カッパドキア

カッパドキアの不思議なキノコの岩は、度重なる火山(エンジェルス山)
の大噴火でできた大地が何万年もかかって浸食されたものです。
カッパドキアの歴史は古く、紀元前1900年のヒッタイト時代には
交易が栄えていたと言われています。
現在見学できる岩の住居や教会の多くは、
6世紀頃、アラブ人が迫害から逃れて作ったものです。


注;カッパドキアはどこがどこの写真だか、既にわからない状態に
なっています。場所と写真が間違っていたらゴメンナサイm(__)m


デレヴエント

最初にバスを降りた場所が、デレヴエント(たぶん)。
タケノコの形を白ピンクの岩の群れは絶景です!
カッパドキ奇譚の最初に見開きもこんな感じだったかな?
こちらも上に同じ。左は上の写真と色が違うけど、
それは現像の問題で多分同じ場所なんだと思う。
たぶんね(笑)。
岩は触れるだけでパラパラと落ちる凝灰岩だそうです。
あ、別に触れたわけじゃないですよ。もちろん見学だけです。
ガイドブックにそう描いてあったんです!
ユーリのように岩の間をアスランでかけてみたかったけどね(笑)。
ちなみに写真では見えないけど、岩のところどころに
開いている穴は迫害を受けたキリスト教徒たちの隠れ家
の跡なんだそうです。
らくだの岩です。↑の場所からはバスでちょっと
移動したところにありました。色といい、コブの形と
いい、まさにらくださんですよね!
ここでは、「ねね専属絵描き女さーん、カッパドキア
ですよー、らくだの岩ですよー。絵描いて〜!」
と叫びながらビデオ撮った記憶が……(笑)。




パシャバー地区

カッパドキアらしい風景だなーと、右のキノコの岩を見たとき
思いました。岩と岩の間に生えている植物はブドウなんだ
そうです。ここではビデオカメラに向かって、とレポーターに
なったつもりで
世界不思議発見ごっこやりました。
「さて、問題です。岩と岩の間に生えている植物は
何でしょう?」(笑)。

地層は各層で硬度が違い、下の方は凝灰岩、
上の方は玄武岩。
硬い玄武岩が帽子のように残って、
キノコの形になって↑や←のような形になったそうです。
→は石灰っぽい岩えでした。触っただけで、パラパラと
崩れ落ちました。この写真は「ねね登ってくるから、
しゅんしゅんさん写真撮って!」としゅんしゅんさんに
カメラを押し付けて撮らせた記憶が……(爆)。

上の場所の上り口付近です。
アヤシイ土産物屋さんがたくさんありました。
後ろのキノコの岩は
スカートはいた巨大エノキダケって感じよね(笑)。



エセンテペ(通称;妖精の煙突)

  
絵ハガキなんかにもよくなるキノコの岩、妖精の煙突と呼ばれる岩です。
帽子をちょこんと乗せた煙突のような岩。中に妖精が住んでいると言い伝えられ、
『妖精の煙突』と呼ばれるようになったそうです。



ウチヒサール

ウチヒサールとはトルコ語で「3つの要塞」という意味。
カッパドキアの一番高いところに位置する村で、
中央の岩の要塞がシンボルなのだそうです。
岩の上部にはハトの巣用の穴が空いていています。
糞を肥料に使うのだそうです。(ずっと前、不思議発見でハトの問題があった)何羽かハトさんが出入りしているのを見ました。ちなみに集められた糞は周囲のブドウ畑に撒かれるそうな……。

ちなみに、ちっちゃくて見えないかもしれないけど、
ねねたち、赤いタワナアンナ冠をかぶってます♪
 →
yukiが
らくだ
に乗り
ました

ここにはラクダさんがいました。ツアーのメンバーが何人か載りました。
私も乗りたかったけど時間がなくなってあえなく断念。確か、乗るだけと乗って歩くでは料金が違かったような……。
そういえばエジプトのギザのピラミッドのところでもらくだがいたなァ〜。実はエジプトでもらくだに乗れなかった。
らくだに乗れない少女ねね(爆)少女じゃないでしょ……というつっこみはまた来週!(笑)

↓拡大

ギョレメの大パノラマが楽しめるウチヒサール。
ここは同じウチヒサールでも、このパノラマが
見える場所に移動したのだと思います。




ゼルベの谷

多分これがゼルベの谷と呼ばれる一部なのだと思う。
写真の順番からの想像と、ガイドブックを
見比べてだからアヤシイけど。
なんだか、見方や写真の撮るスポットで
色々な風景があって……。
とりあえずここはカッパドキアということで……(笑)。





ギョレメの野外博物館


ギョレメは迫害を逃れたキリスト教徒たちが
共同生活を営んでいた中心地。
4世紀ころから住み始め、10世紀頃には
400以上の協会があったと言われています。

←はネット更新用にわざと後ろから撮りました。
ハトの谷の断崖です。中央に空いている小さな穴にハトが
出入りしていました。→写真下に緑があるのが分かると思うんですけれど、
この緑のずーっと下にピクニックをしている家族がいて、
「メルハバー!」と手を振ったら振りかえしてくれました。
それも何度も!(笑)

ここは高台になっていて、写真は下から
見上げるようにして撮ったものです。
『高台から見下ろす』といって思いつくのは、
サソリに刺されたユーリを心配して、民衆が
薬草を持ってきて後宮のテラスから手を
振るシーン。
下の人は「イシュタルさま〜薬草を!」と叫び、
上の人は「みんなー私は大丈夫だよー」
と天河ごっこしていました(笑)
イシュタルごっこをしていると、他の観光客らしき
外人さんがやってきました。
イシュタル様ごっこをしている私達と並んで、
ちょうどこれが3人だったので、
「おお!3隊長(右の3人)も合流よ!」
と喜びながら写真をパチリ。
すると左側にもう一人来たので、
「あ、また一人増えた!彼はキックリでいいね」
と、見ず知らずの観光客も、私達の天河ごっこに
混ぜてしまっていました。
→の写真は誰もいなくなった高台です。
イシュタルさまごっこをした高台の中です。
←こんなふうに小部屋にわかれていました。
これもなんかの教会です(きっと)。
岩窟教会がいっぱいありました。
ギョレメ野外博物館の洞窟の中の
修道院(教会)です。
これらの文様は古代ヒッタイトでも
使われていた昔からの文様もあるらしいです。
同じく洞窟の教会です。
バジル教会、リンゴの教会、バルバラ教会、へびの教会などを
はじめ30ほどの教会があるようです。そのうちのいくつかに
入りましたが、壁や天井に書かれたフレスコ画は色もきれいで
結構鮮やかでした。



カイマルクの地底都市

地底都市といって思いつくのは、
カッパドキア奇譚のユーリが逃げ回ったシーン。
写真じゃわからないかもしれないけど、
結構暗いし、それに天井も低くって
こんなところで駆けずり回るなんて
とてもとても! 運動神経生きていく上での
最小限の私にはとてもじゃないけど
できません!(笑)

階段です。これ見ても暗いでしょ。本当に暗かったのよ。
ねね、結構デカイから、背中をだんご虫のように丸めて
歩いたの覚えています。現地ガイドさんが
「止まらずに歩いてください、写真なんか取らないで!
後ろの人が閉じ込められます!」
と叫んでいました。
でも撮った(笑)。

何してんだこいつら……という感じですが、
ユーリとトゥーイが地下都市に紛れ込んで
「いたぞ!あそこだ!」と追っ手に見つかる
シーンを再現してみました。
名づけて、『いたぞあそこだごっこ』
そのままですね……。

敵の侵入をふせぐドアです。地下都市にキリスト教徒たちが
住んだのは、迫害をのがれるためなのでこういうドアがあるんですね。
他にも学校やトイレ、パンを焼くカマドなど、一通り生活に
必要なものが揃っていました。
この写真はねー、『いたぞ、あそこだごっこ』
未遂ごっこ。指を刺す前に写真を撮られてしまって、
なんだか歌舞伎役者のようになってしまったわ……(爆)。



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