夢の雫、薔薇色の烏龍
(ゆめのしずく、ばらいろのウーロン)

 
1.テーベからイスタンブルへ

 紀元前1300年、エジプトの首都テーベ。
ラムセスは自宅の庭にいた。自宅といってもラムセスは貴族である。
貴族であるラムセスの家は神殿のようであった。エジプトの恵みであるナイル河から直接船で入れる玄関。
数え切れないほどの部屋があり、使用人を何十人も抱える大きな家であった。
 彼専用の庭もあり、ラムセスが植えた何百本もの薔薇が咲き乱れていた。
庭の中央には彼の身長の半分くらいだが、小さな噴水もある。
噴水から出る水しぶきが、周りの薔薇に霧吹きのようにかかる。
瑞々しい緑と真っ赤な薔薇が美しい庭を創り出していた。

 ファラオとしてホルエムヘブが在位して3年。有能なラムセスは軍司令官の位にあった。
軍を率いるのも仕事であったが、雑多な仕事も多い。最初、ラムセスは部屋で粘土板や
パピルスの文書に目を通していたが、睡魔が襲い、薔薇の咲き乱れる庭でワインを飲みながら
仕事をすることにした。
 ラムセスは庭の中央にある噴水の隣に腰を下ろした。
季節は冬。強い日差しが照り付ける焼けるような夏と違って、エジプトの冬は温暖である。
特に今日は温かかったので、ラムセスは上半身裸になり、裸足で庭に出ていた。
真夏と同じ恰好である。腰には軍人である証、剣をさしていた。
 ワインを少しづつ飲みながら、パピルスで書かれた粘土板とパピルスに視線を落とす。
ふと、ヒッタイト帝国のユーリのことを思い出した。平民の身分でありながら、
本当にヒッタイト皇帝の正妃になってしまったのだ。王族や貴族の身分では政略結婚が常識である。
ムルシリは政略結婚ではなく、本当に好きな女と一緒になれたかと思うと、少し羨ましかったし、悔しかった。
ユーリは王の隣に立つふさわしい女だと思い、最初、彼女に近づいたのだが、
結局は、自分の中にユーリが好きだったという気持ちがあったのかもしれない。
だからムルシリに対してこんなにも悔しい思いがあるのだ。
「いや、やめたやめた! こんなこと悶々と考えるなんてダメだ!」
 ラムセスは首を振った。気晴らしに薔薇の手入れでもするかな。
ラムセスは立ち上がり、彼の植えた薔薇の世話をはじめた。
部屋に飾るために数十本、真っ赤な薔薇を摘み、部屋に持ち帰れるよう布に包み、
その上から軽く紐を結んだ。
 薔薇を見つめながら、またラムセスは考える。
「俺もそろそろ身を固めないとな。ユーリの娘を俺の息子の嫁に貰うと宣言もしたしな……。
まあ、縁談は腐るほどあるのだが……」
 ラムセスは溜息をつき、手にしているワインの入ったカップを見つめた。
カップの中には薔薇の花びらが一枚入っていた。庭に咲き乱れている薔薇の花びらが一枚
偶然ワインのカップに入ったのだろう。ラムセスは花びらが浮いたまま、そっとワインを口にした。
 すると、どうであろう。また睡魔が襲ってきた。今度は部屋の中で襲った睡魔より強烈なものであった。
ラムセスは、粘土板を片手に眠りに落ちていった。
 薔薇咲く庭の中央にある噴水の水しぶきの音が少しづつ遠くなるのを感じた。


***

「……寒い」
 ラムセスはあまりの寒さに目を覚ました。
 身震いしながらラムセスがオッドアイを開けると、目の前の景色に硬直した。
 目が覚めた場所は自宅の薔薇の咲き乱れる庭ではなかったのだ。
隣に噴水はあった。だが、庭にあった噴水とは違う。庭にあった噴水は身長の半分くらいの小さな噴水だ。
目の前にあるのは、その5倍以上も大きい巨大なものであった。噴水からでる水は更にその倍以上の
長さに達している。
 それにこの寒さ。ラムセスの蜂蜜色の肌は鳥肌が立っている。とても上半身裸でいられるような気候ではなかった。
エジプトの雲一つない青空とも違い、空はどんより暗かった。
エジプトでは雪は降らないが、雪が降ってもおかしくないような寒さであった。
「わー、あのおにーちゃん裸だー」
「しっ! そんなこというんじゃありません!」
 小さな子供がラムセスを指さして笑っていた。それを母親らしき女性が子供の口をふさいでいた。
「な、なんなんだ。ここは……。俺んちじゃない。どこなんだ」
 ラムセスは辺りを見回す。見たことのない景色であった。
エジプトのオベリスクと同じくらいの高さの石造りの巨大な建物がいくつもあった。
正面には天井が球状の大きな建物もある。ふと足元を見ると、地面がヒンヤリ冷たい。
裸足のラムセスの足は土ではなく、形の揃った石が敷き詰めてある石畳の上にあった。






「ど、どこなんだ。ここは……」
 ラムセスは立ち上がった。膝に置いてあった粘土板とパピルスが地面に落ちた。
隣には先ほど摘んだ薔薇が布にまかれて置いてあった。
 ラムセスは薔薇と一緒に粘土板とパピルスを布で包み、紐で背中にくくりつけた。
「ちょっと見て、あの人、裸で裸足……」
「何かしら、あの人……」
 通りかかる人が彼をみてひそひそ囁く。
 ラムセスはいたたまれなくなり、小走りで噴水の前から逃げた。
ラムセスの目に映る景色は、すべてが初めて見るものだった。行きかう人々はエジプト人ではない。
男性も女性も自分のように肌を露出しているものは一人もいなかった。
中には顔を殆ど布で多い、目だけ出している者もいた。
頭には台形のヘンテコな帽子をかぶった者もいる。

「どこなんだーここはー!」
(1巻のヒッタイトに飛ばされたユーリ調に・笑)


 今回の主人公ラムセスは放っておいて、これを読んでいる方に説明しよう。
ここは16世紀、スレイマン1世の治世下にあるオスマン帝国の首都イスタンブル。
真冬のイスタンブルに殆ど裸でタイムスリップしてしまったラムセスの物語がこれから始まる。







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