夢の雫、薔薇色の烏龍
(ゆめのしずく、ばらいろのウーロン)


8.薔薇色の烏龍

「ああ、暇だ……」
 アルヴィーゼも書簡を持ってベオグラードへ行ってしまった。イブラヒムもメフメトもいない。
剣の稽古以外、ラムセスには仕事がなかった。
 だが、つい最近、この世界に来て初めてのことがあった。給金が入ったのだ。
この時代の金銭の価値がどれくらいか、いまいち理解できていないラムセスであったが、
自由に使えるお金が手に入ったのは間違いない。

 『給金が入ったら、バザールへ行ってみるといいですよ』

 メフメトの言葉を思い出した。
 そうだ。あの、コーヒーショップがあったバザールへ行ってみよう。
 仕事は午前中で終わっていた。何もすることがなく、暇を持て余していたところである。
 ラムセスは、一人でバザールへ向かった。

 グランドバザールについたとき、ちょうどお昼時であった。
パンや肉を焼く匂いがラムセスの食欲をそそった。
「ああ、腹減ったな〜。そういえばもう昼なんだな」
 まずはこの給金で腹ごしらえだ! と思い、バザール内をゆっくり回った。
 すると、他の店より多くの人が集まっている店があった。食べ物屋のようである。
ラムセスは背伸びをして人込みの中を覗いてみる。魚を焼いていた。脂が乗っている白身魚である。
並んでいる人に何て名前の魚なのか聞いてみると、サバという魚でボスボラスの海でとれた魚だという。
同時にパンも焼いており、パンにサバを挟んで、食べるのだ。店の周りで、みんな美味しそうに食べている。
 サバサンドといって、バザールでは有名らしい。
 ラムセスも行列に並んで一つ注文してみた。
 サバサンド。
 パンも魚もアツアツで、湯気がでている。
 ラムセスは勢いよくかぶりついた。
「うまい!」
 思わず声に出してしまった。この世界に来て初めて食べるものはたくさんあった。
ときどきラムセスの口に合わないものもあったが、たいていは美味しかった。
だが、このサバサンドはまた一味違う。魚とパンを挟んだシンプルな味であったが、
サバから出る脂とパンの甘味が重なってなんともいえない美味しさであった。
 ラムセスはあっという間にサバサンドを食べ終え、迷路のようなバザールの道を進んでいった。
 サバサンドが少ししょっぱかったせいか、ラムセスはしばらくすると喉の渇きを覚えた。
どこか飲み物を売っているところはないか探してみたが、目につくのはコーヒーショップばかりであった。
 メフメトとコーヒーショップへ行って以来、ラムセスは宮殿でコーヒーを飲む練習はしたが、
やはりおいしいとは思えなかった。わざわざ給金はたいて飲みたいとも思わなかった。
 ラムセスは、バザールの奥へ行く道へ進んでいった。
 ――突然、道を進むラムセスの前に手が差し伸べられた。
 その手には、薄茶の液体が入ったカップがあった。ラムセスに「お茶お茶」と片言のオスマン語で
飲めと差し出している。手の主を見てみると、黒髪の男だった。黄色かかった白い肌に細い目、
瞳の色は黒かった。年はラムセスよりはずっと上であろう。顔には深く皺が刻み込まれていた。
 差し出されたお茶はどうやらコーヒーではないらしい。ちょうど喉の乾いていたラムセスはカップを受け取る。
お茶の入っているカップも見たことのないものであった。傘をひっくり返したような白い容器で
髭の生えた蛇のような動物が描かれていた。
 ラムセスはコーヒーを始めて一気に飲んだときのことを教訓にし、カップにそっと口をつけた。
一口だけそうっと上澄みを飲む。甘味も苦みもなく、ラムセスの口にすんなりその液体は入っていった。
 何か発酵させたような花のようなやさしい香りがした。カップの中のお茶をすべて飲み干した。
「うまいなこれ。なんだこのお茶は?」
 ラムセスは黒い髪の細い目の男に聞くと、それは東方のお茶だという。

 烏龍茶というらしい。

 黒髪の細い目の男は、東方からシルクロードに乗ってきた商人だと言った。
地名も言われたのだがインドより東方の地域はメフメトから教わっていなかったのでわからなかった。
 インドよりもずっと東の地域から運ばれてきたお茶だという。
 ラムセスはこの烏龍茶に興味を持った。お茶の葉を是非譲ってほしいと商人に頼んだ。
給金をほとんどすべてこのお茶の葉の購入にあてた。すると、東方の商人はたいそう喜んだ。
今までこのお茶に注目してくれる人がいなかったらしい。商人は大喜びで一緒に烏龍茶を入れる
茶器とカップのセットも付けてくれた。店の奥に行って、その茶器の使い方も教えてもらった。
お茶が入っていたカップは陶器と呼ばれるもので、描かれていた髭の生えた蛇のような動物は龍、
またの名をドラゴンというらしい。


 宮殿に帰ってから、ラムセスは毎日、烏龍茶をいれることに没頭した。
イブラヒムもメフメトも不在で、特に仕事もなかったから、没頭する時間は十分にあった。
何回か失敗したが、数日たつとおいしい烏龍茶を入れることができた。
 誰かに飲んでもらおうと、忙しそうであったが、シャフィークを捕まえて烏龍茶の試飲をさせた。
「どうだ? 美味い茶だろう」
 シャフィークは目を丸くして、ラムセスとお茶を交互に見る。
彼は喋れなかったが、美味しいのであろう。目を輝かせて嬉しそうにしていた。
 その後、イブラヒムの屋敷にいる小姓たちにも烏龍茶をいれた。やはり好評であった。
コーヒーとはまた違って、すっきりとした味わい。落ち着く香り。ラムセスの烏龍茶はイブラヒム邸に
欠かせないものとなりつつあった。
 烏龍茶の入れ方に慣れたラムセスは、何かもう一つこのお茶に工夫はできないかと考えていた。
 ラムセスはイブラヒム邸の庭で薔薇を見ながらぼんやりしていた。もうすぐ枯れそうな薔薇の花が目についた。
ラムセスはその花を摘み取る。鼻を近づけると、薔薇の香りは十分に残っている。だが、見た目を
考えると摘み取らなければいけない。
 もったいないなぁ……。
 そう思いながら、ラムセスは枯れかかった薔薇の花をじっと見つめる。

 ――これだ!

 ラムセスは摘み取った薔薇の花をバラバラにして、天日干しをした。
 数日たつと、花びらはカラカラになった。カラカラになった薔薇の花を烏龍茶の茶葉に混ぜ
茶器を使って入れてみた。
 すると、烏龍茶にほのかな薔薇の香りがした。お茶の色もうっすらとピンク色。
そこへ彩が鮮やかな乾燥した薔薇の花びらを一枚浮かべる。烏龍茶がなんとも豪華になった。
 これはいい! なんとも豪華だ。スルタンのいる宮廷にふさわしいお茶ではないのか!
 早速、シャフィークを捕まえて試飲させる。
 シャフィークは目を輝かせておいしいと何度も頷く。他の小姓たちも絶賛であった。
 ラムセスの薔薇の烏龍茶は、シャフィークを通してヒュッレムの耳にも入った。
 ヒュッレム付きの女官の希望もあり、是非、薔薇の烏龍茶を入れに後宮に来てほしいというのだ。
 

 数日後、シャフィークの案内で後宮のヒュッレムの部屋へ案内された。
 ヒュッレムと女官の他に、皇妹のハディージェもいた。薔薇の烏龍茶の噂を聞きつけ、
一緒に飲みたいと、頼み込んだらしい。

 ラムセスはお茶を入れ始めた。
 まずは急須と湯呑茶碗を温め、温めたお湯は捨てる。 温めた急須に薔薇の烏龍茶の茶葉を入れる。
そこへ沸騰したお湯を、急須の中に少量注ぎ、一度お湯は捨てる。
乾燥している茶葉を開きやすくするために捨てるのである。再度、沸騰したお湯を、急須の中に注ぐ。
 少し高い位置から、入れるのがポイントだ。
 座っていたラムセスは腰を上げ、高い位置から急須にお湯を落とす。
「わあああ!」
 見事なお茶の入れ方に、女官から声が上がる。
 ほどよく蒸らしたろことで薔薇の烏龍茶の出来上がり。
 最後に薔薇の花びらまたは薔薇のつぼみを浮かべる。
「ハディージェ様、ヒュッレム様、どうぞお召し上がりください」
 ハディージェ、ヒュッレムの順番にお茶を出す。
「わあ、薔薇のつぼみが入っている。きれい」
 ハディージェが薔薇の烏龍茶を覗き込む。
「こちらは花びらです。綺麗ですね。匂いもいいわ」
 ヒュッレムも嬉しそうに烏龍茶に口をつける。
「女官方もどうぞ」
 ラムセスは女官たちにも薔薇の烏龍茶を差し出す。
「ありがとうございます」
 ナイマとジャミーラが言った。
「ラムセスさん、お茶の入れた方も素晴らしいですね。見とれちゃいました」
 ナイマが言う。
「うちの女官長はラムセスさんに、見とれちゃってますけどね。フフフ」
 ジャミーラがサハルの方を見てからかうように笑う。
「そんな、見てません! あの、で、でもお茶はすごく美味しいです」
 薔薇の花びらの浮かぶ烏龍茶を手にサハルは言った。
「ありがとうございます」
 ラムセスはサハルの瞳をまっすぐに見つめて言った。
 サハルの顔は烏龍茶に浮かんでいる薔薇の花より真っ赤になった。


***

 宮殿にベオグラード陥落の一報が入った。
しばらくたつと、スルタン一行がイスタンブルへ勝利と一緒に帰ってきた。
イブラヒムもメフメトももちろん無事の帰還である。
 ベオグラードへ行っている間に新宮殿、旧宮殿中に広まったラムセスの薔薇の烏龍茶。
イブラヒムはそれを聞き、少々驚いたが、悪いことではないと好意の様子であった。
メフメトに関しては、薔薇の烏龍茶にえらく感動し、毎日でも飲みたいと大興奮であった。
 ベオグラード帰還が落ち着いたところで、スレイマンの母后主催の祝勝会が開かれるという知らせがあった。
 イブラヒムは参加するであろうが、ベオグラードへ行ってもいない小姓であるラムセスには関係ないこと。
祝勝会のことは何も気にせず聞き流していた。

「た、大変です! ラムセス!」
 メフメトが慌ててラムセスのところへ飛んできた。あまりに慌てて石畳の窪みにつまづき、
転びそうになったのをラムセスが受け止める。
「どうしたんだよ、そんなに慌てて……」
「母后さまの祝勝会にラ、ラムセスも参加するようにと、今、知らせが!」
「は?」
 ラムセスは金とセピアのオッドアイを丸くする。
「ラムセスの薔薇の烏龍茶の評判がスレイマン様、母后様の耳にも入り、是非試飲してみたいと……、
なのでラムセスも必ず参加するようにと今、知らせがイブラヒム様のところに入ったんです!」
「はあああああ?」
 思わず声が裏返る。
 ラムセスはオスマン帝国にタイムスリップした時と同じくらい驚いた。


***
ねねより8ページのあとがき

「夢の雫、薔薇色の烏龍」のタイトル。
適当につけたのに、ちゃんと薔薇色の烏龍にこじつけなったぞ〜! やったぁ(笑)
タイトルも本当は「薔薇の烏龍茶」にしようとおもったんですけど、
なんか最初からネタバレ感もあるし、薔薇色の烏龍のほうが綺麗っぽい?と
思いそのままにしました。
烏龍茶をはじめ中国茶は16世紀にヨーロッパに伝わっているらしいので、
スレイマン1世の時代にはあってもおかしくないはず……です。
サントリー烏龍茶の歴史より
ちなみに薔薇の烏龍茶はルピシアのローズダージリンみたいなイメージです。
昔、ネットの友人にこちらのお茶をもらったのを思い出しました。
とりあえず、薔薇の烏龍茶をこのパロディに出すことが最初の目標だったので、
第一関門突破! バンザイヽ(^o^)丿
あ、もちろん、まだまだ続きますよ。今で段階で3巻の終わりの方ですから(*´▽`*)。
あと、サバサンドはこの時代にはきっとないでしょう。でも、ラムセスが何か飲み物が欲しくなる
状況が必要だったので、どうせならイスタンブールの名物サバサンドでしょ!
と思い登場させました。ラムセスが美味しいと思ったんだしいいよね(笑)。
それでは、まだまだ続きますので、これからもどうぞ見守ってくださいませ♪


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