類を抱きしめ、大きく溜息をついた。
 小さなゼンはこの王宮に慣れてくれなかった。
 一歩、部屋の外へ出れば、好奇の目が寄せられる。
 すべての視線が敵意のあるものではないが、小さなゼンにはこの視線が耐えられないらしい。
 部屋の外へ出ることを極端に嫌がるのだ。
 森とは全く違う、広い王宮での生活も不安をあおる。
 用事があり白雪が少しでも部屋の外へ出ようとすると、ゼンは真っ青な顔で追ってくる。
 白雪がどこかへいってしまうのではないかと思うらしい。
 小さなゼンにとって頼れるのは自分しかいないのだ。そう思うと、胸が苦しくなる。
 たかが数時間仕事へ行くだけなのに、こうも惜しまれると落ち込んでしまう。
 白雪は書類を抱きしめたまま廊下で立ち止まる。
 やっと手がかからなくなったと思ったのに……
 自分のことは自分でできる年齢になったのに、今更こんなことになるなんて……。
 本当に、ゼンを王宮に連れてきて良かったのだろうか。
 あのまま森で静かに暮らしていた方が幸せだったのかもしれない。
 そう思うと、たまらなく不安になる。ゼンが可哀想でならなかった。
「白雪さん、どうかしましたか? ご気分でも悪いんですか?」
 衛兵に呼び止められる。
 気づけば書類を抱きしめたまま廊下で立ち止まっていた。
 衛兵が心配そうに顔を覗き込んでいた。
「あっ、ああ、すみません。何でもないんです」
 白雪は笑顔を作り衛兵に会釈する。書類を持ち直し薬室へと向かった。


***

 少しずつ薬室の仕事を始めながら、白雪は王宮で毎日を過ごしていった。
 小さなゼンは相変わらずだった。何度か一緒に部屋の外へ出ようと試みたが、
通りがかりの貴族やメイド、衛兵からの視線が小さなゼンに集中する。
 ゼンが子供をあまりジロジロ見ないで欲しいと注意してくれたらしいが、その効果は感じられない。
 今日はゼンが外で遊んでくれた。
 外と言っても部屋からすぐそこの庭のような場所で、外とは言えないかもしれない。
 だが、周囲の視線を気にしてずっと部屋に引きこもっていたゼンにとっては少しの進歩だ。
 オビと思いっきり体を動かして遊んで疲れたせいか、今日は早々にベッドに入って眠ってしまった。
 ぐっすり熟睡している寝顔を見ると久々に安心する気持ちになる。
 大きい方のゼンは、仕事が終わって先ほどまで部屋にいたのだが、イザナ陛下に突然呼び出されて出て行ってしまった。
 こんな夜に何の用だろう。王宮に馴染めないゼンについて何か言われたりしないだろうか? 
 白雪は少々不安になる。
 眠っているゼンを起こさないよう、ランプの灯りを小さくして論文の資料を読んでいたときだった。
 隣のゼンの部屋で扉の開く音がした。続いて何か戸棚を開けているようなガサゴソとした音がする。
 白雪は立ち上がり、ゼンの部屋を覗く。
「オビ! 何しているの?」
 部屋にはオビがいた。オビはイザナに呼び出されたゼンと一緒に護衛として出て行ったはずだ。
 オビ一人で一体何をしているのであろう?
「あ、お嬢さん。ちょっと主の探し物です」
 オビはゼンの机の引き出しを開けて何か探していた。
「探し物?」
「ええ、主の大事な宝物だそうです。ええと、この辺りの引き出しって言われたはず……」
 オビは引き出しの中を覗き込む。
「あっ、あった。これだ!」
 オビは引き出しの中から、手のひらほどの丸い銀色の物体を取り出す。
 その丸い物体には赤い紐のようなものが付いていた。
「まったく。主、胸ポケットにしまったとか言っておきながら、ちゃんと引き出しに入っているじゃないですか。主の思い違いだな」
 オビは赤い紐のついた銀色の物体を手にする。
 それは古びた懐中時計だった。
 銀色の上蓋が付いている懐中時計で、通常だとチェーンがついている場所に赤い紐がついていた。
 銀色の上蓋は傷だらけで、中身の時計は針が止まっていた。時計としてはまったく機能しないものである。
「こ、この時計!」
 白雪は目を見開く。
 時計には見覚えがあった。見覚えというよりも過去に自分が手にしていたものであったからである。
 銀色の懐中時計は、白雪がゼンにあげたものだった。
 タンバルンのラジ王子から招待を受けてゼンの時計を借りたのだが、
壊してしまい、そのお返しとしてゼンに渡した時計だった。
 時計についている赤い紐は、ゼンと別れた最後の夜に髪を縛っていた髪紐であった。
 赤い髪と同じ色を選んだのでよく覚えている。
「どうしてここに……」
 白雪は銀色の時計を見つめる。
「主の宝物だそうです。いつも肌身離さず8年間持っていましたよ」
 オビは白雪に時計を渡した。
 懐中時計の銀色の塗装は剥げていて、時計の針も止まっていた。
 赤の髪紐は所々擦り切れている。こんな古めかしい壊れた時計、一国の王子が持つものではない。
「なんで? なんでゼンが……」
 白雪の頬に涙が伝わる。
 どうしてこんな古くてきたない時計をゼンは持っているのだろう。それも宝物だなんて……。
「イザナ陛下の部屋に向かう途中で、時計がないって大騒ぎしていましたよ。
落としてなくしたんじゃないかって……。おっ、噂をすれば主だ」
 扉の開く音がした。ゼンが部屋に入ってきた。
「もう胸はかしませんからね、お嬢さん。主の胸を使ってください」
 オビはウインクしながら白雪の肩を優しく叩いた。そのまま部屋を出て行った。
 扉の閉まった部屋にゼンと二人きりになる。
「ああ、やっぱり部屋にあったのか。よかった、落としたんじゃなくて」
「どうして……どうしてこの時計……」
 白雪は涙を流しながら時計を見つめる。時計を持つ手が震える。
「俺の宝物だ。今まで白雪と俺を繋ぐ唯一のものだったからな」
ゼンは白雪から笑顔で時計を受け取る。
「こんな古くてきたない時計、王子の持つものじゃないよ……」
 白雪は震える声で言った。
「古いとかそういうことは関係ないんだ。この時計があると白雪が側にいるような気がしていつも身に付けていた。
もう白雪が側にいるから時計がなくてもいいはずなのにな……。これがないと、どうにも落ち着かない」
ゼンは時計をしっかりと握る。白雪を見つめ笑顔になる。
「ごめんなさい……」
「え?」
「ごめんなさい、ゼン……」
 白雪はすすり泣く。次から次へと涙がこぼれ落ちた。
「どうして謝るんだ? 白雪?」
「8年前……ゼンは婚約を解消してくれるって言ったのに……勝手に出て行ってごめんなさい!」
 白雪はゼンの胸に飛び込んだ。
ゼンは驚き、手に持っている時計を床に落とす。銀色の時計はコーンと大理石の床を鳴らした。
「し、白雪?」
 白雪は肩を震わせ泣いていた。どうしたらよいか分からないゼンはそっと背中に手を置く。
「離れればゼンのこと忘れられると思ったのに……そうじゃなかった……。
ゼンのことやっぱり忘れられなかった。ずっとずっとゼンのことが好きだった……」
 白雪が腕の中で声を上げて泣く。
 震える肩が少し力を入れれば壊れてしまいそうなくら細かった。
 久しぶりに触れた白雪の身体である。
「白雪!」
 再会してから白雪の気持ちを聞くのは初めてだった。
 妃の件を了承してくれたのは、ハルカ公爵の説得と子供のためで、
白雪の心はもう自分にはないかもしれないという不安もあった。
 腕の中で泣き続ける白雪を強く強く抱きしめる。赤い髪に顔を埋めると、この髪の柔らかさが懐かしかった。
 腕の中に入る華奢な身体も恋しくてたまらなかった。温かなぬくもりが愛しい。
 すすり泣く白雪をしっかりと抱きしめた。
「そうだ、白雪。一つ報告があるんだ」
「何?」
 白雪は涙に濡れた顔を上げてゼンを見つめる。
「結婚式をすることになった」
「え?」
 白雪がきょとんとした顔をする。
「兄上から結婚式をするようにと、先ほど言われた」
「は?」
 ゼンの言葉に呆然としている。
「その……俺は2回目だから式のことは言い出せなかったんだが、
兄上からけじめをつけるためにも結婚式をするようにと言われた。
そこで小さなゼンの……子供のお披露目も兼ねる」
「ゼンの……」
 白雪は小さく呟く。
「もう日取りも決まっている。来月だ。これから忙しくなるぞ、白雪!」
「来月!? 早すぎない?」
 白雪は驚いて目を見開く。
「兄上にはもうあまり時間がないからな……」
 ゼンの寂しそうな表情に白雪はハッとなる。
「日が迫っているから、ドレスとか色々、白雪の思いどおりにならないこともあると思うが……」
「ドレス……?」
「着るだろ? ウェディングドレスというものを。女性は色々こだわりがあるんじゃないのか?」
 白雪が首をかしげる。俯きながら「来月、結婚式、ゼンのお披露目……」とブツブツ呟いていた。
「どうした白雪。結婚式は嫌か?」
「ううん、とんでもない! 自分が結婚するなんて……なんか信じられない。
つい最近まで森の奥にいたのにと思って……。実感がわかないというか、なんというか……」
「う、嬉しくないのか?」
 ゼンは不安になる。
「えっ! ううん、嬉しいよ。うん、多分嬉しい!」
 白雪は笑顔を作って頷く。
「そうか、それならよかった!」
「きゃっ!」
 ゼンは再び白雪を腕の中に収める。
 赤い髪に軽くキスをした後、肩から背中にかけてゆっくりと手のひらを動かす。
 白雪も素直に腕の中に収まっていた。
 しばらくすると、白雪がゼンの腕にそっと手を掛けた。
「あ、あのっ……」
「なんだ? 白雪?」
 ゼンは顔を上げる。何か言い出そうとしているようだ。
「えっと……ゼンのものになるのは……やっぱり結婚式が終わってから?」
「えっ? それはどういう意味だ?」
「……」
 白雪が胸の中で無言になる。背中に腕が回り白雪の身体が密着する。
「子供がいると……もうそういうことイヤ?」
 ゼンはハッとなる。『そういうこと』とはきっと自分が考えていることと同じ意味でいいのだろう。
「い、いいのか?」
 白雪がゆっくり身体を離す。顔を赤らめながらゆっくりと頷く。
「ゼ、ゼンが嫌じゃなければ……」
「嫌なわけない!」
 ゼンは即答する。
 そっと赤い髪を梳くと、白雪は一瞬、肩をビクリとさせる。
 8年前の……あの最後の夜が巡る。
 あの時は白雪を失いたくなくて、強引に彼女を抱いてしまった。
 今度はそんなことはしたくない――。優しく、ゆっくりと白雪の気持ちを受け入れたかった。
 ゼンは白雪の両肩に手を置く。お互いまっすぐに見つめあう。
 引き寄せられるように唇が重なったのは、とても自然なことだった。



12.最初の夜

 久しぶりに触れる白雪の唇は、柔らかかった。角度を変えて何度も唇を吸い上げる。
 小さく開いた唇の間から舌を滑り込ませると、白雪は一瞬「んっ」と声をあげた。
 口腔内に舌を這わせると、舌を絡め応えてくれた。
 目を開けて唇を離す。お互いの唇からどちらのものかわからない銀色の糸がツーっと引いた。
 ゼンはその糸を舐めとるように、もう一度軽く白雪の唇にキスをする。
 肩を抱き、赤い髪に顔を埋めた。髪をかき分けて、うなじにキスをする。
 白雪の身体に触れたくて、肩から二の腕にかけてゆっくりと撫でる。
この手で彼女の温かさと柔らかさを確認したかった。
 二の腕から平行移動して胸に手を置いた。服の上から柔らかな二つの膨らみを揉みしごく。
 身体は細いのにしっかりと胸があるところも変わっていない。白雪の身体だと思った。
 胸から腰に手を這わせお尻に触れる。感じているのか、くすぐったいのかどちらかわからないが、
「んっ」と短く声を上げた。でも嫌がっているようには見えなかったのでそのまま続けた。
 お尻から太ももの外側に触れ、内側に向かって手を這わした。
 白雪は「あっ」と小さく声を上げて脚を閉じようとする。腰に手を回し、スカートの中から直に脚に触れる。
「あっ、ゼン、ちょっと……」
 白雪は身体をよじりゼンから逃げようとする。
「離れちゃダメだ……」
 もう片方の手でしっかりと白雪の腰を抱く。股の中心部を目がけて内ももを上昇した。
「やっ……、そんなところ触らないで……立ってられない……」
 白雪は膝をガクリと崩す。目を瞑り、息を切らしていた
「じゃあ、寝台に行こうか……」
「えっ……」
 白雪の膝裏に手を入れて抱き上げる。お姫様抱っこをして寝台に向かった。

 ゆっくりと白雪を寝台に降ろすと、ふと気になったことがあった。
「小さなゼンは……どうしてる?」
「今日はオビと思いっきり外で遊んだから、疲れてぐっすり眠ってる」
「そうか、それなら……大丈夫かな?」
「うん、大きい音とか立てなければ大丈夫だと思う」
 ゼンと白雪は小さなゼンが寝ている隣の部屋を見る。
「わかった。では続ける!」
 白雪に覆いかぶさりそっと唇を重ねる。目を閉じた白雪は何も抵抗しない。受け入れてくれるようだった。
「身体が見たい……」
 白雪の服のボタンを1つ1つ外し、生まれたままの姿にする。
「ゼン、灯り消して……。子供産んでるし……、明るいところで体見られるの恥ずかしい……」
「わかった」
 ゼンは部屋の灯りを消した。
 真っ暗で白雪の姿も確認できないのは嫌だったので、枕元のランプ小さく灯した。
 オレンジ色のほのかな灯りがうっすらと白雪の身体を照らす。
 子供を産んでいるとかそういうことは関係なく、8年前のまま綺麗だと思った。
 裸で抱き合いたくて、ゼンも服を脱いだ。白雪の上からゆっくりと覆いかぶさる。
 赤い髪の中で息を吸うと、甘い香りがした。うなじに口づけ、耳たぶを軽くくわえた。
「ひゃっ、ちょっと……ゼンっ!」
 くすぐったいのか白雪は声をあげる。
「しっ! 隣のゼンが起きてしまう……」
 ゼンは唇の前に人差し指を持ってくる。白雪は「あっ」と口に手を添えた。
 裸のまま身体を重ねると、白雪の体温を感じることができ、温かかった。
 肩から腕をなぞり腰に触れる。手のひらに吸い付くような、
滑らな肌が気持ち良くて何度も同じ場所を撫でてしまった。
 吸い寄せられるように胸の膨らみにも触れる。親指を支点にして他の四本の指で柔らかさを堪能し、
もう片方の胸の頂きを口に含んだ。舌で頂きを転がすと、
白雪の身体がビクリと動いた。頂きを吸い上げ胸の膨らみにも口づけた。
「あっ…」
 小さな声で白雪が喘ぐ。目を閉じて必死に声が出るのを堪えている。
その少し苦しそうな表情が色っぽかった。ゼンの身体の中心が熱くなるのを感じた。
 両胸を鷲掴みにして、手のひら全体で柔らかさを堪能した後、ゆっくりと白雪の脚を開いた。
 内ももに手を這わせ、白雪の中心に触れると、そこはもう充分に潤っていた。ゼンの指にヌルリとした温かい粘液がまとわりつく。
「すごい、白雪の身体。喜んでる……」
 茂みを割り、白雪の秘部に指を這わせると、愛液が溢れ出ていた。
白雪の身体がゼンを待っていてくれていることに感動する。
「やだ、恥ずかしい……」
 恥ずかしさに白雪は脚を閉じようとする。ゼンは内ももに手を掛けそれを阻止した。
「閉じちゃダメだ」
 しっかりと脚を開き、ゼンは茂みの中に顔を埋めた。割れ目を舌で割り、秘部に吸い付く。
「あっ、やだ……そんなところ舐めないでっ!」
 白雪の言葉は聞かずに秘部を舐め続ける。敏感な突起を見つけると、白雪の腰がビクリと動いた。
舌の動きに合わせて白雪の腰が揺れ始める。感じているのか、密壺からは愛液がどんどん溢れてきていた。
「ゼンっ……あっ……」
 秘部から白雪の顔に視線を移すと、声を我慢しているのか、ギュッと目を瞑り、
苦しそうな表情をしていた。そんな顔を見ると、ゼンは更に刺激を続けたくなった。
 両脚をしっかりと抱え、秘部を舐め続ける。すると、白雪の手がゼンの頭に当たった。
「ゼン……本当にもうダメっ……やめて……」
「ダメだ。もう少し……」
 ゼンは白雪の敏感な部分をもう少し堪能したかった。
「これ以上は……大きい声が出ちゃう……だから本当にもうダメ……」
「……」
 白雪は目を瞑ったまま苦しそうに息を漏らす。
「じゃあ……挿れていいのか?」
 白雪は目を瞑ったまま無言で頷いた。
 ゼンは体を起こし、充分に固くなった欲望を白雪の秘部に添える。
 先端にヌルリとした温かい粘液がまとわりついた。割れ目を往復し、密壺の入口を見つける。白雪の太ももを後ろから抱える。
「挿れるよ……」
 白雪は目を閉じていた。返事はなかったが、ヌルリとした温かい密壺の中へゼンの欲望はズブリと音を立てて入っていった。
 ツルツルと滑るくらい入口は潤っていたので、スルリとゼンの肉棒を飲み込んでくれると思ったが、
実際は違った。密壺の中はきつく、ゼンの肉棒をぎゅうっと締め付ける。
「はあっ……んっ!」
 白雪は声を押さえて喘ぐ。自分に向かって脚を広げている姿がなんともいやらしく、
こんな姿の白雪を見るのは、自分だけでいいと思った。
「最後まで入った。動くよ、いい?」
 なんとか根元まで挿入した。
ゼンが聞くと、白雪は目を瞑ったまま小さく頷く。声を我慢し、苦しそうな表情は変わらなかった。
 白雪の表情を見ながら、ゼンはゆっくりと腰を動かし始めた。
 入口まで引き抜いては最奥まで突き抜く。最初はゆっくりとした速度で様子を見た。
 密壺の中は充分に潤っており、こすれ合うたびにグチュグチュという卑猥な音が部屋に響いた。
 しだいに白雪の表情が柔らかなものになる。片手をゼンのほうに伸ばしてきたので、手を握り返した。
 そのまま白雪に覆いかぶさり、そっと抱きしめる。肉棒を突き立てる速度を徐々に増し、密壺に向かって強く腰を打ち付けた。
「ゼン、大好き……」
 白雪の両手が背中に周る。その言葉と白雪の温かさが嬉しかった。
 ゼンはその礼に激しく腰を振り、密壺に強く肉棒を打ち付ける。限界を迎え、彼女の中にゼンの欲望を放った。
 お互いに息が切れていた。
繋がったまま白雪を抱きしめ、呼吸が整うまでそのままの姿勢でいた。
 白雪も背中に手を回し抱きしめてくれる。ずっとこのままの姿勢でいたかったが、そういうわけにもいかない。
 ゼンは身体を離しゆっくりと肉棒を引き抜いた。密壺から白濁した液体が一緒に出てくる。
「白雪……大丈夫だったか?」
「うん」
 白雪は優しく頷いてくれた。
掛け布団をかぶり一緒に白雪を包む。彼女の背中に手を回し、しっかりと腕の中に収めた。
「ゼンっ! ちょっと苦しいよ。離して……」
 腕の中で白雪が動く。だが力は緩めなかった。
「ダメだ。眠っているうちに白雪がどこかに行ってしまわないように、このまま眠る」
 赤髪に顔を埋め、強く抱きしめる。
 白雪は何も言わず腕の中に収まってくれた。
 もう絶対に白雪のことは離さない――。
 8年前の最後の夜のように、白雪を失いたくない。ずっとずっと彼女と共にありたかった。
 このぬくもりを永遠に自分のものにしたかった。
 ゼンは腕の中にしっかりと白雪を抱いたまま眠りに落ちた。


***

 ゼンが目を覚ますと、外はもう明るかった。カーテンから朝日が漏れている。
 昨晩はぐっすりと眠ってしまった。こんなに気持ちよく眠れたのは何年ぶりだろう。
 目覚めの良さとすっきりとした爽快感に、朝からゼンの身体は軽かった。
 ――そうだ。昨晩は久しぶりに白雪をこの腕に抱いたのだ。だからこんなに気分が良いのだ。
 ゼンはふと隣を見た。
 白雪の姿がない。反対を向いても白雪はいなかった。
 ゼンは飛び起きる。
 ――まさか、また白雪は姿を消して!
 ゼンは青くなり部屋を見回す。明るくなった部屋に白雪の姿はなかった。
 その代わり隣の部屋から話し声が聞こえる。ゼンは服を着て、慌てて隣の部屋の扉を開ける。
「白雪っ!」
 隣の部屋には小さなゼンと白雪がいた。
 小さなゼンが寝台の上に座っていた。
 まだ起きたばかりのようで、赤い髪が寝ぐせで色々な方向を向いていた。寝台の脇にいる白雪と話をしている。
「おはよう、ゼン」
「良かった、白雪……また姿を消してしまったのかと思った」
 ゼンは胸を撫で下ろす。
「もう黙って出て行ったりしないってば……」
 白雪は苦笑いする。
「おはよう、ゼンにーちゃん」
 小さなゼンがゼン見て挨拶をした。
「おはよう……」
 ゼンが挨拶を返した。
 白雪は息子をじっと見つめる。視線に気づいたのか、ゼンも母の方を見た。
「どうしたの? お母さん?」
 小さなゼンは不思議そうに首をかしげる。
「お父さんよ……」
「え?」
「これから大きいゼンのことはお父さんと呼びなさい」
 小さなゼンは目をパチクリさせる。ゼンと白雪を交互に見つめる。
「お父さんは……オビじゃないの?」
 3人の間で空気が固まる。
「なんでオビなの!?」
「なんでオビなんだ……」
 白雪は驚き目を見開き、ゼンは面白くなさそうにする。
「そっか、オビいつも一緒にいたものね。でもゼンのお父さんはゼンなの。
お父さんのこと大好きだったから、ゼンにもゼンって名前付けちゃったんだ!」
「何言っているのかわからない……」
 小さなゼンは首をかしげる。
「そっか、そうだね」
 白雪はふふっと幸せそうに笑った。
「そうだ。今日はお父さんに王宮に中を案内してもらおうか。3人で一緒に行こう!」
「それはいいな、ゼン。行こう!」
 ゼンも白雪の横に屈み、寝台に腰かけている息子と同じ高さになる。
 部屋の外へ出ることを嫌がる小さなゼン。王宮内を歩くなど勇気のいることだ。
 ゼンと白雪を交互に見つめ小さなゼンはしばらく考える。
「うん、行く……お父さんとお母さんと一緒に行く!」
 小さなゼンはとびきりの笑顔になる。
ベッドから起き上がり、目の前のゼンに抱きついた。
小さなゼンの柔らかさとそのぬくもりにゼンの涙腺は一瞬緩んだが、なんとか涙が出るのは堪えた。
「よし! みんなで行こう!」
 ゼンは笑顔で息子と妻を一緒に抱きしめた。
 ――この腕の中にある幸せは必ず守ってゆく。
 白雪と小さなゼンはこの自分が守っていかなければならないのだ。
 二人を抱きしめ、ゼンはそう心に誓った。


13.結婚式

「何でオビが父親だと思われてたんだよ。どうりで子供が俺にはよそよそしいと思った」

 主が不満そうに口を尖らせ文句を言っていた日から一カ月が過ぎた。
 今日は朝から王宮が落ち着かない。
 メイドたちは慌ただしく動き、衛兵の数も多く、いつもより皆、そわそわしていた。
 近隣から来賓が招待され、着飾った貴族たちが次々と王宮の大広間へと入って行く。
 警備をする衛兵たちも今日は胸にピンクのリボンなんかをつけて華々しい装いだった。
 それもそのはずである。今日は主とお嬢さんの結婚式だった。
 一カ月前、突然決まった結婚式。
 通常、王族の結婚式というものは1年近くの時間をかけてじっくりと準備をするらしい。
 現に主の最初の結婚式は1年以上かかって準備された。
 猛スピードで準備された結婚式に、本当に大丈夫なのかとお偉い方々は心配していたが、無事に今日の日を迎えることができた。
 目の前に、髪色に合わせた淡いピンク色のウェディングドレスに身を包んだお嬢さんが座っていた。
 赤い髪は編み込みされつつアップになっており、淡いピンク色のベールに包まれていた。
 ドレスの生地に合わせた薄ピンクの薔薇が胸元を飾り、
ウエストから大きく広がったスカートにはレースが幾重にも重なっていた。第二王子妃らしい豪華なドレスだ。
「おかーさん、綺麗だね!」
「ありがとう、ゼンも恰好いいよ」
 小さなゼンも正装をしていた。上着にたくさんの装飾がついた王子らしい服装であった。
「なんか、こんなに大きい子がいるのに結婚式なんて変な感じ……」
「そんなことないぞ、白雪。ほ、ほ、ほ本当に綺麗だ。ド、ドレスが似合っている」
 主が真っ赤になっていた。
 不器用な主にしては精一杯の褒め言葉なのだろう。
「ありがとう、ゼンも恰好いいよ」
 主を見て嬉しそうにお嬢さんは微笑む。その笑顔に主は更に真っ赤になった。
「お嬢さん、同じセリフ、2回言ってますよ」
「え? そうだった?」
 本人は無意識のようだ。そんなところもいい。
「あっ、そろそろ出番みたいですよ、主、お嬢さん、ゼン」
 第二王子の挙式とあって、王宮の一部は一般市民にも開放されていた。
市民に結婚の報告をするため、主たちはバルコニーに出て挨拶をする役目があった。
「行ってらっしゃい!」
 オビは木々とミツヒデと一緒に手を振る。
 主たちが一歩バルコニーに踏み出すと、市民からの大歓声が巻き起こった。
主とお嬢さんを呼ぶいくつもの声が聞こえる。
 元宮廷薬剤師で一般市民出身のお嬢さんは、結婚式の前から市民からの注目を集めていた。
 身分のある令嬢ではなく、一般市民を妃として選んだ国に対しても、市民の評価は高いらしい。
 それに加えて国内に蔓延する流行病の薬を調合した薬剤師だ。市民の支持は熱かった。
 今、この歓声がそれを証明していると言っていい。
 お嬢さんはどんな伯爵令嬢に負けない、かけがえのないものを持っているのだ。

 オビの中で記憶が巡る。
 お嬢さんと一緒に主を見上げた王城開放日。
 高い場所で手を振る主を見つめるだけしかできなかったあの日――。
 そのお嬢さんが主と同じ場所に並び、ウェディングドレスに身を包んで笑っている。
 お嬢さんを見つめる主も幸せそうだ。二人の間で小さなゼンも嬉しそうに笑っている。
 目を閉じると主と過ごした日々、お嬢さんと一緒にいた時間がかけめぐっていった。
 一時期、永遠に結ばれることのない二人だと思ったこともある。
 だが、今、二人は目の前で、大勢の人の祝福を受けて笑っている。
 夢のようなこの光景にオビの中でこみ上げてくるものがあった。
 目頭が熱くなり、胸の奥底から熱い空気の塊が上昇してきた。

 ――主、ヤバイです。
 なんですか、その嬉しそうな笑顔は。
 俺の前でそんな幸せそうな笑顔、反則ですよ。
 そんな笑顔、俺に見せつけないでくださいよ。
 胸にこみ上げるこの熱いもの、どうしたらいいんですか? 
 この熱いものの行き場を教えてください、主。
 隣には木々嬢がいるんです。
 泣いている所なんて見られたくないんですよ。
 いい年した大人が恰好悪いじゃないですか。
 どうしたらいいですか、主?
 オビは目を閉じて息を飲み込む。余計に喉元が熱くなってしまった。
 すると隣から鼻をすする音が聞こえた。
「き、木々嬢! 何、泣いているんですかっ!」
 木々の頬に幾筋もの涙が伝わっていた。
 主とお嬢さんを見つめてボロボロと泣いていたのである。その泣き顔もなんと美しいことか。
「だって、嬉しくて……。ゼンと白雪があんなに幸せそうで……。こんな日が来るなんて夢みたい……本当に嬉しい……」
 木々が鼻をすすりあげる。次から次へと涙が溢れていた。
 側近として自分よりも長い時間、木々は主を見てきたのだ。
 だからこそ、この幸せな瞬間が嬉しいのであろう。
「確かに、そうですけれど……」
 オビの中で喉の奥でつかえている熱いものがプチンと弾けた。
「そういうオビだって泣いてるじゃない……」
 泣き顔の木々がクスリと笑う。
「え……」
 オビは手の甲で涙を拭う。自分の意志に反して、不思議と次から次へと涙が溢れていた。
「木々嬢、自分の結婚式でもこんなに泣いてないですよね」
 オビは涙を拭いながら、木々を見つめニヤリと笑う。
「自分の結婚式より嬉しい……」
「そんなことミツヒデの旦那が聞いたら悲しみますよ……」
 オビは後ろで控えているミツヒデを振り返る。
 ミツヒデは「ゼン〜、白雪〜」と言ってハンカチ片手に号泣していた。
 木々以上に喜びを表し、感動しているのは言うまでもない。
「いいね……」
「え? 何ですか、木々嬢?」
 木々はまっすぐにゼンと白雪を見つめる。美しい横顔からまた一筋、涙が伝わる。
「こういう幸せっていいね。嬉しいね!」
 木々はしっかりと頷いた。
 オビの中でまた熱いものがこみ上げる。
 今度は溢れ出る熱いものを我慢しなかった。放っておいてみた。
 視界がじわりと涙で歪む。
「はい、木々嬢」
 オビの声がかすれ、涙声になる。
 頬に一筋、また涙が伝わった。


14.運命の赤

 結婚式が終わり、1か月がたった。
 結婚式後も様々な場所への挨拶があり、白雪も小さなゼンも忙しく時を過ごしていた。
 今日は挨拶も謁見も何もない休日であった。ゼンと白雪は部屋からすぐそばの庭へ、息子と共に出た。
 白雪と共に木陰に腰を降ろした。
 太陽の日差しは一番強い時間であったが、ゼンと白雪のいる木陰は涼しかった。
 時々爽やかな風が二人の間を吹き抜けた。
 小さなゼンは、ミツヒデの子供たちと元気に庭を駆け回っていた。
もう部屋に引きこもっているようなことはない。髪色と同じく明るく元気なゼンになったのだ。
 結婚式後、白雪は妃に、小さなゼンは息子として正式に認められた。
王宮内を歩いてもヒソヒソと囁かれるようなことはなく、皆、普通に接してくれるようになった。
 流行病の治療薬も国中に行き渡り、人々の心も平穏を取り戻した。
「一年前の今頃は信じられなかったな。また王宮に戻るなんて……」
「なんだ、白雪……王宮に戻るのはそんなに嫌だったか?」
 結婚式も挙げたし、小さなゼンもこの王宮に慣れた。そんなことはないと思うがゼンは不安になる。
「ううん、あんな隠れた森の奥にいたのにどうして見つかっちゃったのかな? と思って……」
 白雪が腕を組み考える。
「ええと森の中で……折れた枝が落ちてきてミツヒデのケガをしてしまって……
手当てをするために休める場所を探していたんだ。そこに小さなゼンが現れたんだ」
 つい数か月前の出来事だが、ゼンは記憶を辿りながら答える。
「ああ、そうか。小さなゼンがゼン達を見つけて、うちに連れてきたんだ。
そうか、子供が見つけてきちゃったんだね……」
 白雪が呆れ顔になった。
「ああ、あの森で初めてゼンの赤い髪を見たときは驚いたぞ。そうそうある髪色じゃないからな」
「そうだね。私よりは薄いけど珍しいものね、赤い髪」
 白雪は赤い髪の毛先に触れる。
「赤か……そういえば枝が落ちてきた木の根元に、ユラシグレが咲いていたんだ」
「ユラシグレ?」
「ああ、ユラシグレを見つけたんだ! オビがユラシグレを見つけて……お前を思い出して、
木々も一緒に立ち止まって見ていたんだ。そこに折れた枝が落ちてきてミツヒデが怪我をしたんだ!」
 ゼンはミツヒデが怪我をすることになった原因を詳細に思い出す。
「そうだったの?」
「ああ、ユラシグレに気づかずにそのまま通り過ぎていれば、
ミツヒデが怪我をすることもなかったし、白雪と今こうして一緒にいることもなかったんだな……」
「そうなんだ……。初めて聞いた」
「ああ、今思い出したからな」
小さなゼンの赤い髪、それを同じ色の赤いユラシグレ。これを偶然という言葉で片付けられるだろうか?
ゼンは白雪の赤い髪にそっと触れた。
「ユラシグレの赤と赤い髪。やっぱり運命だったんだな」
「え……?」
 白雪の頬がほんのりピンク色に染まる。
 照れているのか何も言わずに庭で遊んでいる息子たちに視線を移した。
 白雪は穏やかな笑顔で庭を駆け回る小さなゼンを見つめていた。
 ゼンもそれ以上は何も言わず息子たちを見つめた。
 時々、ふわりとした風がゼンと白雪の間を吹き抜けた。緑の匂いのする空気が気持ちよかった。
 二人でそのまま穏やかな時間を過ごす。
 ふと白雪を見ると、目を閉じていた。頬が緩み口元は笑っていた。
「どうした白雪? 眠いのか?」
「ううん、眠くないよ」
 目を開けてゼンの方をみてニコリと笑う。再び子供たちが遊んでいる庭を見つめる。
 この笑顔をどこかで見たことがある。
 ――ああ、そうだ。
王宮に向かう馬車の中で見たのだ。思わず見とれてしまった白雪の横顔だった。
「今までね……」
 白雪がポソリと呟く。
「今までどうした?」
 白雪は上を向き、空を見つめる。
 青く晴れ渡った空からは温かい太陽の光が注がれていた。
「こんなふうによく晴れた日にね、小さなゼンを連れて日向ぼっこするの。それでね、こうやって目を閉じて……」
 白雪は再び目を瞑る。目を閉じたまま白雪は話し続ける。
「日差しが温かくて、子供が元気に遊んでいる声が聞こえて……隣には大好きなゼンがいるの。
こうやって目を閉じていつも想像して……夢を見てたの。
ゼンと一緒にいられなくても、今まで私は充分に幸せだった……
夢を見ていただけですごく……すごく幸せだった……」
 白雪の声が震えていた。ゼンは白雪から目が離せなかった。
「でも……」
 白雪が目を開ける。両頬には一筋の涙がゆっくり伝わる。
「夢に見た光景が……今、目の前にある……。こんな幸せが本当にあるなんて、信じ…られない…」
 最後は声になっていなかった。
 白雪は鼻をすすり、次から次へと涙が溢れていた。
 ゼンは白雪を抱きしめる。腕の中にしっかりと白雪を収める。
「夢じゃない……そんなの当たり前の……普通の幸せだ」
 白雪は腕の中で赤い髪を横に振る。
「普通の幸せって、結構難しいんだよ……」
「そうだな」
 白雪は分かっている。当たり前だと思っている幸せは案外難しい。
そして儚くもある。ふとした瞬間に消え去ることもあるのだ。
そして、その幸せに気づけないこともある。失ってから気づくこともあるのだ。
 白雪をこの腕の中に取り戻すことができた。彼女が隣で笑っていてくれるだけで十分だった。
 小さなゼンと一緒にいられるだけで本当に幸せだ。
 白雪は「もう大丈夫」と言って腕の中から離れる。ゼンを見つめ、赤い目でニコリと笑った。
「ああ、でも小さなゼンがもっと小さい時も見たかったな。
赤ん坊を抱っこするというものをやってみたかった」
 ゼンが庭で駆け回っている小さなゼンを見て穏やかに笑う。
「ごめんなさい……」
 白雪が落ち込んだ顔になる。
「いや、謝らなくていい。今ある幸せで充分だ」
 ゼンは白雪を見つめ満足そうにする。
「あ、あの……でも」
 白雪がお腹に手を当てて何か言いたそうにする。
「どうした?」
「また男の子かどうかわからないけど、もう一人……」
 白雪がお腹をさする。ゼンは大きく目を見開き、信じられないという表情になる。
「ま、まさかお腹に子が……」
 白雪のお腹を指さし、口をぱくぱくとさせている。
「うん」
 白雪は笑顔で強く頷いた。
「ほ、本当かっ! 白雪っ!」
「きゃっ!」
 ゼンは喜びで思いっきり白雪を抱きしめる。
 耳元で「すごく嬉しい」と囁かれ、先ほど止まった涙がまたホロリと一粒零れた。
「どうしたの? お父さん、お母さん?」
 騒ぎを聞きつけ、小さなゼンが二人の元へ来ていた。
 白雪は息子を見つめニコリと笑う。ゼンの赤い髪を優しく撫でる。
「ゼン、あなたお兄ちゃんになるのよ」
 小さなゼンが固まる。白雪の言ったことを理解するのに数秒かかる。
「えっ! お母さん、お腹に赤ちゃんいるの?」
「うん!」
 白雪が頷くと、小さなゼンの頬が嬉しそうに歪んでいく。
「すごい! お母さん!」
 小さなゼンが白雪に抱きつく。ダブルゼンに抱きつかれ、白雪は本当に幸せな気持ちなる。
「やっぱり俺にとっては運命の赤だな。いいものに繋がっていた……」
「え?」
 ゼンは満足そうに頷く。
 白雪はその言葉にハッとする。
 もう10年近く前になる。はじめて森の中でゼンに出会った時のことを思い出す――。
 この厄介な赤い髪を、ゼンは『いいものに繋がっている』と言ってくれた。
その記憶が遥か遠い記憶から呼び戻される。
「本当だ……いいものに……すごくいいものに繋がってた!」
 白雪は自分の髪に触れる。
 髪色を理由に愛妾になるよう言われ、国を出たあの日から、随分長い時間がたった。
だがゼンと出会った日のことは――赤い色は運命の色だと言ってくれた日のことは、昨日のことのように思い出すことができた。

 腕の中にいる息子が顔をあげ、白雪の方を見て笑っていた。
 自分よりも少し薄い息子の赤い髪に触れる。柔らかくて愛しくてかけがえのない存在。
 大好なゼンもずっと隣で笑っていてくれる。
 もう目を瞑らなくてもいい。しっかりと前を向いていいのだ。

 ――夢に見た光景が、今、目の前にある。



おわり♪

【あとがき】
ここまでお読み頂き本当にありがとうございます。最後まで読んで頂けて嬉しいです。
赤髪の二次小説の中で一番長い作品になってしましました。
タンバルンから帰ってきてリリアスには行かず、
ゼンと白雪が無理やり引き離されちゃうストーリーもあるのではないかと思い、書きました。
この他に、小さなゼン視点の番外編も考えていますので、もう少しお付き合いください。
スマホ用のページを作りたいと思っています。画像を入れつつ、1ページで読める形にしたいと思っています。
もしよかったら感想等もメールフォームで送って頂けると、ねね喜びます。次への糧になります。







【BACK】 【HOME】