赤髪の白雪姫2次小説
予防接種



 ゼンは朝から憂鬱だった。
 本当のことをいうと朝からではない。昨日の夜からずっとずっと憂鬱だったのだ。
 自分の部屋でふう~と大きくため息をつく。
 ゼンは額に手を当てる。ギュッとてのひらを押してけて熱を測るふりをした。
 熱くも冷たくもない。きっと平熱だ。
 自分の体を見下ろす。
 頭痛、腹痛、寒気、咳、歯痛。
 なんでもいい。何か具合の悪いところはないだろうか。
 ゼンは腕を曲げ、両手をグーパーしてみた。
 何も異常はない。
 いつもはいいことなのだが、今日は何か一つ病気になってもいいかな? という気分である。
「あーあ、なんとか今日の予防接種を逃れる方法はないかな……」
 誰もいない部屋で呟く。
 秋も深まり、王宮の外の空気も日々空気が冷たくなっていった。もうすぐ冬がやってくるのだ。
 毎年、感冒予防に王宮では予防接種が行われていた。
 王族はもちろん、王宮内に勤める者はすべて予防接種をうけなければならない対象であった。
もちろんゼンも予防接種を受けることになっている。
「だいたい予防接種なんて意味があるのか? 受けても風邪をひくときは引くぞ!」
 ゼンはぶつぶつ文句を言っていたが、再び黙ってしまった。
 予防接種を管轄する部署は薬室であった。白雪が頑張っている仕事にケチをつけるのもなんだか心苦しい。
 第一、注射ごときで怖がっているということが、白雪にばれてしまうのは大変恥ずかしい。
「ゼン~そろそろ行くぞ。準備はできたか?」
 ドアのノックと同時にミツヒデの声がした。
 予防接種にはミツヒデと木々とオビと一緒に行く約束をしていた。迎えが来たのである。
「あ、ああ……今行く」
 ゼンはごくりと唾を飲み込む。とうとうこの時が来てしまった。
 予防接種を受けなければならないのだ!


「あー、やっぱり予防接種っていやだよなぁ~。緊張する」
 ミツヒデがゼンの隣で背中を震わせた。
「ミツヒデもそうか、嫌なのか?」
「ああ、いくつになってもあの注射前の緊張感は変わらないさ。針がチクッと入ってからの痛みも嫌だ……」
 ミツヒデが青い顔をして言った。
「あんなのどうってことないでしょ」
 木々がさらりと言う。
「そうですよ。あんなの痛いうちに入りませんよ、主!」
 オビも頭の後ろに両手を組んで余裕の表情であった。
「そうか、お前らはいいなぁ~。痛みも恐怖も感じなくて……」
 ゼンは大きくため息をつく。元気のない主人の様子に、木々とオビは困ったように顔を見合わせた。
 予防接種を受ける広間に入ると、ガラクと八房、白雪の姿があった。
ガラクが注射器を持って予防接種を行っていた。八房と白雪はすぐそばに控え、ガラクの手伝いをしているようだった。
 会場は空いていてすぐに予防接種を受けられる状態であった。
 ゼンたちの姿を見つけて、ガラクは不気味に笑いながらゆっくりと手招きをしていた。
 ガラクの笑いにゼンは背筋が凍った。
「今回の予防接種の当番はガラク薬室長なのか……彼女の注射は痛いと評判なんだよな……」
 青い顔をしたミツヒデが呟く。
「そ、そうなのか……」
 ゼンの顔は更に真っ青になる。
「それでこんなに人が少ないんですかねぇ~」
「そうね、もっと混んでいると思ったのに空いているわね」
 オビと木々がさらりと言った。
「お、お前たちは、こ、怖くないのか……。いつもより痛いかもしれないんだぞ」
 ゼンは声を震わせながらオビと木々に行った。
「別に、注射ごとき怖いなんてありませんよ」
「そうよ、たかが針一本だし」
 二人にゼンの恐怖は全く理解できないらしい。
「で、出直すか? ミツヒデ。もっと痛くない日に!」
 気持ちがわかってくれるミツヒデに真剣に言った。
「いや、そうはいかない。この後の予定はしっかり埋まっている。
今、予防接種を受けないともう受けるチャンスがなくなってしまう! 今、予防接種を受けよう! ゼン」
「うぐぐ」
 ミツヒデはこの後の予定を考え、ゼンに予防接種を受けるように促す。ゼンは苦虫を噛みつぶしたような表情になった。

「皆さん。こんにちは」
 白雪が笑顔で挨拶をする。
「こここ、こんにちは」
 ゼンは緊張のあまりどもってしまった。
「いらっしゃ~い、ゼン殿下、皆さん。さあ、誰から注射しようかしらねぇ~ふふふ」
 注射器片手にガラクが不気味に笑う。
「うぐっ! ミ、ミツヒデ……お前行けっ!」
「い、いやだ。最初なんていやだ。キ、木々……」
 木々は特に返事もせず、無表情でガラクの前へ立つ。
 注射前も注射中も注射後も表情一つ変えなかった。
「い、痛かったか? 木々?」
「全然……」
 木々は無表情のまま首を横に振った。
「じゃあ、次は俺が……」
 オビが余裕の笑顔で予防接種を受ける。
「痛いか? オビ?」
 ゼンとミツヒデが不安そうに聞いた。
「こんなの痛みのうちに入りませんよ」
 次はどちらが受けるかゼンとミツヒデは顔を見合わす。
「じゃあ、次は俺がいくよ」
 ミツヒデは決意を決めてガラクの前に立った。腕まくりをして二の腕を出す。
 顔を見るとこわばっていた。注射をされる腕からは目を背け、反対の方を向いていた。
ギュッと目をつぶりその時を待っていた。
 ミツヒデの腕に細い注射針が入る。眉間のしわが深く刻まれる。なんとも痛そうな表情であった。
「ミ、ミツヒデ……痛かったか?」
 予防接種の終わったミツヒデにゼンは恐る恐る聞いた。
「ま、まあ……普通に……」
 主人に向かってミツヒデは無理やり笑う。
 何が普通だというのだ。普通に痛いということなのか? ゼンの恐怖は最大限に達していた。
「はい、次。ゼン、どうぞ」
 白雪が笑顔で迎えてくれる。
 今日ばかりはその笑顔がなんだか辛い。予防接種への恐怖と不安に、心がつぶれそうな思いだった。
「あ、ああ……」
 ゼンは心を決めてガラクの前に腕を出した。
 注射器が用意される。ガラスの注射器と針がキラリと光り、その向こうでガラクが気味悪く笑っている。
いよいよこれからである。白雪のほうをチラリとみると、心配そうにこちらを見つめていた。
 格好悪いところは見せられない。もう大人なのだ。注射の針一本で怖がっているような子供と思われてしまうのは嫌だ。
 紳士に……一国の王子らしく堂々とするのだ!
 ゼンは背筋を伸ばし、気を引き締める。
 そうだ! 自分は王子なのだ! 
 針など怖くない。たとえ痛かったとしても一瞬で終わることではないか。予防接種ごとき我慢できなくてどうするというのだ。
「では、殿下。いきますよ……」
 ガラクがゼンの腕に軽く触れる。細い針がチクリと刺さった。薬液がジワジワと腕の中にしみこんでいく。
 ――うぐっ! 今年はいつもより痛い!
 心の中でそう思ったが、必死に顔に出るのは隠した。
 白雪に痛がっているところを見られたくない。
「はい、おわり」
 ガラクが腕を離す。
「ばんそうこう貼りますね」
 白雪が優しくばんそうこうを貼ってくれた。
 ゼンは白雪に気づかれないよう、ふう~と大きく息を吐く。
 昨日から憂鬱の種であった予防接種が終わりほっと息をつく。
 これで嫌なことは終わった。白雪にも格好悪いところは見られなかった……はずである。
「あともう一人来ないかしら? ワクチンが余っているのよね……」
 ガラクが呟く。
ワクチンは数人で1アンプルのものであった。もう一人分余っていたのである。
予防接種はもうすぐ終わりの時間であった。患者が来る気配はない。
「白雪は予防接種やったのか?」
 ゼンは注射された場所を押さえながら聞いた。実はまだ少し痛かった。
「ううん、私は明日、リュウに打ってもらう予定なんだ」
 白雪は笑顔で答える。
「あら、白雪君。今、打ってあげるわよ。予防接種の薬液もったいないし」
 ガラクがいった。
「い、いえ。私は明日リュウに予約してあるので、明日に……」
 白雪は首を横に振りながら後ずさる。
「そんな、遠慮しなくていいわよ。今、打っちゃいましょう、白雪君」
「いいえ、私は明日にします」
 白雪は必死に断る。さらにガラクから一歩下がる。顔色は青く、笑顔は完全に引きつっていた。
「あら、遠慮することないわよ」
 ガラクはニコニコとしてずっと笑顔を絶やさない。
 すぐそばにいたゼンはミツヒデと顔を見合わせる。白雪はどう見てもガラクに注射されることを拒んでいる。
その気持ちが二人には手に取るようにわかるのだ。二人はニヤリと笑った。
「そうだ、白雪。遠慮することない!」
「ついでだ。白雪、予防接種を受けた方がいい!」
 ゼンとミツヒデは白雪の両脇に立ち腕をつかむ。ガラクの前へ引っ張っていった。
「ちょっとゼン! ミツヒデさん……何するの! 薬室長の注射は痛いから明日リュウに……」
 白雪は両脇を囲む二人を交互に見る。
「いらっしゃ~い、白雪くん!」
 注射器片手にガラクが不気味に手招きする。白雪は恐怖にひきつった表情をしていた。
「い、いや……私は明日リュウに……………痛ーい!
 予防接種の会場に白雪の声が響き渡る。
 薬液を無駄にすることなく、本日の予防接種は無事終了した。


♪おわり

予防接種。
いくつになってもあの緊張感は嫌ですよね。
ゼンは注射怖がりそうですよね。ミツヒデも身体大きいのに小さな針にビクビクしていそう。
木々とオビはへっちゃら。今回は白雪も実は注射嫌いだったというオチにしてみました。
リクエストくださった方、ありがとうございます。


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