赤髪の白雪姫2次小説
遠くの幸せ


もしもゼンと白雪が結婚しなかったら〜オビ白バージョン


2ページめ

8.城下の宿 
9.どうにもならないこと 
10.白雪の告白 
11.手紙 

1ページめはこちら

8.城下の宿

 王宮を後にした白雪とオビ。
 二人とも大きめのボストンバッグを各々抱えていた。
 泣いている白雪のバッグを持とうと声をかけたが、赤い頭を振り拒否された。
 もう少し早い時間に王宮を出る予定だったが、挨拶や最後の別れに時間がかかってしまい、辺りは真っ暗であった。
 薄い三日月が放つ銀色の光と遠くに見える城下の明かりだけが頼りだった。
 季節は秋を通過し、冬になっていた。
 真夏であったら王宮を出てからの宿の心配をしなくてもなんとかなるが、今の時期はそうはいかない。
 秋から冬への移り変わったばかりの季節なので雪が降るほどの寒さではないが、
冬の夜に女の子を連れて野宿というわけにはいかない。
 白雪としばらく行動すると決まった時点で、王宮を出てからの宿は考えていた。
 城下に宿をとっておいた。しばらく滞在する可能性も考えて、
キッチン付きの長期滞在できる宿である。場所は城下だが、窓や建物からはからは王宮の見えない宿にしておいた。
宿に着くころには白雪は泣き止んでいた。詳しく言うと泣いているかどうかわからない状態だ。
 持っていたバッグに顔を埋めて、表情がまったく確認できなかった。
時折、鼻をすすっているので、完全に泣き止んではいないのだろう。
 宿に着いてオビが手続きをしている間も、白雪はバッグを抱きしめ顔を伏せたままだった。
 ただならぬ様子に、宿の主人も察したようで、オビと白雪を交互にチラチラと見ていた。
「お嬢さん、こちらの部屋にどうぞ」
 キッチンのある小さなリビングと二部屋ある間取りの部屋に案内された。
 オビは二部屋あるうちの東側の部屋の扉を白雪に向かって開けた。
 少しでも気分が明るくなるよう、日当たりの良い部屋を白雪に使ってもらいたかった。
 白雪はバッグを抱えたまま部屋に入っていった。
「何か用事があったらすぐに呼んでください。俺、隣の部屋にいますから……」
「ありがとう、オビ……」
 顔を伏せたまま礼を言われた。
 扉が閉まった音と同時に、部屋の中からボストンバッグを置いたような音が聞こえた。
 数十秒後、扉の向こうから「ひっくひっく」と白雪のすすり泣く声が聞こえてきた。
 ――主に笑って別れようと告げたお嬢さん。
 よく考えると、みんなと別れるときにあまり泣いていなかったような気がする。
 本当は声を上げて泣きたかったはずなのに、ずっと笑顔だった。
 みんなといるときは気丈にも涙を堪えていたのだろう。お嬢さんの泣き声は止まらなかった。
泣き声が聞こえなくなったかな? と思いきや、しばらくたつとまた「ひっくひっく」と泣き声が聞こえてくる。
 扉一枚隔ててお嬢さんの気持ちを想像すると、こちらまで胸が締め付けられる思いだった。
 思わずじわりと涙が滲む。
 ――いや、ダメだ。俺が一緒に泣いてどうする。
 お嬢さんを見守るために一緒に来たのだ。もっと気持ちを強く持たなくては!
 オビは気を引き締め、その場で大きく頷いた。
 白雪の泣き声が一晩中、止むことはなかった。

***

 翌朝。
 オビのいる西側の部屋の窓から、青空が見えた。気持ちの良い冬晴れだ。
 夜が明けると白雪の泣き声は殆ど聞こえなくなった。
夜中に一度だけトイレか何かで部屋を出たような気配がしたが、それ以外、白雪は部屋に閉じこもったままだった。
 気持ちが落ち着いたら部屋から出てくるだろう。今はそっとしておこう……。
 そう思い、白雪の部屋に声をかけることはしなかった。
 オビは身支度を整え、朝食を食べるために宿の外へ出た。
 外は気持ちの良い冬晴れであった。
 空を見上げると、透き通るような青い空を背景に綿菓子のような雲がいくつも浮いていた。
雲はふわふわとオビの視界をのんびりと移動している。
 まだ朝早いためか街には人も少なく、小鳥のさえずりが耳に心地よかった。穏やかな朝である。
 この穏やかな時間に、そのまま溶け込んでいればいいが、白雪のことを考えるとそうはいかなかった。
 個人にどんな出来事があっても日は暮れて、夜は明けるのだ。
 なんてことないこの穏やかで平和な朝が、今のオビには無常に思えた。
 オビは簡単な朝食を済ませた後、買い出しのため城下の店を回った。
 宿に帰ったら白雪は起きているかもしれない。料理する元気はないだろうから、何か食事を作ってあげたいと思った。
 王宮を出るか出ないかで悩んでいたため白雪は少しやせてしまったように思える。
 何か滋養のつくものを食べさせたいと思った。
 しばらく滞在することになるかもしれないので必要になる日用品もいくつか購入した。
 宿に帰ると、オビが出掛ける前と同じ状態であった。白雪は部屋から出た形跡はなかった。
 部屋に閉じこもったままであり、物音一つしない。
 無理に部屋へ入って行く気もしなかったので、オビはそのまま様子を見た。
 窓の外を見ると少し風が強くなってきたようだ。
 綿菓子のような雲が朝よりも早いスピードで窓の外を通り過ぎていった。
 昼が過ぎ夕方になった。まだ日は落ちていないが辺りは薄暗くなってきている。
 オビはリビングから白雪の部屋の扉を見て耳を澄ました。
 相変わらず部屋から出てくる気配はなかった。物音一つしない。
 ――そろそろ声をかけた方がいいだろうか。
 自分は食事をとったが、白雪はほぼ丸一日何も口にしていないはずだ。
 何か部屋に差し入れたほうがいいかもしれない。
 オビは街で買ってきたお菓子を取り出した。お茶と一緒にお菓子でもつまんでほしかった。
 白雪の部屋の前に立ち、小さく扉をノックしてみた。
「お嬢さん、お茶でも飲みませんか? 喉が渇いたでしょう?」
 部屋から返事はなかった。無反応である。もしかしたらまだ人前に出たくないのかもしれない。声をかけない方がよかっただろうか?
 オビはしばらく扉の前に立ち尽くす。
 するとオビはあることに気づいた。
 部屋からは何も音が聞こえないのである。
 起きていれば足音とか衣擦れの音とか何かしらの音がするはずである。扉の向こうからは全く音がしなかった。
「お嬢さん……お嬢さん!」
 ドンドン! と少し強く扉を叩き、扉に耳を当てて耳を澄ました。
 やはり部屋の中からは物音一つしない。
 オビに一つ悪い想像が浮かぶ。
 まさか、主との別れがあまりに辛すぎて、自ら命を――!
「お嬢さん! 開けてください、お嬢さん!」
 オビはドアノブに手を掛けて回した。
ガチャリ。扉には内側から鍵がかかっており開かなかった。
オビは顔面蒼白になる。
 ――荷物の中に刃物が入っていたりしなかっただろうか? 
こんなことならお嬢さんの荷物をこっそり確認しておけば良かった。一人で思いつめてしまったらどうしよう! 
お嬢さんにもしものことがあったら、主に顔向けできないどころか、自分が一生後悔する!
どうか、どうか思いあやまらないように! 無事でいるように!
「お嬢さん! 開けてください! お嬢さんっ!!!」
 オビは懇親の願いを込めて、力の限り強く扉を叩いた。



9.どうにもならないこと

「お嬢さん! 開けてください! お嬢さんっ!!!」
 オビは真っ青な顔で真剣に扉を叩いた。
 相変わらず扉の向こうから反応はない。扉にはしっかり鍵がかかっていた。
 ドアノブをガチャガチャと力を込めて回しても開く気配はない。
 ――こうなったらドアノブを壊して、力づくでも部屋に入るしかない! 
 お嬢さんのためだ。壊したドアノブの代は主に請求すればいい!
 オビがそう意気込んだ時だった。
 カチャリ。
 鍵が開いた音がしたあと、オビの方へゆっくりと扉が開いた。
「なに……オビ?」
 白雪が少し開いたドアの隙間から目をこすりながら、眠たそうに顔を出した。
「お、お嬢さん……起きてます? 生きてます?」
 オビが白雪の顔を覗き込むように静かに聞いた。
「…………うん、起きてる」
 白雪は間を置いた後、素直に頷く。
 嘘でしょ。今まで寝てたでしょ……そう、心の中で思ったが口には出さないでおいておいた。
 白雪の顔をよく見ると頬にシーツの後がついており、今まで寝ていたことは一目瞭然であった。
それもかなりの深い眠り、扉をガンガン叩かれても起きないくらいの爆睡である。
寝ぐせの付いた赤い髪をぼうっとした表情で直す白雪。
 そんな白雪に少々安心する。泣き疲れてだと思うが、ちゃんと眠っていたのだ。
「あ、お嬢さん。もう少しで夕食の時間ですよ……っとその前に、湯に浸かりませんか? 
ここのお風呂は温泉だそうですよ。お嬢さんが湯に浸かっている間に、俺、夕飯作りますから!」
 オビは笑顔で言ったが、少々その笑いは不自然だったかもしれない。
「温泉……」
「そうです。温泉です……うっ」
 その後に思わず「さっぱり洗い流しましょう」と言いそうになったが白雪の心情を考えてなんとか言い留まる。
「うん……入って来る」
 白雪がオビに背を向けて部屋の中へ戻った。ボストンバッグに向かいガサゴソと何か探して準備をしている。
「じゃあ……行ってきます」
 着替えと洗面用具らしきものを持って白雪はオビの前を無表情で通り過ぎた。
寝起きでぼーっとしているのか、本当に元気がないのかよくわからない。なんとなく暗い雰囲気だ。
オビは思わず心配になる。
「お嬢さん……お風呂で沈んだりしないでくださいね」
「……うん」
 白雪は抑揚のない声で返事をして部屋から出て行った。
 今の「うん」はどっちの返事なのだろう? お風呂で沈む方? 沈まない方? ふと疑問に思うオビであった。


 風呂から帰ってきた白雪はさっぱりとした表情をしていた。
 一晩中泣き続けていたせいか、いつもより腫れぼったい目をしていたが、風呂に行く前よりも表情は明るくなった。
「わあ! これ全部オビが作ったの? すごい!」
 昼間、街で買い出ししたありったけの材料を使って、腕によりを振るった。
肉料理を中心にパン、スープ、サラダ。誰でも作れる庶民的な料理だが、
今日みたいに落ち込んでいる日は、王宮で出される上品な食事よりも家庭的な料理のほうがいいだろう。
「こちらへどうぞ、お嬢さん……」
 椅子を引いて座るように促すと、白雪は素直に座った。オビも向かい合わせに座る。
「昨日から何も食べてないでしょ、お嬢さん。ちょっとお腹には重たいかもしれないけど食べられるものだけ、食べてください」
「うん。ありがとう、オビ。いただきます……」
 白雪は深く頭を下げた後、オビを見つめて笑顔になる。その切なそうな笑顔にオビも同じ気持ちになった。
「ど、どうぞ……」
 少し多く作り過ぎたと思ったが、昨日から何も食べていなかったので、お腹は空いていたのだろう。
 予想以上に白雪は夕食を食べてくれた。白雪を心配するあまり、実はオビもあまり食欲がなかった。
 こうして二人で食べる食事に箸が進んでしまった。肉もサラダもスープもすべて二人で平らげてしまった。
「おいしかった。ご馳走様、オビ」
 食べ終わった白雪はオビを見つめて笑顔になる。
「いいえ、食欲があってよかったです。お嬢さん」
 そう言うと白雪は俯きながら気まずそうに笑った。
 言ってはいけない一言だったのだろうかと思い、オビは気まずそうに視線を反らす。
「……オビはいい奥さんになるね」
「は? 奥さん?」
「うん、こんなにおいしい料理を作れるんだもの……」
「……」
 オビは無言になる。白雪は完全に俯いてしまった。表情は確認できないが肩が震えている。
「もっとゼンに……ご飯作ってあげたかったな……」
 白雪が鼻をすする。前髪で瞳は見えなかったが、頬に涙が伝わっていた。
白雪は鼻をすすりながら言葉を続ける。
「ゼンのために何もできなかったな……」
「あ……えっと……」
何と声をかけたらいいか分からず、オビは動揺する。
「ご、ごめんね。オビ、また泣いちゃって……。早く立ち直ってちゃんと一人で生活できるようにしないとね」
 白雪は顔を上げ、涙を拭う。無理やりに作った笑顔が何とも痛ましかった。
 瞳に溢れる涙を拭い、胸に手を当てて息を整えようとしていた。
「泣いていいですよ……」
 白雪を見ていて自然に出てきた言葉でオビの本心である。
「え?」
涙を拭う白雪がきょとんとした表情でオビを見つめる。
「そんなに早く立ち直らなくても……元気にならなくてもいいです。今は思いっきり泣いてください」
 仕方なかったとはいえ、辛い別れを経験したのだ。
 傷ついたり、落ち込むのは当然のことだ。もっと泣いていいと思った。
 呆然とオビを見つめる白雪の頬にまたポロリと涙が伝わる。
「うっ……。そ、そんなこと言われると余計に泣けてきちゃう……」
「す、すいません」
 必死に笑いながら涙を拭う白雪の姿に胸が打たれる。
 ――きっとお嬢さんは主を忘れることはできない。一生心に傷は残るはずだ。
 だが、その傷が少しでも薄くなるように、時が心の傷を慰めてくれるように……。
 少しずつでいいから元気になって欲しいと思った。その姿を少しでも長く見守っていきたいとオビは願った。

***

 翌朝、起きて共通のリビングへ行くと白雪はもう起きていた。
 テーブルにはパンと目玉焼きとお茶が用意されていた。
 まさか白雪の方が早く目を覚ますと思っていなかったのでオビは目をパチクリとさせる。
「おはよう、オビ」
 寝起きのオビに白雪は微笑む。
「お嬢さん、こんなに朝早く……まだ寝てていいのに!」
「早く目が覚めちゃって……というか、眠れなくて起きちゃった」
 白雪はオビの顔を見ずに気まずそうに笑った。
「そうですか……」
 オビは生返事をしながら、顔を洗って白雪と共に朝食を食べた。
「とりあえず私は生活のリズムを整えなきゃいけないね。このままだと昼夜逆転しちゃうし、なんだかお肌もガサガサ……」
 白雪は両頬を不満そうに撫でる。
「お嬢さんは今まで働きすぎです。少しゆっくりしていいですよ」
「働くと言えば……仕事も探さなくっちゃね」
「薬室長やリュウに紹介してもらったんでしょう? 就職先」
「うん、いくつかね……これから住む場所も考えなきゃいけないし、仕事と合わせて考えるつもり」
「急ぐことないです。少し気持ちが落ち着いてからゆっくり探しましょう。両方とも」
 オビは白雪を安心させるため、できる限り穏やかに言ったつもりだった。
「オビはいつ王宮に戻るの?」
「え?」
 予想外の質問にオビは固まる。
「だって、オビはゼンの伝令役でしょ? ゼンのところには戻らなくていいの?」
「あ…えっと……それは特に決まっていないというか何というか……」
「王宮にはもう戻らないの?」
 白雪が身を乗り出し心配そうにオビの顔を覗き込む。
 まっすぐに見つめられ、オビの心臓は一度ドキリと鳴ったが平静を装った。
「あー特に戻れとは言われてないというか……好きにしていいと言われました」
 ゼンから報告のタイミングは好きにしていいと言われた。そのままを白雪に伝えた。
「そうなの? じゃあ私が仕事決めて一人で暮らせるようにならないと、オビも王宮に戻れないってこと?」
「うーん、そういうことになりますかね? 別にいいですよ、無理に戻らなくても」
 ハハハと冗談交じりにオビは手をひらひらさせて笑った。
「ダメだよっ! 私のせいでオビまで失業しちゃうじゃない!」
「主の伝令役でなくとも仕事なんていくらでもあるので大丈夫です」
「ううん、ダメ! こうなったらずっと落ち込んでる場合じゃないね。オビに迷惑かけちゃうものね」
 白雪は赤い頭を左右に振った。
「迷惑なんて思っていません。ゆっくりでいいんですよ、お嬢さん」
 そんなに早く元気にならなくてよかった。
 一日でも一秒でも長く、白雪と一緒にいたいという気持ちが、オビの心の奥底にはあった。

***
 

 1週間ほどたつと、白雪は朝起きて夜寝るという普通の生活ができるようになった。
毎日の食事もオビと白雪で順番に作るようになった。
 良く晴れた冬の日の午後。
 二人で街へ買い物にも出掛けた。久々に街の活気に触れた白雪は、気晴らしになったようであった。表情は明るい。
 ただ時々、すれ違うカップルや親子連れを寂しそうに見つめるていた。まだ心の傷が癒えるには時間がかかるのだろう。
 宿に着いて街で買ったものの整理をした後、お茶を入れた。白雪が煎じた薬膳茶だった。
 身体を温める作用があるという薬膳茶は、やさしい口当たりで身体の芯から温まるような気がした。
白雪は薬膳茶の入ったカップを握りしめ黙り込む。何か考えているようだ。
「はぁ……、後悔したって仕方ないし、自分で決めたことだけど、何でこんなことになっちゃったんだろう?」
 白雪が大きな溜息をついた。
「……」
 上手く言葉が見つからず、オビは思わず黙り込む。
「私に我慢が足りなかったのかな……わがままだったのかな……」
 白雪は薬膳茶のカップを握りしめて俯く。オビからは赤い頭の後頭部しか見えない状態になった。
「お嬢さんはわがままなんかじゃないですよ……」
 オビが返事をしたが白雪は何も言わず顔を伏せたままだった。
 しばらく二人の間に沈黙が訪れる。オビは白雪の入れてくれた薬膳茶を飲みながら、あることを考えていた。
「お嬢さん……」
「……なに?」
 白雪がゆっくりと頭をあげる。乱れた赤い髪を手櫛で整えていた。
 オビは姿勢を正し、白雪をまっすぐに見つめて質問をする。
「もし、もしもですよ。過去に戻れたとしたら……主と出会う前まで戻ってやり直せたとしたら、
どうします? いい結果出ました? あ、主と出会わないという過去はなしですよ」
「過去に戻れたとしたら?」
 白雪が驚いた表情でオビを見つめる。
「はい、そうです」
「ゼンに出会う前に戻れたとしたら……」
 白雪は宙を見つめてしばらく考える。今までのゼンと過ごした記憶を辿り思い返しているのだろう。
「う〜ん、やっぱり出会わなければよかったのかな?」
 白雪は苦しそうな表情で答えた。
「それはなしって言ったでしょ、お嬢さん。主と出会わなければ木々嬢ともミツヒデの旦那とも会うことはないですよ。
もちろん俺もね。大好きな人と出会わなければよかったなんて、そんなの寂しいじゃないですか!」
 オビは首を振って白雪を諭す。
「そっか、そうだよね……」
 白雪は腕を組み「うーん」と言いながら目を瞑って考えていた。悩みのあまり眉間には皺が寄っていた。
「ゼンと出会う前からやり直せたとしても……今の状況は変わらなかったかもしれないかな……」
 白雪は眉間に皺を寄せたまま、目を瞑ったまま答えた。
「過去に戻ってやり直せたとしても変わらないことって、もうどうしようもないことだと思うんです。
人生、自分の力じゃどうにもならないことって、ある程度の割合であります。
それを悩んだって仕方がない。お嬢さん、これからを考えましょうよ。
……忘れろとは言いません。新しく一歩を踏み出しましょう!」
 オビはテーブルに乗り出し、まっすぐに白雪を見つめて笑顔になる。
「……すごいものの考え方だね。でもそっか。もう一度、過去に戻ってやり直せたとしても同じような結果になっちゃうんだね。私は……」
 白雪は小さくため息をついた。
「お嬢さん……大丈夫ですか?」
励ますつもりだったが、余計に落ち込ませてしまったのかと思い心配になった。
「うん。なんかオビの話聞いて励まされたかも。オビがいてくれてよかった」
 思いもかけず笑顔が返ってきた。オビにまっすぐに向けられた笑顔が美しくて心臓がドキリと鳴る。
顔面の温度がどんどん上昇していくのがわかった。
「い、いえ……とんでもないです」
 オビは顔が赤くなっていないか心配になる。白雪にばれないよう、こっそりと深呼吸をした。


***

 一か月後、城下の宿からもう少し郊外の街に移動した。
 理由は白雪の仕事を決めるためである。
 まだ白雪の中で、これからどこで暮らすか決まっていなかった。
 かといって母国タンバルンに戻る予定もない。
 王宮がすぐ側にある城下の街で暮らすことはやはり辛いらしく、城下から離れた郊外のとある街に引っ越した。
 城下の街よりも緑が多く過ごしやすい場所である。
 薬室長やリュウからの紹介された就職先や白雪自身が探した薬局を色々回って、
引っ越してから一カ月ほどで仕事も決まった。王宮で培った薬剤師としての技術もあり、新しく決まった仕事も順調のようだ。
 オビも日雇いや週単位の仕事を請け負って働いた。白雪を心配させたくなかったので、危ない仕事は請け負わなかった。
 少しずつ元気を取り戻してゆく白雪と、普通で穏やかな毎日が繰り返されていった。
 白雪の仕事も見つかり、普通に生活ができるようになったのだから、オビの役目は終了だ。
 いつでも白雪の元を去ることはできたのだが、なかなかそのことを言い出せず一日また一日と過ごしてしまった。
 白雪もオビに出て行くようになどと言わなかったので、なんとなく二人で毎日を過ごしてしまった。
 白雪が家にいる毎日が楽しくて嬉しかった。
 こんな穏やかな毎日が一日でも長く続けばいい――オビの中でそう思うようになっていた。
 そうこうしていると、王宮を出てからあっという間に半年が過ぎてしまった。
 季節は春を過ぎ暑い夏がやってきた。まだ真夏と言うわけではないが、昼間、太陽の出ている時間はかなり蒸し暑い。
 夕方になり太陽が沈むと少々気温が下がり、森の方から涼しい風が舞い込んできた。
「今日も暑かったね」
 仕事から帰ってきた白雪はコップに汲んだ水を一気飲みした。
オビもちょうど仕事から帰ってきたところで、お互い向かい合わせでテーブルに座った。
「そうですね。今日は仕事忙しかった?」
「うん。まあまあかな? それよりもねっ!」
 白雪がオビに向かって今日一日あったことを話し始めた。
 仕事仲間のことや街で聞いた話をオビに嬉しそうに話している。
 仕事も順調のようだし、今住んでいる場所も白雪自身気に入っているようだ。
 もう自分がいなくとも充分にやっていけるのかもしれない。
「お嬢さんはすごいですね……」
 オビは穏やかな表情で白雪に言った。
「え? 何が?」
 オビの言葉に白雪はきょとんとした顔になる。
「お嬢さんは自分で生きる力を持っている。すごいです!」
 オビは笑顔で一人納得したように頷く。
「な、何言ってるの? オビ?」
「仕事も順調だし、もう一人で何でもできる。俺なんかがいなくとも、大丈夫みたいですね」
 白雪の顔から笑顔が消える。目を見開き驚いた表情になり白雪はしばらく無言になる。
二人の間に沈黙が訪れた。
「やだ……。オビがいなくちゃイヤ……。一人にしないで……」
 白雪の肩が小刻みに震える。不安そうな声がオビの鼓膜に届く。
「え?」
「オビ、いなくならないで……。オビがいない生活なんてイヤ……耐えられない……」
 白雪の大きな瞳に涙が溢れそうだった。赤い髪を振り乱し涙声であった。
「お、お嬢さん?」
 オビは白雪の涙に驚く。
「お願い。まだ一緒にいて欲しいの……」
 涙が溢れる瞳でまっすぐに見つめられ、オビは呆然とする。
「わ、わかりました。まだ……ここにいます」
 まさか泣かれるとは思ってもみなかった。
 元気そうに見えてまだ心の傷は癒えていなかったのかもしれない。少し別れを告げる時期が早かったようだ。
「オビ! 突然いなくなったりしないでね。絶対だよ! 
朝起きたらオビがいないとかそういうの嫌だからねっ!」
 白雪がテーブルに身を乗り出しオビの手をギュッと掴む。その力が思ったよりも強くて驚く。
「はい……」
 オビは静かに返事をした。白雪が真剣な眼差しでこちらを見つめていた。


10.白雪の告白

「おはようございます。お嬢さん」
 翌朝。
 オビが目覚めると白雪は起きていた。
 白雪よりも早く起きて朝食でも作ろうと思っていたのに先を越されたようだ。白雪が朝食の準備に取り掛かっていた。
「おはよう、オビ!」
 艶やかな赤い髪と眩しい笑顔は今日も健在である。
「……早いですね、お嬢さん」
 昨日は夜遅くまで白雪の部屋の灯りがついていた。
 薬学書や興味のある本を読んで夜更かしをした翌日は、たいていギリギリまで寝ていた。
 オビより早く起きることは今までになかった。
「朝起きたらオビがいなくなっているんじゃないかと思って早く目が覚めちゃった」
 白雪は肩をすくませ小さく舌を出した。
 それに加えてホッとしたような表情を見せられると、昨日の涙の白雪が思い出され、少々心が痛んだ。
「だから勝手に出て行ったりしませんってば……」
「そうだよね、よかった」
 白雪のホッとした笑顔にドキリ胸が鳴るオビであった。

 それからというもの……白雪は何かを考え込んで、ぼーっとしていることが多くなった。
 朝起きて仕事へ行って、夕方には帰ってきて一緒に食事をする。
 生活のリズムは変わらないが、俯き加減で暗い表情をしていることが多くなった。何か悩み事でもあるようだった。
 心配になり声をかけると「何でもない、大丈夫」といつも笑顔を向けられた。
 その笑顔に一瞬だけ安心するが、やはり元気がないような気がした。
 まだ主のことが忘れられないのだろうか? 一人で暮らしていくには時期が早かったのかもしれない。
 郊外で治安はさほど悪くない場所だが、女の子一人で暮らすとなると少々物騒である。
 かといって他の誰かを紹介するわけにもいかないし……。白雪が悩んでいる姿にオビもだんだん悩むようになってしまった。
 悩みつつもいつもどおりも毎日が流れ、数週間がたった。
 白雪の様子は変わりなかったが、ここ最近は何か言いたそうにオビのほうをじっと見つめることが多くなった。
 白雪の視線に気づき「何かありますか?」と聞くと、恥ずかしそうに「何でもない」と笑いながら赤い髪を振るばかりだった。
 その照れたような笑顔がちょっとかわいいな……と思っていたので、特にそれ以上は聞かなかった。
 ある日の夕方、仕事から帰って来ると、夕飯の支度を済ませた白雪が、テーブルに一人静かに座っていた。
 なんだか今日も元気がなさそうだと思った。
 夕食を食べ終わりお茶を入れたところで、白雪に話があると改まって言われた。
 表情は固かった。いつものやわらかな笑顔はなかった。
 深刻な話――もう一人で大丈夫だから出て行ってもいいと言われるのだろうか?  
 オビはゴクリと唾を飲んだ。
 テーブルに白雪のいれたお茶のカップが二つ置かれた。カップからはゆらゆら湯気が上がっていた。
 白雪の表情は固く、緊張しているようにも見えた。笑顔はまったくなかった。
「あの……」
 白雪がお茶のカップを見つめながら言った。カップを見つめるばかりで次の言葉が発せられない。
「何ですか? お嬢さん」
 しびれを切らし、オビが白雪に問う。
「あっ……あのね! えっと……ううんと……」
 白雪がごにょごにょと口ごもっている。こんな態度の白雪は珍しい。
 オビは不思議そうに白雪を見つめる。
「あの……オビはさ………故郷に恋人とか、将来を約束した人とかっている?」
 白雪は上目遣いでオビを恐る恐る見つめる。
 思いもかけないことを聞かれ、オビは鳩が豆鉄砲くらったような、きょとんとした表情になる。
「な、何を突然言い出すんです、お嬢さん。そんなものいるわけないでしょう」
「そっか、そうだよね。将来を約束した人がいたら、こんな何カ月も私と一つ屋根の下で暮らせないもんね……」
 白雪はもじもじと恥ずかしそうにする。
「はい」
 オビは素直に頷く。
「あの……それなら…………」
 白雪が何かを言いかけてまたしばらくの沈黙が続く。
 何か話したそうなことはわかったので、今度は根気よく次の言葉を待ってみることにした。
 だいぶ長い時間が過ぎ、白雪は小さく深呼吸した。
 白雪はまっすぐにオビを見つめる。少々頬が赤いような気がするのは気のせいだろうか?
「あの……あのね」
「はい」
 オビはすぐさま返事をした。
「あっ、あの……私……このままオビと一緒にいたいなって思って……だから……私と……このまま結婚して欲しいの……」
「…………!」
 オビは自身の耳を疑った。
 自分の鼓膜を振動させた言葉が本当なのだろうか? あまりに驚き声も出なかった。
「ゼンのことであれだけ泣いている姿を見せておいて、おかしいって思うよね、きっと……。
でも考えたの。オビに一人でも大丈夫だろうって言われた時、すごくショックだった。
オビと離れるなんて考えられない。ずっとオビと一緒にいたいの。このまま暮らしていきたい。
自分でもね、寂しいから誰か傍にいて欲しいだけかと思って、ここ数週間考えてみた。
だけど他の人じゃダメなの。オビがいいの……」
「お嬢さん……」
 オビはやっと喉の奥から声を発する。
「きっとオビは私のこと目の離せない妹くらいにしか思ってないと思うけど、
オビに好きになってもらうように、ちゃんと努力する。だからお願い、私と結婚してください!」
 白雪はテーブルにおでこがついてしまうくらい頭を下げる。
「……努力なんてしなくていいです」
「え?」
 白雪が顔を上げてオビを見つめる。
「そんな努力は必要ないです」
 オビは真剣な表情で白雪を見つめる。
「えっ? だってオビの好みは木々さんみたいな感じでしょ? 
木々さんみたいにクールに振る舞えるように努力しなきゃ……」
 ガタリ――。
 オビは椅子から立ち上がった。
 テーブルに座っている白雪の横に立ち、椅子ごと白雪を抱きしめる。
「オ、オビ? どうしたの?」
 オビの腕の中で白雪は驚いた声を上げる。
「努力なんてしなくていいです。そのままの……そのままのお嬢さんでいてください……」
「え?」
 腕の中から白雪の不思議そうな声が聞こえたが、腕は離さなかった。
 赤い髪に触れて、更に強く抱きしめる。
「ずっとずっと……お嬢さんのことが好きでした。だから、そんな努力は必要ないんです」
「え……ええっ!? 嘘っ! 何で!?」
 腕の中で驚きの声を上げる白雪。
 白雪の言葉が……その気持ちが嬉しくてオビの瞳にじわりと涙が滲む。
 溢れ出そうになる涙を堪え、真下にある赤い髪の中に顔を埋めた。
 オビ自身にも想いを伝えた恥ずかしさもあり、しばらく抱きしめたまま白雪を離さなかった。

***

 翌日。
 お互い仕事が休みだったので、街へ買い物に出掛けた。
 街までは歩いて15分ほどの道のりであった。
 白雪はオビからの返事に相当な驚きを見せていた。
 昨日から、「ビックリした」「驚いた」「まさかそんな返事が返ってくるとは思わなかった」と、
繰り返すばかりだ。街へ向かう間もずっと同じようなことを言っていた。
「ねえ、オビ?」
「なんですか? お嬢さん」
「いつから想ってくれてたの?」
 上目遣いに白雪に見つめられた。
 その表情にドキリとして、なんとなく恥ずかしくて「覚えてない」と曖昧に返事をしてしまった。
「そっか、覚えてないんだ……」
 白雪は諦めたように言ったと同時にオビの腕を取り、手を絡めてきた。
 オビは白雪の体温を感じ、ビクリとなる。
 思わず手を引いてしまった。
「えっ! 嫌なの?」
 白雪はオビに絡めた手を宙に浮かせ困った表情をしていた。
「あ……嫌じゃないですけど……なんだか慣れていないので緊張します」
 オビは手を絡められた腕を見つめ真顔で呟く。
「緊張するの?」
「はい。緊張します」
「でも嫌じゃないんでしょ?」
 白雪は再びオビの腕にそっと手をかける。
「はい……」
 触れられた腕が緊張で鉄の棒のようになっているのがわかった。
「じゃあ、早く慣れますように!」
 白雪はオビの腕に自分の腕を絡め、そのままオビの手をギュッと握った。
 その温かさにオビの鉄の棒のようになった腕の緊張がとけてゆく。
 白雪はオビの腕にぴったりと身体をくっつけている。腕に白雪の体重を感じた。
 顔を見ると嬉しそうに笑っていた。その笑顔にオビの心の緊張もとけていった。
 街に近づくにつれ人が増えてきた。
 そのまま腕を組んだ状態で歩いていると、前から来た同年代の男に「チッ」と舌打ちされた。
 オビは驚いてその男を振り返る。白雪は気づかなかったようで、笑顔でオビに話しかけていた。
 白雪の顔をじっと見つめる。
 ――某国の両王子が気に入ったようにやはりお嬢さんはかわいい。
 類まれな赤い髪もその美しさを際立たせている。
 こんなかわいい子と腕を組んで一緒に歩いているなんて嫉妬されても仕方がない。
 もちろんお嬢さんを好きになったのは容姿だけではないが、やはり嫉妬されるのも納得できる。
 オビはしばらくの間白雪を見つめる。そしてあることを考えていた。
「オビ、どうしたの? 急に黙っちゃって……やっぱり手を繋ぐのはイヤ?」
 白雪は不安そうな表情になる。白雪が握っている手の力が少し緩んだ。
「いいえ、嫌じゃないです! それよりもちょっと考えるところがあって……」
 オビは離れかかった白雪の手を慌ててギュッと握った。
「考えるところ?」
 白雪は不思議そうにオビの顔を覗き込んだ。
 二人の間に一瞬だけ沈黙が訪れる。
「お嬢さん、結婚式しませんか?」
「へ?」
 白雪が喉の奥から変な声を出してオビを見つめる。
「まあ、けじめをつけるためというかなんというか……もし嫌だったらいいんですけれど……」
「結婚式……」
 白雪は第二の妃であったため、公に結婚式は行わなかった。
ゼンとご正妃の結婚式の日、日曜日なのに薬室で仕事をしていた姿を、オビは知っていたのである。
「できればお嬢さんのウェディングドレス姿って奴を見て見たいなぁ……なんて」
 オビは照れ笑いしながら白雪を見ると、大きく目を見開いた彼女と目が合った。
 何も言葉を発することはなく、呆然とオビを見つめている。
 もしかして自分と結婚式するのは嫌だったのだろうか……? 思わず不安になってしまった。
 白雪の手を握る手のひらに、じわりと汗のようなものが滲んできたような気がする。
 だが、ここまで言ってしまった以上、引っ込みがつかない。オビは続けて言った。
「白でも髪色に合わせてピンクやオレンジ色でも、お嬢さんならどんなウェディングドレスでも似合うと思うんですけれど……」
 オビの笑いが引きつる。
 白雪はオビを見つめたまま何も言わなかった。
本当に結婚式は嫌なのかもしれないと、自身の発言をだんだん後悔してきた。
「ウェディングドレス……」
 白雪はオビの腕に手を添えながら呟く。
「はい」
 オビは大きく頷く。もうここまでくるとヤケである。笑える限り笑顔を作った。
「……る」
「は?」
 白雪が何か小さく呟いた。声が小さすぎて全く聞き取れなかった。
「する……結婚式する」
「え……」
 YESの答えが返ってきて驚く。白雪に笑顔はなく呆然とした表情であった。
「まさか自分が結婚式できるとは考えてもみなかった……。結婚式したい。オビと結婚式する!」
 白雪はオビの腕に強く絡みつく。笑顔にオビの心はホッとする。
「そ、そうですか……」
「結婚式するにはお金貯めなきゃね! よし! 仕事頑張るぞ!」
 白雪は気合を入れるためか両手をグーで握る。
「あ、お金なら大丈夫ですよ。俺、出します」
 主から頂いた資金をここで使ってもいいかな? そう思ったオビであった。
「え、ダメだよ。二人の結婚式だもの。ちゃんとお金貯める!」
 白雪はサラリと言ったが、二人の結婚式という言葉に少しドキッとした。
「あ、そうすると指輪も買わないといけませんね。あまり高いものは買えないけど、どんな指輪がいいですか?」
「えっ! いいよ指輪なんて!」
 白雪は赤い頭をぶんぶんと勢いよく振る。
「いいえ。この際、こういう形はちゃんととっておきましょう。その方がいいです!」
 オビは真面目な顔で言った。なんだか主がそうしろと言っているような気がしたのだ。
「うーん、本当にいいんだけどな……」
 遠慮する白雪の笑顔がとても嬉しそうに見えた。


***

 数か月後。
 二人でお金を貯めて結婚式の日を迎えた。
 色々話し合ったのだが、結婚式は二人だけですることにした。
 目の前に純白のウェディングドレスを着た白雪が立っていた。
 白雪は笑顔でオビを見つめていた。
 嬉しそうなその瞳を見つめると、白雪の瞳の中に自分の姿が映っていた。
 まっすぐ自分を見ていてくれているのだ。
 自分のためにドレスを着ている白雪が今、目の前にいる。
 嬉しいを通り越して信じられない思いだった。
「お嬢さんの目の中に俺がいる……」
 思わずオビは呟いていてしまった。
「オビの目の中にも私がいるよ!」
 笑顔の白雪が言った。お互い見つめあっているので当然と言えば当然のことであった。
「タンバルンにいるお父さんや鹿月は呼ばなくて本当に良かったの?」
「うーん、呼ぼうかどうしようか迷ったんだけど……オビがいてくれるから大丈夫!」
 白雪はオビを見つめてニコリと笑う。
「……俺がいなくちゃ結婚式になりませんけどね」
「そっか、そうだね……。そうだ! あと、もう『お嬢さん』はやめて。これからは名前で呼んで!」
「名前で!?」
 今までずっと「お嬢さん」と呼んできた。
 突然名前で呼ぶように言われてもなんだか照れくさかった。
「そう、名前で呼んで!」
 ウェディングドレス姿の白雪はまっすぐに笑顔でオビを見つめている。
「し、白雪……」
 オビはつかえながら初めてその名を呼ぶ。
「はい!」
 白雪はオビを見つめて優しく返事をする。
すると瞳の中のオビが消えた。白雪は目を閉じたのである。
「しらゆき……」
 ゆっくりとその名を呼び、彼女の唇にそっと自身の唇を重ねる。
 温かくて柔らかい白雪の唇の感触は、とてもとても幸せで……オビの心の奥まで柔らかくなった。


11.手紙

「ただいま」
「おかえり、オビ」
 白雪は仕事から帰ってきたオビを笑顔で迎える。
「今日はこんな情報を持って来たよ」
 オビは白雪の前に新聞を広げる。街で配っていた号外の新聞だ。
「何? 号外?」
「そう」
 オビは笑顔で頷く。
 白雪が新聞に目を通すと、表情が明るくなった。
号外の新聞には

『ゼン殿下、第三子ご誕生! 待望の王子殿下ご誕生』

 と大きく見出しに書いてあった。
「わあ! おめでとうだね! 3人目は男の子なんだね。ゼン嬉しいだろうなぁ〜」
 白雪は号外を見つめてしみじみと言った。上の二人の女の子、王女様だったはずである。
新聞にも書いてあるとおり待望の王子殿下誕生は本当に喜ばしいことだ。
 オビと目が合い二人で笑顔になる。
 王宮を出てから7年が経った。
 オビと結婚してから、クラリネス国内で、もう一度引っ越した。
 今はオビも落ち着いた仕事に着き、家族を見守ってくれている。
 白雪はオビが持って来た号外をもう一度手に取った。
 今はゼンのことを思い出しても、こうして彼に子供が生まれた記事見ても涙を流すことはなくなった。
おめでたいことは本当に心からおめでとうと言えるようになった。
 その言葉は彼には届かないけれど……。
「ゼンに手紙書いてみようかな……」
 白雪は号外を手にぽそりと呟く。
「手紙?」
 オビがいつもより一オクターブ高い声を喉の奥から出した。
「こういう新聞や街の噂で、私たちからゼンのことは分かるけど、ゼンからは私たちのことわからないんだよね……」
「まあ、そうだね……」
 オビは小さく頷いた。
「だから、ゼンに手紙を書いてみたいの。ありがとうって気持ちを伝えたいと思って……」
 白雪は号外を見ながら微笑む。
オビは黙ったままであった。白雪はすぐにその気配を察する。
「あっ、オビ妬いちゃった? ちょっとショック?」
 白雪が目をまん丸にしてオビを見つめる。
 オビはニヤリと笑う。
「いえいえ、お嬢さんの頼みとあらば、火の中でも水の中でも主に手紙を届けに行きますよ!」
 オビは胸に手を当てて白雪に深く一礼した。
「ぷっ! お嬢さんって呼ばれたの久しぶり。ゼンのことも主って呼んでたね」
 白雪が噴き出しながら笑った。
「手紙か……いいけど、俺が無理やりにお嬢さんに結婚を迫ったように書かないでよ……。
あの主のことだ。剣を振りかざしてここまで飛んでくるかもしれない!」
 オビは少し青い顔をして首をふった。
「あ、またお嬢さんって言った……。書かないよ、そんな事。書きたいのはもっと別の事!」
 白雪がニコリと笑うとオビも笑顔になった。二人で穏やかに笑い合う。
 こんな日が来るなんて、王宮を出た直後には想像もしなかった。
 白雪は手にしていた号外の新聞を丁寧に折りたたんだ。


***

 クラリネスの王宮。
 第二王子妃は夫の帰りを待っていた。今日は昼過ぎには執務が終わると言っていた。
 時計を見ると13時を二分ほど過ぎたところだ。そろそろ帰って来る時間だろう。
 コン。
 ドアが一度だけノックされた。夫が返ってきたのかと思い振り向くと、
女官が眉間に皺を寄せて勢いよく部屋に入ってきた。
「ちょっとお妃様! この手紙見て下さい! これ、あの赤髪の女からの手紙ですよ!」
 女官は妃の前に1通の手紙を出す。
 シンプルな封筒に綺麗な文字で宛名が書いてあった。宛名は夫宛てである。
「赤髪の女?」
 赤髪の女で思いつくのは一人しかいない。夫の第二の妃が林檎のような美しい赤い髪をしていた。
 もう7年も前に王宮を去ったはずだ。
 女官たちは彼女のことを名前ではなく「赤髪の女」と呼んでいたことを思い出した。
 妃は手紙を手に取った。封は開いていた。
 市民から王族宛の手紙は、直接、王族方へ届くのではなく、必ず検閲が入る。
 どうして私付きの女官がこの手紙を持っているのか少々疑問だったが、封筒から手紙を取り出し読み始めた。
「まったく、今頃になって殿下へ手紙なんてどういうこと? 
それに自分のこと最後に『姫』って言ってるんですよ。おかしいと思いません? 街娘のくせに!」
 怒る女官をよそに妃は無言で手紙を一読する。読み終わり再び綺麗に手紙を封筒の中にしまった。
「この手紙どうします? 殿下に見せることないですよね、捨てちゃいましょう!」
 封筒にしまったところで女官が妃から手紙を取り上げた。
「待って! 捨てなくていいわ」
 妃は女官が取り上げた手紙を慌てて取り上げる。
「え……だって赤髪の女からの手紙なんて……」
 女官の表情はまだ険しいものだった。
 そういえば宮廷薬剤師であった第二の妃の悪い噂は、この女官が流していたことを思い出した。
「私が責任を持って捨てます。だからあなたが捨てなくていいわ。
ほら、もうすぐ殿下が帰って来る時間よ。お帰りの準備をしないと……」
「は、はい……」
 妃は女官にいくつか用事を言いつけ、部屋から出て行くように仕向けた。
「ただいま……執務が思ったよりも多くて遅くなった……」
 女官と入れ替わりに夫が返ってきた。疲れたのか、両手を挙げて思いっきり伸びをしている。
「おかえりなさいませ、殿下」
 妃は手紙を手にしたまま、夫を笑顔で迎える。
「ん? 何を持っているんだ?」
 夫が手紙に視線を落とした。
「これ……殿下の宝物です。私は……失礼いたしますわね」
 妃は笑顔で夫に手紙を差し出した。静かに部屋を出て行った。
「宝物? なんだそりゃ?」
 妃から手紙を受け取り、封筒を見た。
 差出人の名前はなかった。
 表に返し宛名を見ると確かに自分宛ての手紙だった。
 宛名の文字を見て目を見開く。
 思わず息を呑んだ。
 見覚えのある文字。
 この字はまさか――!
 封は開いていた。はやる気持ちでゼンは手紙を取り出した。


ゼンへ

 お久しぶりです。白雪です。お元気ですか? 
 第三子のご誕生おめでとうございます。心からお祝い申し上げます。
 ミツヒデさん、木々さん、薬室のみんな、王宮の皆さんも元気でお過ごしでしょうか? 
 突然の手紙で失礼します。
 王宮を出てから、ゼンの援助のおかげで仕事にも就くことができました。
 不自由なく暮らしています。遅くなりましたがお礼を申し上げます。
 王宮を出た後は本当に辛かったです。ゼンも同じ気持ちだったと思います。
 ずっと一緒にゼンと暮らしたかった。でも、それができなかった。
 ゼンの気持ちに応えられなくて本当にごめんなさい。
 今となっては、受け入れることしかできなかったこの運命を不幸だったとは思いません。
 ゼンと出会えたことは私の中でかけがえのないものです。
 本当に出会えてよかったと思っています。
 私の方は、オビと結婚しました。私からオビに結婚してくれるよう頼みました。
 二つの宝物にも恵まれ、毎日穏やかに暮らしています。
 ずっと一緒にゼンといる夢は敵わなかったけれど、今、私はちゃんと幸せです。
 だからゼンも私のことは気にせずに、今ある幸せを充分に感じてください。
 ゼンの周りにはたくさんの宝物があると思います。その宝物をどうか大切にしてください。
 私も今ある宝物たちを大切にしていきたいと思います。
 ゼンが立派に国を治めている様子、私たちにも聞こえてきます。
 ゼンのいるこの国が大好きです。ずっとずっとクラリネスで暮らしてゆきたいと思っています。
 いつかまた――そんな言葉で結べないのがちょっと悲しいけど、
 遠くからゼンの幸せを願っています。
 いつまでもお元気で。

                                            赤髪の白雪姫より



 手紙を読み終わったゼンの頬に、一筋の涙が伝わっていた。
 ゼンはズズッと鼻を一度すすり上げた。
 白雪が王宮から出て行って、彼女を唯一の妃とできなかったことをどれほど後悔したことだろう。
 愛した人を自分の手で幸せにできず、一緒にいることで、むしろ苦しめていたことが本当に辛かった。
 白雪が選んだ道。
 進んだその道は不幸な道ではなく、幸せな道であって欲しかった。
 自分の手で幸せにできなかった分、白雪には幸せになって欲しかった。
 目を瞑れば浮かぶのは白雪の笑顔ばかり。
 林檎のような赤い髪に、林檎にも負けない明るい笑顔。その笑顔が大好きだった。
 今もそのままの笑顔でそのままの元気な白雪でいてほしいと思っていた。
 ゼンはふと顔を上げた。少し離れたところに鏡があった。
 涙でボロボロな自分の顔を映っていた。ゼンはもう一度大きく鼻をすする。
「オビの奴。そういうことだったのか。だから連絡がなかったんだな……」
 ゼンは涙で濡れた顔でニヤリと笑った。
 王宮を出た白雪と行動を供にして欲しいと言ったのは自分だった。
 数か月後に白雪の仕事が決まったと手紙がきてから、連絡は一切なくなった。
 そういうことだったのかと納得した。オビなら白雪を任せられる。
 もしも他の男だったら、どんな男なのか見に行きたい衝動に駆られたかもしれない。
 妃から宝物だと言われて渡された手紙。よくこの手紙が自分のところまで届いたと思う。本当に宝物だ。
 白雪と共に生きて行く夢は叶わなかった。
 だがこの青い空の下で、クラリネスの空の下で元気に暮らしているということがわかっただけでも本当に救われる思いだった。
 そして自分の幸せを願ってくれている。
 ゼンは再び溢れ出てきた涙を手の甲で拭い、手紙をじっと見つめた。
「白雪もずっとずっと元気でな!」
 手紙に向かってゼンは笑顔ではっきりと言った。


***

「何か言った? オビ?」
「いや、何も……」
 白雪は冬に向けて子供用の靴下を編んでいた。
 編み物をする手を止め、テーブルに向かい合わせに座っているオビに聞いた。
「何か聞こえたような気がしたんだけど……」
 白雪は窓の方を向いた。
 窓の外には真っ青な空がどこまでも広がっていた。雲一つない青空は、遥か遠くの景色まで見渡せる。
「空耳?」
「うーん、何か男の人の声で何か聞こえたような気がしたんだけど……」
 白雪は窓の外を見て首をかしげる。
「そういえばあの手紙、主に届いたかな?」
「どうだろう? ゼンに届いたかなぁ?」
「返事は?」
「返事は来ないよ。だって差出人に何も書かなかったもの」
「えっ! 封筒に書いていない事は知ってたけど、手紙の中に書いたんじゃなかったのか?」
 オビが驚いて目を丸くする。
「返事はいいの。伝わればいいから……」
 白雪は穏やかに笑い、編みかけの子供用の靴下に視線を落とす。手を止めていた編み物を再開する。
 しばらくしたところで、オビが無言であることに気づいた。
 再びオビの顔を見ると、呆然と白雪を見つめていたのである。
「あっ……やっぱり妬いちゃった?」
「……いえいえ、俺はお嬢さんのことも好きですけれど、
実は主のことも大好きなんです。だから妬いたりなんてしません」
 オビは顔の前で片手を振る。目が糸のように細くなっており、満面の笑みであった。
「最近、『お嬢さん』が多いな……じゃあ、私とゼン、どっちが好き?」
 白雪はオビの方に身を乗り出す。少し意地悪な質問だ。オビはそう思った。
「うーん、主かな?」
「えっ! 嘘っ!」
 白雪は目を見開く。編みかけの靴下を落としそうになっていた。
「嘘です……いやでも本当です」
「もう……オビってば……」
 ふざけているオビに白雪はクスリと笑った。
 白雪はもう一度、窓の外の青い空を見つめる。
 この青い空の下にいるゼンが幸せでありますように――。
 ミツヒデさん、木々さん、王宮のみんなが幸せでありますように。遠くから幸せを祈った。

♪おわり


***


おわりですー! オビ白なのにお読み頂き本当にありがとうございます。
タイトルの「遠くの幸せ」は何度も出てきているとおり、遠くからお互いの幸せを願うって意味と、
1ページ目の3で出てきた自分には手にできない遠くの幸せの二つの意味をかけました。
シンデレラストーリーのハッピーエンドではなく、後味ビミョーなお話になってしまいましたが、
なんかこう気持ちだけは伝わったらいいなと思います。
二人は想いあっていたけれど、結ばれなかった。
でもお互いの幸せを願っている……みたいな気持ち? このビミョーな感じが伝われば嬉しいです。

1ページ目のアンケートもありがとうございます。
結果です。



やはり王宮を出て行くの方が多いですね。
でもゼンがラテン系の陽気な性格で
「白雪も妃もOK! みんな仲良く楽しく暮らしていこう! イエーイ!」
みたいなノリだったら、白雪も出て行かなくて済むし、このアンケートも五分五分くらいになったかな? と思います。
でもそれだと話が続かないのでシリアスな感じでまとめました。
あと、最後の手紙ですが、木々かミツヒデ宛にしてゼンに渡してもらえば確実にゼンへ届のでは? という案はなしですよ! 
オビなら絶対にその方法思いつくと思うんですけれどね! 
もしよかったら、ご感想、リクエスト等、メールフォームでお聞かせください。
それではまた(^.^)/~~~







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