***赤い影***
(ドラマ「白い影」天河版)
BYまゆねこ

<キャスト>
直江医師=ラムセス 
小橋医師=カイル 
志村看護婦=ユーリ
戸田次郎=氷室   
石倉由蔵=キックリ 
石倉の妻=双子
行田院長=ホレムヘブ  
行田三樹子=アンケセナーメ
婦長=ナキア  
同僚の看護婦=ハディ 
入院した女優=ウルスラ

(なお名前は天河と同じでやらせていただきます。注:混乱を避けるため)

1      


<1>
 ホレムヘブ病院に赴任したばかりの看護婦、ユーリはあせっていた。
初日から夜勤になっただけではなく、一緒に当直の予定だった医師、ラムセスの姿
が見あたらないのである。しかも急患が入っている。
 同僚のハディに聞くと
「さあ? また行きつけのバーにでも行ってるんじゃない?」
 と、そっけなく言うだけであった。
「そんなんでいいと思ってるんですか?」
 正義感の強い彼女は怒った。仮にも医者である。仕方なく彼女はラムセスの
携帯に連絡を入れた後、救急車を迎える準備をした。
 そうこうしているうちに救急車が入ってきた。ラムセスはまだ来ていない。
患者は道で酔ってケンカをした若者らしい。
 しかし担架に乗せられてきた患者を見て彼女はびっくりした。
「氷室! 氷室じゃないの! あんたいったいどうしたの?」
「やあユーリ! 俺なあ…」
 実は氷室はユーリの中学の同級生でかつての恋人であった。しかも彼はしたたかに酔って、
顔や体に血がついていた。

 そこへラムセス医師がやってきた。クール? なオッドアイに金髪! 蜂蜜色
の肌に白衣の胸には真っ赤な薔薇という派手な出で立ちをしていた。
しかも今まで飲んでいたのか酒臭い!
「先生! 急患です!」
 ユーリが言うとラムセスは落ち着き払って言った。
「わかっている! 消毒の用意をしろ!」
 しかし氷室はケガをしているにも関わらず酔って暴れていた。
「ちょっと氷室! 静かにしてよ!」
「何だ?君の知り合いか?」
 ラムセスが聞くとユーリはちょっと口ごもった。
「ええ中学の同級生なんです」
「何だよ! ユーリはっきり言えよ!  俺の彼女だってよー」
 氷室が叫ぶとラムセスはムッとして命令した。
「この患者をトイレに閉じこめろ」
「ええっ?」
「まず静かにさせるんだ」

 ラムセスの命令でトイレに閉じこめられた氷室はしばらく騒いでいたが
やがて静かになった。ラムセスは彼にてきぱきと処置を施していった。
ユーリはその様子を見て、彼の腕の確かさに驚いたが同時に言いしれぬ反発感も抱いた。
 次の日往診に来たラムセスは氷室に聞いた。
「ところで君は入院の費用はあるのかね?」
「いいえ! ありません」
「払えないとなると早々に退院してもらわねばいけないなあ」
「何だって!」
 困った氷室はラムセスの同僚の医師カイルに泣きついた。カイルはラムセス
と違い医者としての良心と正義感に燃えていた。
「金がないからと言って追い出そうとするなんて…ラムセス先生もひどいな。
よし私がしばらくは立て替えよう。先生にも話しておくよ」
「ありがとうございます」

 その頃ラムセスは院長室で患者の手術について院長のホレムヘブに相談していた。
末期ガンの患者キックリについてである。
「キックリさんについてはガンは告知しないほうがよいでしょう」
 ラムセスは、はっきりと言い放った。
「ではラムセス先生、手術をするのはどういうわけですか?」
 院長が聞いた。
「手術はあくまでもふりだけです。一応開腹だけして、すぐに閉じます」
「あなたがそう言うならいいでしょう。私はあなたの腕を買っています。
それに私のカラオケにつき合ってくれるのはあなただけですし…」
 そこへ息せき切ってカイル医師が駆け込んで来た。
「すみません。失礼します。ラムセス先生! 昨日急患で入った氷室さんを
金がないからってすぐに追い出すのは、あんまりじゃないですか?」
 するとラムセスは顔色も変えずに言った。
「仕方がないのです。医療はボランティアじゃないんですから! それに
カイル先生ご存じですか? 氷室君がユーリ看護婦の恋人だったってのを」
「何だって?」
 今度はカイルがびっくりした。
「し、しかしキックリさんにも本当のことを言わないのは…医師としての
良心がとがめるのでは?」
「あの人には告知を受け止めることができません!」
 カイルはラムセスの襟首をつかんでいた。
「まあ、まあ…」
 間にホレムヘブ院長が割って入った。
「医師としての理想はわかります。カイル先生、しかし現実問題としては…
ラムセス先生の意見もわからないでもない。私はお二方の腕を買っているのでね!
ここは私に免じて収めてください」
 やっとのことでカイルはラムセスの襟をつかんだ手を放した。

「ねえねえ知ってる? ユーリ」
 ナースセンターでは同僚のハディがユーリに声をかけた。
「ラムセス先生のこと! あの先生って大学病院で講師務めてたほど優秀なんだって…
院長だってあの先生には頭があがらないって噂よ」
「そりゃ何でまた?」
「さあねえ弱味でもつかまれてるのかしら? ホレムヘブ院長はカラオケ狂い
だけど歌は超ど下手で聞いてくれるのはラムセス先生だけなんですって…
わかるような気がするけど、でもオッドアイは素敵だしクールだしね」
「何よ! 薔薇なんかつけてキザったらしい! あたしはカイル先生の方が
いいと思うけどなあ」
ユーリが反論するとハディも言った。
「カイル先生も優しくていい男よねえ? ユーリ! あなたのこと2人とも興味
持ったみたいよ。いいなあ」
「あたしは別に…どうでもいいんだから」
 そう言って部屋を出た。担当のラムセスに報告に行くためであった。

 医局の中ではラムセスがはあはあ言いながら、薔薇色の怪しげな注射を腕
に打っていた。そこへトントンと…ノックの音。
「誰だ!」
 慌ててラムセスは注射器具を隠した。入ってきたのはユーリである。
「すみません…あたし。ラムセス先生! 顔が真っ青です。大丈夫ですか?」
 ユーリがラムセスに近づいて揺さぶった。その時である。ラムセスがいきなり
ユーリにキスをしたのは…
「きゃッ先生! いきなり何なさるんですか!」
 ユーリは力一杯ラムセスをひっぱたいた。ラムセスの頬にもみじ型の手形が
ついた。そのままユーリは部屋を出て行った。
「ふっ…もう俺は人を愛すことがないと思っていたのにな…」
 その手には一輪の薔薇が握られていた。あくまでクールに決めようとしている
ラムセスであった(爆)
          


 <2>
 ラムセス医師はキックリに「胃潰瘍」と称して偽の手術をすることにした。
もちろん当人のキックリにも妻である双子達も騙すことになる。
「先生! よろしくお願いします」
 お人好しのキックリは、ラムセスをまるで命の恩人であるかのように手を握りしめた。
妻である双子達も代わる代わる病室に来て
「ラムセス先生! 絶対キックリの病気を治してください。でないと私達生きて
ゆけません〜♪」
 と2人でハモる始末であった。
「いったいどっちがどっちなんだ! 見分けがつかん」
 ラムセスが言うとユーリは
「あたし見分けがつきますわ! いつも最初にくるほうがリュイ! 妊娠してる方
がシャラですわ」
「何? 君は見分けがつくのか? しかも妊娠してるだと? よし君の予想が当たっ
ているか賭けよう。カシオミニ1個でどうだ?」
「カシオミニ…結構せこいですねラムセス先生! 今は安く買えるんですよ」

 そんなふうに急接近する2人を見て苦々しく思う者もあった。カイル医師である。
彼は未だにキックリに嘘をつき続けることと偽の手術をすることに
強硬に反対していた。それにケンカをして入院してきた氷室の費用の件でも
ラムセスと対立している。
「とにかく…患者に嘘をつき続けるなんて僕の良心に反します。ラムセス先生
僕は絶対反対です。氷室君にしてもそうです。入院代を払えないと言って無下
に追い出すのはかわいそうです。なんなら僕が肩代わりします」
 カイルはこぶしを振り上げて熱く語った。
「カイル先生! 相変わらず性善説ですか? そうまでして氷室に肩入れしなけれ
ばならない理由は何です? かつてユーリの恋人だった男に…今はただのチンピラ!
そいつに恩を売って恋人を譲ってもらおうとでも?」
 ラムセスはフンと鼻を鳴らした。
「とにかく俺はキックリの腹だけは開ける。それだけだ」

 ナースセンターでユーリが休憩しているとハディがやってきた。ユーリが
この病院にやってきた時から優しくしてくれる看護婦だ。
「なあにユーリ疲れたの? キックリさんに嘘をつき続けなければいけないから
かしら?」
「ハディ…あたしラムセス先生もわからなくなってきたのよ。この病院、院長
からしてカラオケ狂いだし、婦長も不気味じゃない?」
「ナキア婦長なら気をつけたほうがいいわよ! 黒い水や薔薇色の水だの変な薬
作って人体実験してるみたいだから! ぐずぐずしてると狙われちゃうわよ!」
 するとコホン!と咳払いをして1人の厚塗りの看護婦がやってきた。ナキア婦長である。
「人体実験が何じゃとな…? ハディ噂話はいいかげんにするように! それから
ユーリ! お前の知り合いが入院して迷惑をかけているようじゃが…彼氏か?
若いのもいいがたいがいにせい!」
 そう言って2人をじろりと睨んだ。
「全く! 化粧ババァ! 意地悪なんだから! あの厚塗りのくせに自分のこと
ナッキーなんて言ってんのよ」
 ナキアが言ってしまうとハディは思い切り悪口を言った。しかしユーリは上の
空であった。

キックリの手術の日になった。手術の朝キックリは
「先生! よろしくお願いします」
 とラムセスの手を握りしめ涙を流した。ラムセスはその手を握り返し
「まかせておけ」
 と言った。
 手術室に入るとラムセスはユーリに指示してメスを取り出してキックリの腹を開いた。
「思った通りだ。もうここまで進んでいては手の施しようがない」
「それでどうするんですか?」
 ユーリが聞くとラムセスは
「とりあえず手術のふりをするだけだから閉じるさ! でも手術したように
見せかけるため、しばらくここで時間をつぶしてくれ」
「そんなことするんですか!」
 ユーリはラムセスの言い方に半分疑心暗鬼になりながらも言われる通りにした。
結局キックリにとっては嘘をつくことになるかもしれないが、そう
したほうがいいのかもしれない。
 ラムセスは手術室の隣の部屋で静かに煙草をふかしていた。

 次の日の夜、急患で女性が病院に運ばれて来た。人気女優のウルスラで
ある。腹部から血を流しており、かなりの出血の様子であった。側にはマネージャーと
見られる片目に眼帯をした髪の長い男が付き添っていた。
 担当したのはラムセス医師であった。
「男とトラブルで腹を刺されただと?」
 ラムセスが聞くとマネージャーだと言うウルヒと名乗る男が答えた。
「はい、ですが…そのことはマスコミ始め外部には伏せておいてほしいの
です。彼女は映画の主役に決まっており近々発表しなければいけないのです」
 すると担架に横たわった女が叫んだ。
「何言ってるの! 発表の会見には出るわよ!」
病院はまた1人やっかいな患者を抱え込んだようであった。



<3>

「どうかマスコミ対策の件よろしくお願いします。
この娘の女優生命がかかっているのです」
 片目のマネージャー、ウルヒはラムセス医師に深く頭を下げた。
「そうなんです! 先生あたし、せっかく主役に抜擢されたのに、
スキャンダルでチャンスをなくすなんて絶対いやです」
 ウルスラも懇願するように言った。
 それを聞いて納得したかのようにラムセス医師は言った。
「わかりました。マスコミには急性胃炎と発表しておこう」

 病室を出るとユーリはラムセス医師に食い下がった。
「先生! あんなこと言っていいんですか? 事実とは違うのに!
それにあの人制作発表なんかに出られる体じゃないんですよ。
ウルヒとか言うマネージャーだって、うさん臭いし」
「わかっている!」
「だいたい先生は独断的なんです。何でも自分1人で決めてしまって」
 そう言い合いながら2人は廊下を歩いて行った。しかし2人ともウルスラの病室の
前にカメラを持った氷室が隠れていることには気がつかなかった。

 次の日、ラムセス医師はマスコミの前で人気女優のウルスラが急性胃炎で
急遽入院したと発表した。当然のことながら記者達の質問は集中したが、
ラムセス医師は難なくかわしてしまった。
「いやあ助かりましたよ! ラムセス先生! とても私1人の手には
負えないものでね。あれで当分はマスコミも静かになるでしょう」
 ホレムヘブ院長が汗をかきかきラムセス医師に言った。
『ふっ、お前が無能すぎるんだよ』
 ラムセス医師は、そうつぶやいて胸にさした薔薇の花を直した。
しかし院長には聞こえないようだった

 夕方、勤務を終えたラムセス医師が帰宅の途につくと「先生!」
と声をかけてきた者があった。ユーリだった。
2人は川の土手を歩きながら話をした。
「先生、あなたの故郷はどこなんですか?」
 ユーリが聞くとラムセス医師はクールに答えた。
「やはりここと同じように川のそばなんだ。大河がゆっくりと流れている砂漠に囲まれた暑い国だ」
「へえ〜そうなんですか?」
 そう言ったユーリは河原に生えているタンポポに目をとめた。
「先生、これキックリさんにあげたら喜ぶと思いませんか?」
「タンポポか? 春を運んでくる花、まるで君のようだな」
 ラムセス医師が言うとユーリはイーッと言う顔をした。
「どうせ、あたしは雑草ですよ! 先生が胸にさしているような薔薇の花なんかじゃな
いんだから」
「ふっ、俺は他を寄せ付けない孤高の薔薇さ! その棘で人は俺を避ける」
「ま〜ったくキザったらしいんだから!」
 そう言いながらも2人は笑い合った。ラムセスはユーリとこうしている時間が、
たまらなく愛しく思えるのであった。

 ところが次の日。新聞を握りしめたホレムヘブ院長がラムセスの勤務する部屋に
駆け込んで来た。
「どういうことだ? ラムセス君、新聞には腹部から血を流して運ばれるウルスラの姿
が写っているんだ。『この出血で急性胃炎ではありえない』と報じている。
マスコミも集まって来てるぞ」
「だから嘘の発表をすべきではないんです!」
 いつのまにかカイル医師もやってきていた。
「ラムセス君、この責任をどう取るんだ?」
 院長が詰め寄った。自分のことは棚にあげて、ラムセス医師のせいにするつもりらしい。
 その時、部屋のドアが開いて女優のウルスラが現れた。
「先生! あたし2日後の制作発表に出るわよ! 『ウルスラは出血なんかしていない。元気だ』
ってマスコミに言ってやるわ」
「無茶だ! その体で」
 カイル医師が言った。でもウルスラは頑として受け付けなかった。
「行かせてやればいい!」
 ラムセスが言った。
「ラムセス先生また! 今度こそ出血したらどうするんですか?」
 カイルが食い下がるとラムセス医師はあくまで主張した。
「私が責任を取ります」

 その頃ユーリは病院の廊下で、記者から報酬の金を受け取る氷室を目撃した。
「こんなことするなんて…馬鹿よ氷室! あなたはカイル先生にも仕事を紹介しても
らったというのに」
 ユーリは氷室をなじった。氷室はうなだれていた。
 そこへラムセス医師がやって来た。バキッ! 彼はいきなり氷室を殴った。
「キャアア! ラムセス先生何てことをするんですか!」
 ユーリの悲鳴があがった。殴られた氷室は立ち上がると、いきなり走り去ってしまった。
「追いかけるんだ!」
 後ろからカイル医師の声がした。3人は急いで氷室の後を追った。
 氷室は屋上へ上がると大声でわめいた。
「俺なんか生きてる資格はないんだ! ユーリどうせ俺のことを情けないと思ってるんだろ?
そうだよ、その人達に比べれば俺なんか子どもで虫けらみたいな存在さ! 死んでやるー」
「馬鹿なことは止めるんだ!」
 カイルが言ったが氷室は聞き入れなかった。
「先生! せっかく仕事を紹介してくれたのに、また俺悪いことしちまったよ!
どうせ生きてる資格なんかないのさ! ユーリには嫌われちまったし!」
 氷室は手すりを飛び越えて、そこから飛び降りようとした。が、その時ふいに風が吹
いて彼の体が揺れた。
「うわぁ! 助けてくれ」
 その時だった。ラムセス医師の腕が氷室の腕をしっかりとつかんだのは!
「馬鹿野郎! 本当に死にたい奴は『助けてくれ』なんて言わないんだよ!」
 ラムセス医師はそう言ってカイルの助けを借りて氷室を引き上げた。そして言った。
「お前みたいな奴はもう2,3発殴らせろ!」
 氷室はラムセス医師にボコボコにされてしまった。
「氷室! 大丈夫?」
 心配して駆け寄るユーリとカイル医師に向かってラムセスは言った。
「カイル先生! いつまでも性善説を信じていると、今にひどい目に遭いますよ。
現にこいつは、ユーリの元恋人で、あんたに恩を仇で返した奴だ」
 そう言って行ってしまった。

 2日後、氷室の退院の日がやって来た。彼は腫れた顔をして照れくさそうに笑った。
「ユーリ、カイル先生お世話になりました。俺も自分を卑下しないで、やり直してみ
ようと思います。あれラムセス先生は?」
「あれでも恥ずかしがり屋なのよ。よろしく言っておくわ」
 ユーリが言った。
「今度こそがんばるんだぞ!」
 カイルも励ましの声をかけた。こうして2人に見送られて氷室は病院を去って行った。
ラムセスはガラス越しに3人の様子をヤンキー座りをしながら、タバコを吸って見守っていた。
「ふっ! 俺としたことが甘かったな」
 彼はつぶやいた。

 そんな3人に重大事件が待ち受けていようとは彼らも知る由がなかった。

                

<4>

その同じ日の午後のことであった。
突然一台の救急車がけたたましいサイレンの音をたてて到着するとともに、
ホレムヘブ病院は騒然となった。一緒にマスコミ関係者の車の列も来たからである。
慌ただしく炊かれるフラッシュの音と押し掛けるTVや新聞の記者達…。
奥から慌てて飛び出してくる院長の姿もあった。
「何だ! 何が起こったんだ」
 取り乱す院長にラムセス医師が言った。
「どうやら女優のウルスラが制作発表の会見中に出血で倒れたようです。
TVをつけてみてください」
 院長が慌ててTVのスイッチを入れると倒れるウルスラとホレムヘブ病院からの
中継が映っていた。
「だからあれほどわしが止めろと言ったのに…どうしてくれるんだ!
ラムセス君! 全ては君の責任だぞ」
 院長はラムセスの胸ぐらをつかんでわめいた。
「本人のたっての希望だからどうしようもありませんよ。それに彼女には…」
 あくまでラムセス医師は冷静だった。そこへカイル医師も駆けつけて来た。
「だから僕が言ったじゃありませんか。ラムセス先生! 
いったいどうやってマスコミに対処すると言うんですか?」
「こうなったら僕が責任を持って会見を行いますよ」
 ユーリ達看護婦も突然騒がしくなった病院にびっくりしていた。
とにかく患者達に迷惑をかけないようにするのが第一である。
「全く! どうなっちゃうのかしら? この病院って…ラムセス先生の責任
だって言うじゃない!」
 ハディ看護婦がユーリに言った。
「ラムセス先生…」

 結局その後、病院側が会見を開いてTVで説明することになった。
画面で経過を説明するラムセスはあくまでも冷静に見えた。

 その夜…皆が寝静まったかに見えた病院に1人の怪しい男が現れた。
夜勤で詰めていたユーリが物音に気づいて後をつけると、
その男はウルスラの入院している特別室に忍んで行った。
ユーリは同じく夜勤だったラムセスのいる部屋に走った。
「ラムセス先生! 今怪しい男が…ウルスラさんの入院している部屋に入ったんです」
 その時、発作に襲われ自ら注射を行っていたラムセスは慌てて器具を隠した。
「そうか…すぐに彼女の部屋に駆けつけよう」
「先生! 顔が真っ青です。大丈夫ですか?」
「大丈夫だ…ちょっと寝不足で気分が悪いだけだ」
 ラムセスとユーリはすぐにウルスラの特別室に走った。
2人が部屋に入って電気をつけるとウルスラの他に男がもう1人いた。
男は追いつめられた顔をして言った。
「お願いだ!ここは俺達を見逃してくれ」
「そうか! 君が彼女がかばっていた犯人だったんだな…」
 そういうラムセスに男はびっくりした。
「えっ? どうしてそんなことがわかるんですか? 俺がウルスラを刺したなんて!」
「あの刺し傷を見れば一目瞭然だろう? それにマネージャーも口を
つぐんでいたところを見ると彼を刺そうとして間違ってウルスラを刺してしまった。
彼女は君をかばっているんだろう? そこまでして彼女がかばう君は
彼女の恋人なんだろう?」
そう言うラムセスに男はうなだれて言った。
「実は…ウルスラと俺は彼女が女優になる前から結婚の約束をしていたんです。
でも彼女はあのマネージャーにスカウトされ、あっと言う間に人気女優になってしまった。
あいつは…ウルヒはウルスラを利用してさんざん金儲けをして、
あげく俺との仲を裂こうとしたんだ。このままでは俺もお尋ね者だし…
これは駆け落ちしかないと…」
「カッシュ…」
 涙にくれて抱き合う恋人達にラムセスは言った。
「どうして君達は逃げるばかりで立ち向かおうとしないんだ?
これでは日の当たらない所にいるばかりではないか?」
「違います! 先生」
 ウルスラが言った。
「本当は女優の私のスキャンダルになるからと…『彼と別れてくれ』とウルヒが言っ
たんです。それに彼がいては都合悪いからとカッシュを刺そうとしたのは
本当はウルヒなんです。でももみ合っているうちにはずみで…」
「じゃあなおのことだ! それなら正当防衛じゃないか? 
悪いのはあのマネージャーの男と言うことになる」
「えっ? じゃあ…でも主役をもらってウルスラはあんなに喜んでいたのに!」
 カッシュが驚いて言うとウルスラが彼の手をつかんだ。
「カッシュ! もういいのよ! 主役なんて会見の席で倒れた時点でもう諦めたわ。
それよりここまでこうして来てくれたあなたの方がもっと大事なの!」
 カッシュとウルスラの2人はひしと抱き合った。
反対に目のやり場に困ったのはラムセスとユーリであった。
「おいおい…お二人さん! ラブシーンなら後にしてくれないか?」

 次の日、芸能新聞とTVは『人気女優ウルスラ恋人発覚! 引退』の
ニュースでもちきりであった。
 画面に映る幸せそうな2人を見てユーリはラムセスに言った。
「ウルスラさんよかったですね? 先生! 彼女は女優をやめて結婚するそうです。
結局主役も降りて女優もやめちゃうけど、彼女幸せそうだもの。
先生のあの言葉のお陰ですね?」
 ユーリは眩しそうにラムセスを見つめた。彼もまんざらでもないようであった。
「先生って今回は名探偵だったんだ〜シャーロック・ホームズってとこね!」
 ユーリが言うとラムセスは片目をつぶって返した。
「そして君はワトスン君か?」
「そうよ! 薔薇をつけたキザな探偵さん!」
「じゃあそのうち君の誕生日にでも年の数だけ真っ赤な薔薇を
プレゼントしようか?」
「いいの!どうせあたしはタンポポでしょ?」
 2人はそう言って笑い合った。

 そんな2人を密かに見つめる1人の影があった。



<5>
 
ある日のこと、ラムセス医師は突然いつもの発作に襲われ、
医局の自分の部屋へと入った。
そこにはいつもの薬と注射器が用意してある。震える手で薬瓶から液を
注入し腕へ刺そうとした…。
 その瞬間! コンコンとノックの音とともに
「ラムセス先生! 失礼します」
 といきなり院長の娘アンケセナーメが入って来たのだ。
ラムセスは驚愕し、手に持っていた注射器を取り落としてしまった。
自分としたことが…その時に限って部屋に鍵をかけていなかったなんて迂闊で
あった。発作はどんどんひどくなる。
「きゃあああ! ラムセス先生」
 アンケセナーメの悲鳴があがった。しかしラムセスはそれどころではなかった。
「早く…早くその注射器を取って俺の腕に打ってくれ」
 取り乱しながらもアンケセナーメはラムセスに言われた通りにした。
何とか発作も収まりいつもの冷静なラムセスに戻った。
「先生! いったい先生は何の病気なんですか?」
 アンケセナーメが涙ながらに聞くとラムセスは平静を装って答えた。
「いいか! ここで見たことは誰にも言うな! 院長にもだ」
「先生は、そうやってずっと孤独に病気と闘っていたのですか? かわいそうに…」
「同情なんかまっぴらだ! 俺のことなんか放っておいてくれ!」
 そう言うとラムセスは部屋から彼女を追い出してドアをバタンと閉めてしまった。
アンケセナーメはラムセスのあまりの仕打ちに、その場に泣き崩れそうになったが、
あることに気づいて思い留まった。
「あの部屋一面に広がった薔薇の香りはいったい…先生の病気は何なのかしら?
そう言えば三千年前のエジプト王ツタンカーメンの玄室には矢車草の香りが広がっていたと
言うけど…もしや」
 アンケセナーメは突然はっとして急いで駆けだして行った。

 その夜ユーリは夜勤でキックリの病室を担当していた。いつものように夜の見回り
に行きキックリの様子を見ると彼は真っ青でベッドの上に座っていた。
「キックリさん…どうしたんですか? 気分でも悪いの? ラムセス先生をお呼びしま
しょうか?」
 ユーリが聞くとキックリはいきなりユーリに抱きついてきた。
「きゃあああ! キックリさん…いったいどうしたんですか?」
「ユーリさん…僕は僕は…」
 それだけ言ってキックリはユーリを抱きすくめ押し倒そうとした。とてもやせ細った
病人とは思えないすごい力であった。
「ユーリ! どうしたんだ?」
 さっきのユーリの悲鳴を聞いてカイル医師が駆けつけて来た。
ベッドの上にユーリを押し倒そうとする
キックリの様子を見てカイルは医者としての立場を忘れて逆上してしまった。
『ボカッ』いきなり鈍い音がした。カイルがキックリを殴ったのだ。
キックリが一瞬ひるんだ隙にユーリは腕から抜け出し部屋から出て行ってしまった。
「痛い! カイル先生何するんですか? 病人に向かって!」
 キックリの顔が涙と鼻水でぼろぼろになった。カイルもはあはあ息を切っていた。
「君こそ何だ! いくら病人だからってやっていいことと悪いことがあるだろう!」
「だからって殴ることないでしょう! 先生ひどいです」
 見ると確かにキックリの顔はカイルに殴られて腫れ上がっていた。
「すまなかった。君の顔を見るとつい…いじめたくなってしまうことが…あ、いや、
しかしかわいい奥さんが二人もいながら看護婦に手を出すことはないだろう!
今夜のことは黙っているから二度とこんなことはするんじゃない!いいな?」
「はい…すみません」
 カイルはキックリの腫れた頬を手当しながら言った。

 その頃キックリの部屋から出ていったユーリはラムセスの医局の部屋へと駆け込ん
で行った。息を切らしてユーリは部屋に入ると、あまりのことにその場に座り込んでしまった。
 部屋ではラムセスが煙草をくゆらせていた。
「どうしたんだ? ユーリ」
 そう言うラムセスを見た途端ユーリは泣き出してしまった。
「あたし…いきなりキックリさんに襲われたんです。見回りに行ったら抱きすくめら
れてしまって」
 しかしラムセスは顔色一つ変えなかった。
「だから何だと言うんだ? キックリさんは死が近いんだ」
「先生…そんな…だからって何でもしてあげろって言うんですか?」
 ユーリはそんなことを言うラムセスが信じられなかった。
「死が近い人間は生きている証が欲しいものさ…」
 そう言うラムセスにユーリはますますこらえきれなくなって、しゃくりあげてしまった。
何でこの人はこんな時にこんなことを言うのだろう?
「すまない…君も若い娘だからな…確かに耐えられないだろう」
 ラムセスはユーリの涙を拭いながら抱きしめた。
「夜勤が明けたら俺の家に来ないか?」
 ユーリは無言でラムセスの言葉に頷いた。

 明け方病院を出てマンションへと向かう二人の男女の姿があった。その後ろ姿を
そっと見守る女性の姿もあった。院長の娘アンケセナーメであった。
しかしラムセスとユーリは気づかなかった。
ラムセスのマンションに入ると彼はユーリに言った。
「疲れたか? ユーリ…それとも何か飲むか?」
 ユーリは無言で首を振った。そんな彼女にラムセスは優しくキスをして抱きしめた。
「先生…」
 ラムセスはユーリを抱き上げてベッドへと連れて行った。二人だけの世界…もうそれ
以上は何もいらなかった。熱い吐息と互いの鼓動だけが暗闇の中に響き合った。
「俺はずっと死ぬことすら怖くなかったはずなのに…ユーリ! お前が側にいないと、
こんなに怖いなんて…」
 ラムセスはそう呟くと、なお一層強くユーリを抱きしめて眠りについた。

 ユーリがラムセスの傍らで目覚めたのは、既に昼近い時であった。
「先生…あたしってこんなに幸せでいいのかな?」
 ユーリが呟いて隣のラムセスを見ると、まだぐっすり眠っていた。
「まだ起きないうちに掃除と食事のしたくしてびっくりさせてやろうっと…」
 そう決心するとと、ユーリはベッドから抜け出して服を着た。そしてちらかった机の
上を整理していると、ふと戸棚の中のたくさんの茶封筒が目についた。
「何だろう…これ?」
 中を除いて見ると、たくさんのエックス線フィルムが出てきた。
「???先生の患者さんのかしら…そうよね!きっとそうだわ」
 ユーリは一抹の不安を覚えながらも、茶封筒を元の場所に戻して掃除を始めた。
「全く…ラムセス先生ったら寝起き悪いんだから!」

 その頃病院では青ざめた顔のアンケセナーメを前にして、カイル医師が立っていた。
「そうか! そうだったのか! お嬢さん、よく私に話してくれました。絶対ラムセス先
生を説得しますから私に任せてください」
 カイルは強く言った。

 そうとは知らずラムセスとユーリは幸せそうに遅い朝食を食べていたのだった。

            
<6>
その日のラムセスが病院へ向かう足取りは軽かった。
「今日は早く帰って来てね先生♪夕飯作って待っているから」
 出がけにそう言ってキスしてくれたユーリを思い出した。
愛する女性が家庭で待っていてくれる。
今までずっと独りで生き死ぬのさえ怖くなかった自分が…
そう思うとラムセスは不思議な気持ちがした
 しかし心は自然と浮かれてくるのであろうか? 自分の勤める医局で
思わずスキップランランラン♪とやってしまい、くるっと一回転したところを
ちょうど部屋に入って来たカイル医師に見られてしまったのだ。
「先生って実はひょうきんだったんですね…? いやあ愉快な人だ!」
 カイルの言葉に慌てて眉間にしわを寄せ「ふっ!」と跪いたラムセスであったがもう遅い!
『全く!お前はビスマルクか?』
 カイルのそんなつぶやきも幸せいっぱいなラムセスには聞こえないようである。
「やあ! カイル先生、何のご用ですか?」
 何げにクールを装うラムセスであるがなぜか今日は詰めが甘い!
「実は先生に大事なお話がありましてね…」
 やっとのことで自分の用件を言ったカイルは一緒にアンケセナーメを
連れて来ていた。
「お嬢さんからお話は全て聞きました。それで失礼ですが、あなたの以前の
経歴や病歴、生い立ち行動等全て調べさせていただきました。そのことから、
あなたが薔薇水のアンプルを密かに取り寄せていること…発作が時々起こること、
X線写真のことも…」
 更に話し続けようとするカイルをラムセスが遮って言った。
「それで…カイル先生! いったい俺の何がわかったと言うんだ?」
「その後は私がお話しますわ!」
 アンケセナーメが青い顔で言った。彼女はラムセスが発作を起こした時、
一緒にいたのだった。
「ラムセス先生! あなたが発作を起こした時強い薔薇の香りがしたんです。
それで私思い出したんですわ。あなたがうちの病院に来る前にエジプトで
ミイラの研究の協力に医師としてたずさわっていたことを…」
「そのことと薔薇の香りといったい何の関係があると言うんだ!」
 ラムセスはアンケセナーメの言葉に急に語気を強めて言った。しかし彼女は続けた。
「エジプト考古学史上有名なツタンカーメン王はその胸に矢車草の花束を抱いていた
そうですね? そしてその発掘に携わったカーナーボン卿はじめ数人が
原因不明の病気で死んだそうです。古代の病原菌が復活したとも言われています。
ラムセス先生! あなたが研究に協力した第19王朝の初代の王は薔薇の
花束を抱いていたと聞いています。そしてその発掘のスタッフも何人か
古代の薔薇が原因であると言われている病気で死んだとか…あなたももしや…」
 その言葉を聞いてラムセスは叫んだ。
「だから何だと言うんだ! 俺も医師だ! 自分の体のことはわかっている」
 するとカイルはラムセスの肩に手を置いて言った。
「ラムセス先生! 水くさいじゃないですか! 私に黙っているなんて!
私はあなたを尊敬する医師の1人としてあなたを救いたいのです!
それに…彼女には何て言うんですか? 愛しているのでしょう? ユーリのことを!」
「そ、それは…」
 ラムセスもユーリのことを持ち出されると沈黙するしかなかった。
自分が今死んだらユーリは独りぼっちになってしまう…
「あなたが死んだら彼女は悲しむでしょう。いや…あなたが後に彼女を引き受けても
いいかな? 私がユーリをもらい受けましょうか?」
 カイルはそう言ってにやりと笑った。そう言われてはラムセスも引き下がるしかなかった。
「お前が俺の死後ユーリをもらい受けるだと? それでは死ぬわけにいかないな!
よしわかった!お前の治療を受けるとしよう。ただし…」
「ただし何です?」
 カイルが聞くとラムセスは続けた。
「俺は故郷のエジプトへユーリを1度連れて行こうと思っている。お前の治療を受け
るのは帰って来てからでいいか?」
「いいでしょう。私はいつでも待っていますから」

 やがて時間が過ぎラムセスの勤務時間が終わると彼は帰宅の途についた。ユーリの
待つ家へ帰り、彼女にエジプト行きを伝えるために……。

          
<7

 その日ラムセスが自分のマンションに帰宅すると、
ユーリが夕食を作って待っていた。
「ねえ先生! あたし奮発してワイン買っちゃった! きれいでしょう? この色」
「ふ〜ん薔薇色のワイン…ロゼワインだな?」
 その色を見て病院でカイルとアンケセナーメに言われた薔薇菌が
原因の自分の病気をいやが応にも思い起こさせた。
「ユーリ…話があるんだ。俺の故郷のエジプトに一緒に行ってくれないか?」
「え? 先生の故郷に? 嬉しい…ご一緒させていただけるなんて!」
 今までラムセスと旅行をしたことがなかったユーリは小躍りして喜んだ。
「お前に1度俺の生まれた所を見せたいと思ってね。パスポートは持っているんだろ?」
「うん」
「航空券は俺が取る。出発は3日後でいいか?」
「そんなに急に? じゃあ休みを取らなきゃいけないし、用意だってあるわね。
先生あたし1回家に帰って荷物作ってもいい?」
「そんなの明日でもいい! 今夜は一緒にいてくれ」

 夜になって2人でベッドに眠りについた後、傍らで寝息をたてるユーリを
抱きながらラムセスは考えた。
「こいつは俺がいなくなったら、いったいどうなってしまうんだろう…」

 次の日ユーリはラムセスとエジプトに行くことを仲良しのハディに打ち明けた。
「全く! 幸せ者なんだから! 帰ってきたら即結婚かしら? この〜」
「まだそんなんじゃないってば…でも先生の故郷に行けるのは嬉しいわ」
「お土産いっぱい買ってくるのよ〜」

 出発当日ユーリとラムセスは空港で待ち合わせた。待合室にラムセスの姿を
見つけるとユーリは慌てて走って来た。
「先生! 待ちました? あれ荷物それだけなんですか?」
「ああどうせ俺の家にも帰るからな…何だ? その荷物は?」
 見ると確かにユーリの荷物は多かった。特大のトランクの他ボストンバッグまで持っていた。
「だってエジプトは暑い所だから日に焼けるじゃない? 日焼け対策はバッチリしなくちゃ」
「別に俺は必要ないけどな?」
(そりゃあんたはね! ラムセス爆)
 それから2人はエジプト航空の飛行機に乗り込んだ。ラムセスに言わせると
日本から直行で出てるのはエジプト航空しかないらしい。
機内は冷房がききすぎていておまけに操縦は乱暴であった。
「先生…あたし寒くて気持ち悪い」
「大丈夫か? ユーリ毛布をもらってやろうか?」
 ラムセスがスチュワーデスに頼んで毛布をもらってくれたが、
気持ちが悪いのは治まらなかった。
「あたしちょっとトイレに行ってくる…」
 ユーリは吐き気をもよおしたので、そのままトイレに駆け込んだ。
胃の中の食べ物は全部出てしまったが気持ち悪いのは直らなかった。
「気分が悪いのはエジプト航空のせいだけではないかもしれない…もしかしたら、あたし」
 そういえば、ここのところ生理もずっと来ていない。かすかな不安と期待が頭をよぎった。
「先生の赤ちゃんができたのでは?」
 そうだとすると何て言おうか? ラムセスは喜ぶだろうか?
ユーリの心配をよそに飛行機はカイロに着いた。

「さあ、ここが俺の故郷だ!」
「思ったより暑くないね?」
「カイロは都会だからな…今夜はここに泊まって明日から俺の働いていた
ルクソールへ案内しよう」
 その日はとりあえず荷物をホテルに置いてラムセスが市内を案内してくれた。
町中にあるカイロ博物館には歴代の王のミイラをはじめ古代エジプトの遺跡で溢れていた。
「三千年前の大王は真ん中のミイラだ! 金髪で180pの大男。
彼は何のためにヒッタイト征服を夢みたんだろうか?」
 ラムセスがふいにつぶやいた。
「きっとどうしても征服したい理由があったんじゃない? 敵国の王妃を好きになって
しまったとか…まさかね?」
 ユーリは冗談のつもりで言ったのだがラムセスは急に険しい顔になった。
「さあ…奴にしかそんなことはわからないだろうな!」

 夕食を済ませ部屋に戻るとラムセスはユーリを引き寄せキスをした。
そして更にベッドに倒れ込む。
「先生! あたし…」
「何だユーリ? 俺が嫌いなのか?」
「そうじゃないけど…まだ夕方なのに! 先生」
「そんなことはどうでもいい!お前が欲しいんだ」
 強引なラムセスに負けてユーリは言いかけた言葉を飲み込んでしまい彼に身を任せてしまった。
砂漠の夜は限りなく熱かった。

 次の朝は早く、まだ夜の明けないうちから飛行機に乗り込んだ。
飛び立つと見渡す限り砂漠である。その中でナイル川の流れだけが黒かった。
「ユーリお前飛行機に乗ってから、ずっと気分悪いようだが大丈夫か?」
「うん昨日までは長旅だったから! でも今日はいいみたい」
 その日はラムセスが病院に来る前に働いていたという王家の谷へ行った。
地下にある墓所なのに中はとても暑かった。まず公開されている有名なツタンカーメン王の墓所へ入った。
「先生はこんな所で何の研究をしていたの?」
「考古学者への協力でミイラの体を調べていたのさ! 古代エジプト人の骨格や病気なんかをね!」
「じゃあこの王様は何の病気で死んだの?」
 ユーリが聞くとラムセスはすらすらと答えた。
「この王はわずか18歳で死んだんだ。病気じゃなくて暗殺されたと言われてるんだ。
ミイラは矢車草の花束を抱えていた。最愛の王妃がたむけたらしい…」
「残された王妃様はかわいそうね!」
 ユーリはかすかに涙ぐんだ。ラムセスは胸がしめつけられそうだった。
「そう言えば先生の研究していたお墓はどこにあるの? 見たいわ」
「あぁ…その墓所なら今は改装中で閉鎖されていあるんだ。残念ながら見ることはできない」
 ラムセスはユーリに嘘をついた。本当の理由は彼の体の病気が示していたのだ。
「そう…残念だわ! その王様も花束を抱えていたの?」
「奴は薔薇の花束だったよ」
「きっと愛する王妃様がささげたのね?」
「……」

 その夜もラムセスは自分の家には戻らず、ユーリとナイル川沿いのホテルに泊まった。
ユーリはさすがに心配になり彼に聞いた。
「ねえ先生! 故郷に帰ってきたのに家に帰らないの? ご家族だって心配しているでしょうに
…そういえば先生はあまり自分のことを話したことがないわね?」
「俺の故郷はメンフィスなんだ。カイロの近くの…年老いた母と妹がいるんだ」
 やっとのことでラムセスは重い口を開いた。
「でも今はお前とこうしていたいんだ…」
「先生…」
 後は言葉が続かない。ユーリはエジプトに来てからずっとラムセスに言いそびれていた。


 次の朝目が覚めるとユーリはラムセスに言った。
「先生! ナイル川に朝日が反射してとてもきれいよ」
 するとラムセスも起きて来てユーリと窓を見た。
「ああ本当だ! ユーリ、ナイルはエジプトの命の川なんだ…古代エジプトの王達が
死に国が滅んでもナイルは行き続けるんだ!」
「先生! どうしたの?」
 ふいにユーリはラムセスが遠くに行ってしまうような気がして叫んだ。
「いや何でもない。ユーリ! 俺は明日家に帰るから、お前は一足先に日本へ
帰ってくれないか?おふくろや妹達に会ってくるんでね」
「うん先生、必ず後から帰ってきてね」
 そうユーリは念を押した。急に心配になったからである。

 それからユーリはラムセスと別れて先に日本へ帰って来た。
「先生は必ず帰るって言ったもの…今はそれを信じよう」
 しかし、ユーリが日本に帰って1週間たってからもラムセスは帰ってこなかった。
 10日目にラムセスの妹と名乗る女性がホレムヘブ病院を訪ねて来た。
彼女の持って来たのは悪い知らせであった。ラムセスが死んだと言うのである。
「実は兄が死んだというのはよくわからないんです」
 ラムセスに面差しが似た、美しい女性は言った。
「しかしナイル川に浮かんだボートの上から兄の上着と荷物が見つかり、警察は川に
身を投げたのではないかと…また兄がラクダに乗って遠くの砂漠へ立ち去ったというのを
見た人もいます。どちらにしても消息はつかめませんし死体も見つかっていません」
 話を聞いたカイル医師とホレムヘブ院長は言葉もなかった。妹にもラムセスは
病気のことを話していなかったようだからである。
「そうですか…」
 カイルはそう言うのがせいいっぱいであった。
「彼のマンションへ行けば何か手がかりがあるかもしれません。行ってみましょうか?」
 妹のネフェルトは頷いた。
「でも私は兄がどこかで生きているような気がしてならないのです」

 しばらくして、カイルと院長、ネフェルトとユーリは連れだってラムセスのマンションへ行った。
 鍵を開けると部屋の中はすっかり片づいていた。テーブルの上に2通の手紙があった。
1通はカイル宛もう1通はユーリ宛であった。まずカイルが手紙を開いた。


 この手紙を開く頃には俺は既にこの世にいないと思う。君も知っての通り、
俺は不治の病に侵されている。原因は君とお嬢さんが指摘した通りで、
俺は既に病院に来る前からこの病に侵されていたのだ。知っての通りこの病は
原因も不明で古代から来たと言われていいるが、現代医学では手の施しようが
ない。俺も医者なので病魔と闘いながらX線写真をはじめ記録を採り続けた。
研究記録は戸棚の中にあるので解明に役立てて欲しい。
 ところで気がかりなのは、ユーリのことだ。彼女が独り残されると思うのが
心配でならない。たぶん彼女は俺の子を身ごもっているのだろう。
うすうす気づいてはいたが死んでいく俺には「生んでくれ」とは言い出せなくて、
かわいそうなことをしてしまった。俺名義の貯金通帳を彼女に残しておくので渡
してやってくれ。ついでに君に彼女のことを頼みたいが虫のいい相談であろうか?
よろしく頼む。

カイル・ムルシリ様  
                                   ウセル・ラムセスより



続いてユーリが手紙を開いた。

愛するユーリへ〜

 これから空港で会うお前に手紙を書くのは変な話しだが、これだけは伝えておかなけ
ればいけない。今更ずるい話ではあるが、俺はもうすぐ死ぬ。不治の病に侵されているのだ。
生きている間は遂にお前に言うことができなかった。お前に会うまで2度と俺は、
人を愛することはなく孤独で死んで行く身の上だと思っていた。しかしお前に会ってから、
その春のような心が俺の凍てついた心を溶かし癒してくれたのだ。お前には感謝している。
ただ気がかりなのはこれからのお前のことだ。できれば俺の子を産んで育てて欲しいと
思っているが、今となっては俺の身勝手だ。お前のことはカイル医師に頼んである。
彼ならお前の力になってくれるだろう。
 最後にお前に俺の故郷を見せてやりたかった。あの灼熱の太陽の下、
俺が砂漠かナイル川のどこかに眠っていると時折思い出してくれれば俺は幸せだ。

                                   ウセル・ラムセス



 ユーリは手紙を読み終わると自分に向かって強く言い聞かせた。
「先生! あたし先生の子どもを産みます」
 ふとユーリが窓際に目を向けると真っ赤な薔薇の花束がサイドボードの上に置いてあった。
 花束には
『俺のユーリへ』とカードがついていた。
「ラムセス先生!」
 ユーリは叫んだ。
「ラムセス先生がいなくなってから、ずっとたつのに枯れないなんて…」
 院長が涙をふいてつぶやいた。
「きっと先生の思いが通じたんでしょうね?」
 カイル医師が言った。彼は更に続けた。
「ラムセス先生! 僕はあなたの研究を引き継ぎます。そしてあなたと同じ病で苦しみ死ぬことが
ないよおうにしていきたい。目指せ!薔薇菌撲滅!」

 その後カイル医師は大学病院に戻りラムセスの研究を引き継ぐことになった。
ユーリは働きながらラムセスの子を産み育てる決心をした。

          〜終わり〜


                 


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まゆねこっち、赤い影終了お疲れ様です。
ラムセスの最後の手紙、なかなか感動ものよ。
エジプト行きの飛行機は私たちがいったときのこと
そのままではないか……。(吐かなかったけど)
すべてがパロディのネタにつながるねねとまゆねこ。
誰も止められない(爆)。