顕太郎恋のキューピット


「今日、病院に来るときね、すっごくカッコイイ人がいたの!」
 マリアさまを拝むように両手を握り締めて、嬉しそうに黄色い声を
上げているのは、検査技師実習生のB子であった。
 夕方6時を過ぎた検査室。遅れ検体も少なく特に忙しくもなかったので、
検査技師たちはさっさと後片付けを済ませ帰る者が殆どだった。
残っているのは遅番の技師と2、3人の実習生だけであった。
「そんなにカッコよかったの?」
 B子と同じ学校の実習生G代がいった。
「うん、そりゃもう! 背が高くって目鼻立ちがはっきりしてて、
雰囲気もなんだかセクシーで……すっごくカッコよくって見とれちゃったの!」
「病院実習で全然遊べないと、些細なことが嬉しくなるんだよね、
カッコイイ人か……。私は朝は眠くて人の顔まで見てる余裕ないなァ」
 いつでも眠そうな顔をしている実習生H子があくびをした。
「また明日も同じ時間に同じ道通れば会えるかなあ? 病院で毎日
血とかオシッコとかウンコ見てるんだから、たまには綺麗なもの見て
目の保養したいよね」
「……B子ちゃん、何だか飢えてない?」
 G代は苦笑いを浮かべる。
「会えるといいねぇ。さあ、そろそろ帰ろうか、帰って寝よう」
 あくびをしながらH子が帰ろうと2人を促した。
 3人の実習生は『お先に失礼します』遅番の技師に声をかけ、
揃って検査室を出た。


***
「顕次郎、おい顕次郎」
「はい、なんでしょう顕太郎アニキ」
「B子たちの話を聞いたか?」
「はい、なんでもB子さんが病院にいらっしゃるときに見目の良い男性を
見かけたとか……」
 新米顕微鏡の顕次郎、年のわりには古びた言いまわしをする。
「恋だ! B子に春が来たんだ。このB子の恋を応援してやろうと思わないか?」
「今は暑い夏が過ぎて、秋も通り過ぎつつ冬の空気を感じる季節だと思いますが……」
 顕次郎は窓の外の沈みかかった太陽を見た。日も夏よりだいぶ短くなって
暗くなるのが早くなってきたのである。
「ばかやろう! 実際の季節のことを言っているんじゃない! B子の心の中に
春が訪れそうだと言っているんだ。まったく、デリカシーのない顕微鏡だな!」
「す、すみません。アニキの考えることがイマイチ掴めませんで……」
 先輩顕微鏡に怒鳴られた後輩は身を小さくした。
「それでだ。俺はこのB子の恋を応援してやろうと思う。名案だと思わないか?」
「そうですか? B子ちゃんはただ通勤途中でカッコイイ人を見たって
だけで、まだ恋でも何でもないと思うんですけれど……」
「ばかやろう! 顕次郎。B子の喜ぶ顔を見たいと思わないのか!
薄情な顕微鏡だなっ!」
「す、すみません! で、今回は何をすればよいのでしょう? 
また探偵の助手ですか?」
 いままで散々、探偵と助手ごっこをさせられていたので、
今回もまた何かやらされるであろうことを顕次郎は予想していた。
「ふふん。お前もやっと俺の子分らしくなってきたな。いいか、
恋にはきっかけが必要だ。いくらカッコよくて性格のいい異性がいても
見つめているだけじゃ想いは届かない……」
「はい、ごもっともで……」
「で、何かいい案を考えたいと思う。よいきっかけになるいい案を!
顕次郎思いつくことはないか?」
 先輩顕微鏡は真面目な表情で後輩の接眼レンズを見つめた。
薄暗い検査室で、顕次郎は眉間に皺を寄せて考えた。
今までの探偵ごっこは、殆ど誰の役にも立っていなかったけど、
今回はもしかしたらB子ちゃんの理想を叶えてあげる事ができるかもしれない。
実習で頑張っているB子ちゃんのため、難しい血液像を見るときと
同じくらい必死で考えた。
「う〜ん、今のところ、B子ちゃんお目当てのカッコイイ殿方とは通勤の
ときにしか会わないのだから……あ、こんなのはどうでしょう!」
「どんな方法だ?」
 顕太郎は後輩の顔を覗き込む。
「ええと……まずハンカチを用意するんです。そこにB子ちゃんの名前と
携帯の番号を書いて、カッコイイ彼氏の前で落として拾ってもらうって
いうのはどうでしょう!」
 得意げな顕次郎、だが先輩顕微鏡は鼻でフンッと笑った。
「わはは! 顕次郎の未熟な頭じゃその程度のことしか思いつかないだろうな。
そんな古い手が21世紀に通用すると思うか? バカだな、顕次郎!」
「はぁ……」
 はいはい、バカですよ!と心の中で呟きながら、かつ表情には出さない返事をする。
「俺様に名案がある! よく聞けよ。まずは用意するものはハンカチでは
なく茶筒だ!」
「チャヅツ? チャヅツってお茶っ葉入れる茶筒ですか?」
 顕次郎は眼を丸くして先輩の話を続けて聞いた。
「そうだ。お茶の葉を入れる茶筒だ。次に用意した茶筒をこっそりと
鞄に忍ばせておく。B子目当ての男の前でさりげな〜く、その茶筒を落とすんだ……」

以下、顕太郎天地想像劇場


男「おぢょうさん、茶筒を落としましたよ」
B子「まあ、私としたことが……」
B子、可愛らしく、かつシオラシク茶筒を受け取りに行く。
茶筒をB子に手渡そうとする男。受け取りざま、B子は
茶筒と一緒に男の手を強く握る。
B子「この茶筒のお茶で、私とお茶しませんか?(はーと)」


「どーだ、茶筒作戦、完璧だろう!」
 真面目に顕太郎の話を聞こうと思った自分がバカだった……。
顕次郎は軽い自己嫌悪に陥った。いつものことだが、先輩顕微鏡の奇想天外な
発想と、まず、まともな答えは出てこない日常に少々疲れがきていた。
一昔前、「上司に恵まれなかったら……」という某派遣会社のCMがあったが、
その派遣会社に思わず電話したくなってしまった。
「先輩……どうして実習生の……ハタチそこらの乙女が鞄の中に
茶筒を持っているんです?おかしいでしょう……」
 溜息交じりに顕次郎は言った。
「何を言う! お茶とは日本の心、ヤマトナウシカという言葉を知らないのか!」
「ヤマトナウシカではなく、ヤマトナデシコでしょう……」
 訂正するのもイヤになってきたが、間違いをきちんと正さないと
いてもたってもいられないのが、顕次郎の真面目な性格である。
「ナウシカもいいが、俺はラピュタも好きだぞ。シータちゃんはカワイイ」
「私は千と千尋の神隠しの千尋ちゃんがいいですね!」
 B子の恋?を応援する顕微鏡コンビ。最後は宮○アニメの話題に辿り着き、
もはやB子のことなんてどうでもよくなってきたらしい。顕太郎も上機嫌であった。
 この一連の話を聞いていた顕微鏡仲間、鏡子は静かに技師用の休憩室に
忍び込んでいた。
「チャヅツ、ちゃづつ、茶筒。顕太郎の前で茶筒を落としますノヨ」
 検査技師用のお茶セットの入っている戸棚をガサゴソあさっている鏡子。
「茶筒……あったワ! あっ、キャーーーー!」
 ――ガラガラガッシャン
 戸棚に閉まってある茶筒を無理に取ろうとした鏡子。湯のみや急須などの
お茶セットを床にぶちまけていたた……。


おわり


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