夢の雫、薔薇色の烏龍
(ゆめのしずく、ばらいろのウーロン)


16.エジプト遠征

 
 反旗を翻したアフメットを治めるため、総司令官として派遣されたイブラヒムに同行したラムセス。
 エジプトの地に踏み入れたら、いきなり古代に戻ってしまうのではないかとビクビクしたが
そんなことはなかった。
 熱い太陽と乾いた風。
 街の様子はラムセスがいた時代よりずっと都会的にはなったが、
ギザのピラミッドの大きさとその存在感は古代から全く変わっていない風景であった。
懐かしい風景であったが、今はイブラヒムと共にこの戦争を早く終わらせなければならない。
ラムセスはイブラヒムに様々な案を出して彼に協力した。
 そんな時、イスタンブルのメフメトからイブラヒムとラムセス宛てに1通の手紙が来た。
「先に読んでいいぞ、ラムセス」
「ああ」
 ラムセスはお言葉に甘えて先に読むことにした。書簡から手紙を出し読み始める。
「でえええええ!」
 しばらくすると、ラムセスは大声で叫び始めた。
「どうした?」
「メ、メフメトとシャフィークは、ヒュッレムの皇子が即位するためには、
ライバルのムスタファ殿下にも命令があれば手をかけると……」
 ラムセスは真っ青な顔で手紙を読み上げる。
 ムスタファ皇子とは剣の稽古もしていて餞別ももらった仲である。
利発で賢くてそして素直で……本当によい皇子だ。情も移っている。ムスタファ殿下を暗殺など
ラムセスにとっては考えられない事だった。
「……」
 イブラヒムは厳しい目つきで無言になる。ヒュッレムの産んだ皇子のほうがやはり大切なのだろう。
 ラムセスは続きの手紙に目を落とす。
「ああ、そうか……よかった」
 ラムセスは続きをよんで安堵の溜息を漏らす。
「どうしたんだ?」
 イブラヒムが不思議そうにラムセスを見つめる。
「ムスタファ殿下は殺さないって」
「え?」
「ヒュッレム様が、邪魔な者は殺さないで後宮でいきたいというお考えだそうだ」
 手紙から顔を上げてイブラヒムを見つめる。最初、意表を突かれた表情であったがイブラヒムであったが、
次に優しい笑顔になった。
「さすがは大宰相イブラヒム様が献上した妃だ!
 ラムセスは嬉しそうに頷く。ムスタファ殿下のこれからの命が保証されたわけではないが、
身内が手をかけないと分かっただけで安心した。
「他にも、メフメトはヒュッレムの産んだ皇子メフメトと同じ名前でややこしいから、
ソコルル・メフメトって呼ばれることになったって書いてあるぞ。ソコルル・メフメトか。
ソコルル、ソコルル……ちょっと言いにくいな……」
 ラムセスはブツブツ独り言を言いながら、次にメフメトに会った時に
ちゃんと呼べるよう練習をしていた。

***

 エジプト総督アフメトが起こした反乱はイブラヒムにより、短期間で鎮圧された。
反逆者アフメトはモスクに追い詰められ、その後斬首。アフメトの首はイスタンブルのスレイマンの元へ送られた。
 その頃、ヒュッレムの第二子懐妊の報がエジプトにももたらされることとなった。
 ラムセスもヒュッレムが第二子を妊娠したという報を聞く。
イブラヒムはエジプトにいるのだから、今度こそ間違いなくスレイマン陛下の御子である。
それと同時に、ヒュッレムとムスタファ殿下が仲良くしているという便りも耳に入った。
一緒に図書館へ行っているらしい。
ヒュッレムはムスタファ殿下に手をかけることはしないようである。
 ヒュッレムやイブラヒムの命令とあれば、イスタンブールにいるメフメトやシャフィークは
ムスタファ殿下に手を掛けることも厭わないであろう。
でも、ヒュッレムはムスタファ殿下を殺して自分の息子を帝位につけるということは
今のところ考えていないようだ。
 ラムセスはふと、ムスタファに剣の稽古をしていた時のことを思い出した。
 剣の稽古の合間に休憩をしていた時のことだ。

***

「殿下、剣の腕を上げるのも重要ですが、それと同時に様々な知識も増やしていかなければいけません」
「ちしき?」
 ムスタファは首をかしげる。
「はい、殿下はいずれオスマン帝国を治めるお方。国は剣の腕前……武力だけでは成り立ちません。
民や兵をどうやって治めていくか。暮らしてゆくか。他国に攻められないためにはどうしたらよいか。
殿下はこれからたくさんのことを学ばなければならないのです」
 幼い殿下には少し難しいかな? とラムセスは思いながら話し続ける。
「学ぶ? 勉強するってこと? 勉強ならお母さまの言いつけでしてるよ」
「もちろん。殿下は勉強なさっていると思います。ですが、できるだけ沢山の知識を身につけることです。
ギュルバハルさまのお言いつけの範囲だけでなく、地理も歴史も数学も様々な事を学ぶのです」
「歴史も数学も……そんなに勉強しないといけないの? どうしてそんなに勉強しないといけないの?
お母さまの言いつけの範囲だけではだめなの?」
 ムスタファはラムセスのオッドアイをまっすぐに見つめる。
 どうしてたくさん勉強しなければいけないかの問いにラムセスは少し考える。
「この国は……いえ、国と言うものは武力だけでは成り立ちません。国を維持するために
様々な勉学を積んだものが集まり、考えて造られたものなのです。知識が豊富で頭の良い高官たちと
対等に話が出来なければなりません。そうしないと騙されてしまうかもしれないからです。
今の殿下にとって無駄になる勉強はないと思われます」
「無題なる勉強はない……じゃあ女の人がやるお料理やお裁縫も?」
「うーん、そうですね。料理は……どんな食材をどのように調理しているかが分かれば
もし毒が盛られるようなことがあってもわかるかもしれませんね。それに毒となる植物もあれば
薬となる植物もある。そういう植物について学ぶのも殿下の身を守る為になるかもしれませんよ」
「なるほど、ラムセスはすごいね」
 ムスタファは感心したように頷く。かなり苦しい答えだったが、納得してくれたようだ。
「でもラムセス。僕はお母さまの言いつけ以外の勉強はできないんだ。
だから色々な事を学ぶのは無理かもしれない……」
 ムスタファは落ち込む。ギュルハバルの厳しい目があるため、勝手な勉強はできないらしい。
「うーん、それならお母さまにたくさん本を読みたいとお願いしてはどうでしょう? 
宮殿には大きな図書館があります。そこにはたくさんの本がありますよ。色々な種類の本を読むだけでも勉強になるはずです」
「ラムセスは図書館に行ったことあるの?」
「ええ、そこでヒュッレム様にもお会いしましたよ」
 ラムセスはヒュッレムに図書館で会った時のことを思い出す。サハルと会ったのも図書館が初めてだったなと思った。
「ヒュッレム様……」
 ムスタファは小さな声で呟く。
「機会があったら、スレイマン陛下に……お父様に図書館へ行ってみたいと頼んでみては?」
「うん、そうだね」
 ムスタファは笑顔で頷いた。

***

 ムスタファ殿下はヒュッレムに図書館へ連れてもらったという。たくさんの本を読むようにという
ラムセスの言葉を信じてくれたのだ。こんな遠く離れたエジプトの地で、その頼りを聞くことができて嬉しかった。
 イブラヒムやヒュッレムにとっては敵かもしれないムスタファ殿下だが、少しでも長く幸せになってほしい。
そう願うラムセスであった。




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