夢の雫、薔薇色の烏龍
(ゆめのしずく、ばらいろのウーロン)

14.イスタンブルへ凱旋

 ロードス島の戦いを終え、イスタンブルへ帰ってきた。
 イスタンブルへ帰ると、後宮がおかしなことになっていた。
第一夫人であるギュルバハルとヒュッレムの立場が逆転したというのである。
ギュルバハルに味方する宦官や側近が何者かに殺され、
後宮はもうすぐ子を産むヒュッレムの天下になったというのである。
 ラムセスはヒュッレムの敵を暗殺している者が誰なのかすぐにわかった。
 シャフィークとメフメト達であろう。イブラヒムに忠誠を誓っている二人の事だ。
イブラヒムが大切にするヒュッレムのためなら暗殺だって何だってやるのだ。
 ただ、ラムセスには気になることがあった。ギュルバハルの息子、
ムスタファ殿下にまで手をかけないか心配だったのである。
「メフメト、ちょっと聞いておきたいんだが……」
「何です? ラムセス」
「この先、ムスタファ殿下には手を掛けたりするってことはないよな……」
 ラムセスは小さな声で聞く。剣の稽古をつけているムスタファ殿下は年の離れた弟のようで本当にかわいい。
こんな事態だ。殿下にまで手をかけることはないか確認しておきたかった。
ラムセスの言葉を聞いたメフメトの表情は一瞬固まる。
「ムスタファ殿下はスルタンの第一皇子です。そのような状況になることは控えたいとは思っています」
 メフメトはオッドアイをまっすぐに見つめる。固い表情であった。
「おい、控えたいって……」
「イブラヒム様に害をなす事態になったら、どうなるかはわかりません」
 メフメトはラムセスに背中を向けて、内廷へ向かう。
「どうなるかって……、おい、メフメト!」
 メフメトはラムセスの呼びかけに振り向きもせずまっすぐ内廷へ向かい歩いて行った。

 しばらくムスタファ殿下のことが心配であったラムセスだったが、
悩んでも仕方ないことだった。ラムセス自身もイブラヒムの小姓としてこの世界にいる。
今の立場では何もできなかった。とりあえず、ロードス島のお土産をみんなに配りたいと思った。
 ラムセスは一番渡したいと思っている人物のいる元へ向かった。
「うまい事会えるかな?」
 ラムセスは後宮への入口を、用事がある振りをしてウロウロしていた。
 男であるラムセスは後宮内へは入れない。偶然、目当てにする人物が出てくるのを待つしかないのだ。
やはり偶然なんてなかなか起こらない。ラムセスは諦めて帰ろうと思ったとき、
その人物が後宮の中から出てきた。それも一人である。
「サハル殿!」
 嬉しくて思わず大きな声で呼んでしまった。名前を呼ばれたサハルは驚いて振り返る。
「ラムセス様……」
 サハルはラムセスを見つめ呆然とする。
「サハル殿、会えてよかった。渡したい物があるんです…」
 ラムセスはサハルに駆け寄り、栞を差し出す。
「無事にロードス島から帰って来ました。選別を頂いたので、これはお土産です。
ロードス島に咲いていた花で作った押し花の栞です」
 ラムセスはサハルの瞳をまっすぐに見つめる。サハルは栞を受け取り、
突然のことに口をポカンと開けて呆然とする。
「サハル殿?」
 何も喋らないサハルを心配し、ラムセスは名前を呼ぶ。
「あ、はいっ! あの……ありがとうございます。ご無事のお帰り何よりですっ」
 サハルは栞を手に大きくお辞儀をする。栞を見ると、真っ赤な花の押し花であった。
「この赤い花……薔薇ですか?」
 薔薇にしては赤すぎる。今まで見たことのない花であった。
「ハイビスカスという、ロードス島のように温暖な地域に咲く花です。
イスタンブルでは見られませんよ」
 ラムセスはやさしくサハルに笑いかける。そんなラムセスの笑顔を見たサハルは、
ハイビスカスの花と同じくらい真っ赤な顔になった。
「そ、そうなんですか。ありがとうございますっ」
「こちらこそ、餞別を頂いたのにあまりお礼も言えずに……それに今も引き留めてしまって…」
 ラムセスは後宮の方を見る。後宮仕えの女性が、男と喋るのはあまりよくないだろう。
「あっ、そうですね。もう仕事に戻らないと!」
 サハルは少々慌てる。
「じゃあ、また! サハル殿」
「は、はい!」
 サハルの声は裏返っていた。ラムセスの背中が見えなくなるまで彼の姿を追っていた。
まさか、お土産をもらえるとなんて思ってなかった。それもこんな綺麗な珍しい花の押し花の栞。 
サハルはしばらく栞を見つめ、大切に胸元にしまった。顔の筋肉が緩むのを止められなかった。


***

 イスタンブルへ帰朝後、人事の一新があった。
 イブラヒムが大宰相に任命されたのである。ロードス島の時のように断ることは許されなかった。
イブラヒムは出世などいらない。ヒュッレムとその御子を賜りたいという思いが胸の内にあるが、
スレイマン陛下を目の前にすると言い出せないようだ。
大宰相という帝国No.2の地位を得ても、気分は晴れなかった。
その後、ヒュッレムが皇子を産み、ますます後宮はヒュッレムの天下となっていった。
大宰相が後見のヒュッレムの皇子誕生には、たくさんのお祝いの品が届いた。
 そんなお祝いが一段落した頃、ラムセスは後宮のヒュッレムの元に呼ばれた。
薔薇の烏龍茶をいれてほしいと頼まれたのである。
 ラムセスはメフメトに案内されて、薔薇の烏龍茶をいれにいった。
ヒュッレムと皇子と、女官たち。ヒュッレムの側にはサハルも控えていた。
薔薇の烏龍茶をみんな飲み終わったところで、ラムセスは一緒に持ってきた袋から
ロードス島遠征のお土産を取り出した。
「ヒュッレム様、ロードス島に咲いていた花で作りました押し花の栞でございます。どうぞお納め下さい」
 ラムセスはヒュッレムに栞を差し出した。
「まあ、なんてかわいらしい。ありがとう」
 ヒュッレムは嬉しそうに栞を見つめる。
「女官方にもどうぞ」
 ラムセスはナイマとジャミーラにも栞を手渡した。
「まあ、わたくしたちにも頂けるのですか?」
 ナイマとジャミーラは大喜びであった。
 一人浮かない顔はサハルであった。
 栞はみんなの分もあったのだ。自分だけ特別ではなかったのだ。
自分は後宮の入口でラムセスから先に貰ってしまった。自分の分の栞はないであろう。
サハルはがっかりした気持ちを悟られないよう気持ちを引きしめ真っ直ぐ前を向く。
「女官長殿もどうぞ」
 サハルの前に栞が出される。赤紫色の小さな花の栞だった。
「ラムセス。これは何という花なの?」
 ヒュッレムが栞に押してある見たことのない花を不思議に思い尋ねる。
「ブーケンビリアというロードス島のように暖かい地域に咲く花でございます」
「そう、綺麗な可愛い花ね」
 ヒュッレムは栞を見つめ嬉しそうであった。
 サハルはラムセスからもらった栞を見た。後宮の入口でもらったハイビスカスの栞よりも
二回りほど小さな栞であった。ブーケンビリアはハイビスカスより紫色がかった赤で、
綺麗な色だが、先に自分が貰ったハイビスカスの押し花のほうが豪華に見えた。
 やっぱり、ハイビスカスの栞は特別にくれたものなのだろうか……。
 そう思うと、嬉しくて顔が真っ赤になるのを止められなかった。
「女官長、ブーケンビリアと同じくらい真っ赤な顔してますよ」
 ナイマがクスクス笑う。
「ラムセスさんからの贈り物が嬉しいんですね、女官長」
ジャミーラも笑っていた。
「いえ、あの……ありがとうございます」
サハルはブーケンビリアの栞を見つめてお礼を言う。栞から顔を上げラムセスの顔をちらっと見た。
すると、ラムセスもこちらを見つめており、サハルに向かって一瞬だけオッドアイの片目を瞑ってウインクした。
 サハルは胸が熱くなるのを止められなかった。




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