夢の雫、薔薇色の烏龍
(ゆめのしずく、ばらいろのウーロン)


12.二人からの餞別

「ロードス島にはラムセスを連れていく。メフメトは今回、イスタンブルに残りヒュッレム様に仕えよ」
 メフメトとラムセスはイブラヒムに呼ばれ、そう命じられた。
ラムセスをイブラヒム付きの小姓の一人として連れていくとの命令があった。
「ホントか! やったぁ!」
 ラムセスは飛び上がって喜ぶ。ベオグラードは留守番だった。
これであの『大砲』を実際に使用するところをみることができるのだ。
「イブラヒム様、本当にラムセスを供に連れて行っても大丈夫でしょうか?」
 メフメトが大喜びするラムセスに不安な視線をかける。
「うーむ、やはり少々迷ったのだが……、メフメトとシャフィークには
イスタンブルにいてヒュッレム様をお守りしてもらいたい。ラムセスは……元は軍人だ。
剣の腕はもちろん、運動神経に判断力も抜群だ。ここに残しておくには惜しい」
 ラムセスは失敗ばかりしていると思いきや、ちゃんとイブラヒムは評価していたらしい。
ラムセスを連れていく気持ちに迷いはないようだ。
「わかりました。イブラヒム様」
 メフメトは納得する。
「メフメトに頼みがある。ラムセスを連れてはいくが、この世界の戦いに慣れていないであろう。
地理や歴史上の事を含めて出発までラムセスの指導に当たって欲しい」
「わかりました。さあ、ラムセスみっちり教育してあげますからね!」
 メフメトは両手に拳を握り得意そうにする。
「お、おてやわらかに……メフメト様」

***

 ラムセスはロードス島へ行く準備に大忙しであった。それ以上に忙しいのはメフメトである。
ラムセスの教育係にイブラヒムの準備、ヒュッレムに仕えるための挨拶等、目の回るような忙しさであった。
「もう、本当に僕はラムセスが心配でなりません。
一緒に行く高官の方はもちろん兵士の皆さんに決して失礼のないように。
無駄な事は喋らない様にしてくださいね」
「はいはい、わかったよ。何度も聞いてるってば……」
 耳にタコができるほどメフメトは繰り返していた。
「今日は、あの……ムスタファ殿下との内緒の稽古の日ですよね。
今日が最後の日です。殿下へのご挨拶も忘れないように」
 今日は金曜日。ラムセスとムスタファの都合がついたときのみの剣の稽古の日であった。
翌週からはもうロードス島へ向けて旅立っているので、今日が最後となる。
できればムスタファ殿下と今日お会いして挨拶をしておきたい。ラムセスはそう思った。
「わかってるよ。ちゃんと挨拶するから……」
 
 約束のギュルハネ公園に行くと、もうムスタファ殿下と側近のハリルは来ていた。
「ラムセス!」
 ムスタファは無邪気に近づいてくる。年の離れた弟のようで本当にかわいい。
「ご機嫌いかがですか? ムスタファ殿下」
「うん、ラムセスも元気?」
「はい」
 ラムセスは穏やかに笑う。
「そうだ、ラムセス。ラムセスはロードス島に行くんでしょ。
今日が最後の稽古なんでしょ。気を付けてね。ラムセス」
「はい、殿下。しばらく稽古ができなくて申し訳ありません」
「それはいいんだ。でもいいな。僕も早く大人になって戦場に出てみたいなぁ」
 ムスタファは遠くの空を見つめる。まだ幼い殿下であったが、
ちゃんとこの殿下は将来の事国の事を考えているのかもしれない。
後宮のあたたかな部屋で過ごしているのでは物足りないのだ。
「そうだ。ラムセスこれあげる。お餞別?っていうの?」
 ムスタファはポケットから赤い紐の飾りを出した。
上等なシルクで束ねてある赤い紐飾りで、根元には金の刺繍が施してあった。
「剣につける飾りだよ。ラムセスにあげる」
 ムスタファはオッドアイに笑いかける。
「そんな、恐れ多いです。このような上等なもの……」
 まさかムスタファから餞別をもらえると思ってもなかった。
「ううん、僕、ラムセスのこと大好きだからもらって。ロードス島からも無事に帰ってきて、
また稽古してもらいたいんだ。これはその約束だよ」
 ムスタファの優しさに思わず涙腺が緩む。この皇子はなんてやさしいのだろう。
ラムセスは剣の飾り紐をギュッと握った。
「お気持ち本当に光栄です。ではこの飾り紐はありがたく頂戴いたします」
 ラムセスはムスタファに膝まづく。
「うん、また稽古しようね!」
「はい!」
 ムスタファの笑顔になんだか心が綺麗になった思いのするラムセスであった。


***

 ロードス島へ出発の日になった。身なりを整え集合場所に広場に向かう途中であった。
「ラムセスさま……」
 名前を呼ぶ小さな声がしたような気がした。振り返ったが誰もいない。気のせいだったのだろうか?
「ラムセス様、こちらです」
 今度は右斜め後ろからしっかりと声がした。ラムセスが振り向くと、ヒュッレム付きの女官、サハルが立っていた。
「ああ、サハル殿。どうしました?」
 サハルの顔は真っ赤であった。何か言いたそうにもじもじしている。
「あ、あの!」
 サハルは真っ赤な顔で言葉を詰まらす。
「はい」
「ロ、ロードス島へ行くと、う、伺いました。お気をつけて……
あの……これはお餞別です」
 サハルはラムセスの前に小さな畳んだ布を差し出した。よく見るとハンカチであった。
 薔薇の刺繍のしてあるハンカチである。
 まさか、女性から、サハルからこのような餞別をもらえるとは思ってもいなかったので驚きである。
「あ、ありがとうございます。お気を使わせてしまって申し訳ありません」
 ラムセスは薔薇のハンカチを受け取る。薔薇の刺繍はサハル自身が手で施したのであろう。
綿密で美しい薔薇の模様がハンカチに浮き出ている。
「あ、本当にお気をつけて! 失礼します!」
 顔を真っ赤にしたサハルは逃げるようにラムセスの元を去っていった。
 もう少し話をしていたかったのにな……
 ラムセスはそう思いサハルの背中を見えなくなるまで見つめていた。

***

 ロードス島へは、まず船でアジア側のスクタリまで行き、
そこから陸路で地中海にあるロードス島付近まで行く。長い道のりである。
 その途中、マルマリスのオスマン軍基地でイスタンブルから至急の連絡が入った。

 側室、ヒュッレム。懐妊の報である。

 ラムセスは真っ先にイブラヒムの顔を見た。
 ――やはり、真っ青な顔をしている。あの秘密の夜の時期から考えて、
スルタンかイブラヒムかどちらの子なのであろう? ラムセスは疑問に思ったが、
イブラヒムに聞くことはできない。ここはイブラヒムの動揺を隠すようフォローするのが一番だと考えた。
「イブラヒム様、何かお手伝いすることはございませんか?」
 ラムセスは小さな声で話しかける。反応がない。
「イブラヒム様!」
 ラムセスは軽くイブラヒムの腕を叩く。
「ああ、ラムセス……」
 やっとこちらを振り向いた。
「何かご命令を」
「ああ、じゃああれとこれと……」
 イブラヒムはやっと我に返りラムセスに支持をする。やはり心の中ではかなり動揺しているのであろう。
でも、この動揺を感のいいスレイマンに知られてはいけない。なんとか隠し通さなくては…。
 ラムセスはそう思い、主人を見つめた。



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