***夢から醒めた夢***


このお話の主人公は天河好きなあなたです。主人公である天河天子(『てんかわそらこ』と読む)を
自分自身に置き換えて読んでください♪


「少コミの発売日まであと3日か……」
 天河天子は2週間に1回のお楽しみの日を指折り数えた。
「天河の続き早く読みたいなぁ。あっ、でも読んだら次の発売日までまた待たなきゃいけないのも
つらいなぁ」
 これをよんでいるあなたが学生だったら学校帰り、社会人だったら仕事帰り、
主婦だったらお買い物帰り、天子は足元のアスファルトを見つめながら少し重めの足取りで
歩いていた。
「なんかこう、あっと驚くような出来事ないかしら? ユーリのように古代の世界に
タイムスリップとまでは言わないから、せめて福引で温泉旅行が当たるとか!」
 まんが大好き、小説大好き、お話大好きのまだまだ少女の夢見る心の抜けきらない天子は、
アスファルトを見つめていた視線を上に向け、冬の澄み渡った空を見つめた。
西高東低、日本の代表的な冬の気圧配置。これを読んでいるあなたが、日本海側在住だったら
真っ白な雪の空を、太平洋側在住だったら乾いた晴天の青空を見つめてもらおう。
 空を見つめた視線を自分の身長の高さに戻した。すると目の前に一軒の古ぼけた家が目に入った。
何年も前から空家になっている薄暗くってちょっと気味の悪い家である。
その家の玄関に明かりが灯っていた。パッと明るい蛍光灯ではなく、『灯っていた』と
いう言葉がピッタリの薄明るいオレンジ色の光りである。
(なんだろう?)
 普段から好奇心の強い天子は空家に近づいた。

『新装開店 ミラーハウス』
 
 玄関にはそう書いてあった。
「ミラーハウス……?」
 思わず声に出して呟くと、すぐさま「そうだよ」という声が明かりの灯る方から跳ねかえってきた。
 跳ねかえったと同時に天子も声のする方を見た。玄関の隣に窓があった。
今まで、一度も開いてることはなかった窓から、眼鏡をかけたおばあさんが
ニコニコ笑いながら天子を見つめていた。
「入場料は290円。どうだい? 入ってみないかい?」
 ミラーハウスなんてちょっと興味がある。こんなところに遊園地でもないのにミラーハウスが
あるなんて驚きだ。そもそも、今では遊園地でもミラーハウスなんてないかもしれない。
それに290円なんてお得だ。新装開店の割引でもやっているのだろうか?
「いいわ。入るわ。はい290円」
 天子は財布の中からピッタリの金額を出した。
「まいどありー」
 チャリチャリ。おばあさんはお金を受け取り、古さにきしむ玄関をギギギギギと開けてくれた。
 中に入ると、回りはぜんぶ鏡であった。迷路ではないのかもしれないが、一面鏡なので
家の中は迷路のように思えた。
「うわぁー。すごーい。それにしても、入口にいたおばあさんどっかで見たような……」
 天子は眼鏡をかけたおばあさんに見覚えがあった。どこだったかな? と考えごとをしながら
鏡の道を進んで行くと『ゴンッ!』頭をぶつけてしまった。反射する鏡のせいで、
道がわからなくなっており行き止まりの壁に衝突してしまったのである。
「いて」
 頭にこぶを作ったと同時に、おばあさんをどこで見たかが閃いた。
「わかった。あのおばあさん。本屋さんのレジのおばあさんだ! いつも少コミを買いに行っている
本屋さんの……。そういえば290円なんて、少コミと同じ値段だわ……」
 変なな共通点を見つけた天子は、今度はぶつからないように注意して歩く。
 行き止まりである。今度こそ本当の行き止まりだ。ここがこの家の一番奥だろうか?
「なんだ、これで終わりか。あんまり面白くなかったな。まあ、290円だから仕方ないか……」
 引き返そうとする天子に「ちょっと待って」という少女の声が聞こえた。高めの澄んだ声である。
(先客がいたのか、こんなつまんないミラーハウスにも)
 そう思いながら声のするほうを振り向く。
 天子の視線の先には見覚えのある少女が立っていた。身長は150cmくらい。とても細くて
スラッとしている。自分と同じ黒い瞳に黒い髪であった。
冬だというのに今で言うならノースリーブのミニスカートワンピースを着ている。いいや、
ワンピースといえるほど立派なものではなく、簡単に布を巻きつけたような麻の服だった。
素足にヒモで編んだサンダルを履いている。
 天子が驚いたのは言うまでもない。憧れのまんがの中の登場人物が目の前にいるのだから。
驚きのあまり、しばらく身動きができなかった。
「私ユーリ。あなたにお願いがあるの」
 まんがの中の登場人物は天子の方に、すっと1歩近づいた。
「お願い?」
「そう。あなたはいつも熱心に天河読んでいるでしょ。だからお願い」
「どんなお願いなの?」
「よく知ってると思うけど、私、両親も姉妹も捨てて、古代に……カイルの元に残る決心を
しちゃったでしょ」
 うんうんと天子はよく知っていると言わんばかりブンブン首を縦に振る。
「やっぱり、現代の両親が気がかりなの。私が突然いなくなってすごく心配しているんじゃ
ないかって……。伝えたいの。私は元気です。カイルに愛されて、民に愛されて幸せですって、
そしてごめんなさいって……、じかに会って伝えたいの」
 真剣な黒い瞳であった。まっすぐと天子を見つめている。少し潤んでいるかのようにも
天子には見えた。
「伝えるって……、もうあなたは現代には戻れないんでしょ? 
ナキア皇太后が泉を壊してしまったから……」
 天河のストーリーを丸暗記している天子は気の毒そうに見つめ返す。
「うん。私自身はもう戻れない。けどね、現代にいる誰かと入れ替わることならできるの!
だから……、お願い! 一日だけでいいから私と入れ替わって!」
 ユーリは両手を合わせて頭を下げた。
「ええっ! い、入れ替わるって私とユーリさんが……?」
 驚きの声がミラーに反射して天子の回りには驚きの空気が更に舞う。
「そう。一日だけ入れ替わるの。私は現代の家族の所へ、あなたは古代ヒッタイトにいくのよ」
 ニコニコ笑いながらユーリは言う。
「ちょ、ちょっと待ってよ。私が古代の世界に行くの……?」
「そうよ」
 憧れのアナトリア、憧れの赤い河、憧れのカイルにラムセス、カッシュ、ルサファ、ミッタンナムワ、
イル、キックリ、ハディ、リュイ、シャラ……。実物に会えるかもしれない。
そう思うと胸が高まった。でも本当にそんなことありえるのだろうか?
 しばし沈黙していると再びユーリは口を開く。
「お願いよ。1巻でわかると思うけど、突然ナキア皇太后の魔力で連れて来られたんだよ。
家族は絶対心配していると思うの。生きる時代は違うけど、幸せな毎日を送ってますって
伝えたいの。おーねーがーいー!」
 懇願される天子。ユーリの願いは真剣そのものだ。
 天子はしばらくの間、迷っていた。その迷いはユーリのいい方向に傾きつつあった。
「うーん、わかったわ。じゃあ変わってあげる!」
「ほんと!」
 ユーリの瞳はぱっと輝く。
「でも一日だけよね」
 声を低くして再確認をとる。
「うん、一日だけ、じゃあ早く入れ替わりましょう! 右手を出して」
 ユーリはすっと天子の前に右手を出す。
「ちゃんと洋服も入れ替わるようにするからね。現代で、このヒモサンダルにティト服じゃ
アンバランスだし、古代にあなたのセーターにジーパンっていうのもおかしいからね」
「そ、そうね」
 天子はドキドキであった。本当に入れかわたりするのだろうか? 
「さあ、早く右手を出して!」
 ユーリのしなやかな腕が綺麗だった。黒い瞳は輝いており、様々な希望に満ちているかのようだ。
美人というわけではないが、内面から放出されるオーラによって持って生まれた容姿に磨きを
かけているかのようだった。
 天子はおずおずと右手を出した。ユーリはしっかりと天子の手を握る。
 同じ黄色人種だ。ユーリと同じ肌の色をしていた。
「私と入れ替われば鏡の向こうの古代の世界に行くことができる。明日のこの時間、
このミラーハウスに必ず戻ってくるから、一日、古代の世界を楽しんできて」
 ユーリは天子に向かって穏やかに言った。両者の右手がふわっと暖かくなったと思うと、
その暖かさが全身に伝わり魂が吸い取られるような感覚がした。
 正常体温に戻ると、天子はユーリの服を着ており、ユーリは天子のセーターにジーパン姿で
あった。
「やった! 入れ替わり成功! じゃあ、明日のこの時間ねっ!」
「あっ、ちょっと待って」
 ユーリは片手を振りながら天子の声も聞かずに、急いでミラーハウスを出ていった。
 残された天子の目には広大なる赤い河が目に入った。ミラーハウスの鏡にコミックスと
そっくりな風景が映し出されているのだ。
「すごーい。赤い河だー」
 赤い河に赤い土、その向こうには城壁は見えた、ユーリたちの暮らす王宮の城壁だろう。
赤い河に思わず手を差し伸べると、すっと手が鏡の中を通った。
どうやら鏡をこのまま越えて古代ヒッタイトの世界に入れるようである。
「うそ……、本当にヒッタイトに……」
 天子は不安のあまり心臓がドキドキいっているのか、嬉しくて胸が踊っているのか
どちらかわからなかった。とにかくこのままコミックスの世界に足を踏み入れることに決めた。
「どうでもいいんだけど、このユーリの服、私にはきついんだけど……」
 プロフィールによると身長150cm体重40kgのユーリに合わせて作った服は
天子にとっては胸のウエストもパツパツであった……。(笑)

***

 これがヒッタイト、これが赤い河、これがアナトリア!
 天子は感動の絶頂にいた。現代のトルコに行くのだって大変なことなのに、
古代アナトリア高原に足を据えているのだ。奇跡以外に何と言えばいいであろう。
「もしかしたら、王宮に行けば憧れのカイル陛下に会えるかしらっ!」
 先ほどの不安はどこへやら。天子は王宮の見える方向へ走って行った。
 王宮のライオン門の前まで来た。服はユーリのものだが、中身は天子そのものである。
果たして王宮の中に入れてくれるであろうか?
 天子はそうっと城門に近づいた。
「見かけぬ奴! お前のような身分の低き女、王宮に入れると思うのか!」
 あっさりと警備兵に追い払われてしまった。
 やっぱり。ユーリはいつも平民服きてるからね……。
 トボトボと王宮を後にした。仕方なく人気のある市場の方面へ足を運んだ。
 果物、野菜、木の実、粗末な麻の服、縄文土器のような泥でできた坪。様々なものが
売り買いされていた。
「おねーさん! おいしいナツメヤシだよ。味見していかないかい?」
 まだ10歳くらいであろうか? 市場の男の子に声をかけられた。
「ナツメヤシ!」
 ユーリの好きなナツメとやらである。男の子から一粒のナツメをもらい口に
頬張った。
「あ、甘い。干し柿みたいね」
「一籠買ってよ、おねーさん!」
「ごめん、私お金持ってないのよ」
「なんだ!」
 ちぇっと言いながら男の子はそっぽを向いてしまった。
 天子はこの時代のお金など持っていない。ユーリからは何も
渡されなかったのだ。
「ちょっと待ってよ。一日入れ替わるって、このままじゃ私、食事ナシなのかしら?
それに行くないし寝る所もない……」
 人の行き交う通りに突然立ち止まった。一日くらい食べなくても、日頃蓄えている皮下脂肪を
燃焼して脂肪酸からグルコースを作ってエネルギーにすればいいから餓死することは
ないだろう。でも寝る所はない。ハゥトッサの今の季節は夏。凍死することもないから
野宿しかないのかしら……。
 少々、ユーリに騙されたような気もしないわけでもない。ユーリは家族に会いに行くのであって
食べるものも寝る場所も確保されている。それに私の洋服のポケットにはお財布が入っているはずだ。
昨日が給料日だったから、かなり温かみのある財布だ。
「ガーン」
 自分の心境を言葉にしてみた。
 市場を抜けて赤い河の見渡せる草原に来た。すると、相当な樹齢を持つであろう
大木の木陰に一人の男が立っていた。その男の服装はこの世界には似合わないものだった。
 燕尾服にシルクハットをかぶっていたのだ。現代でもこの格好をする人は
そうそういないであろう。仲間がいた! と思い天子はシルクハットの男に近づいていった。
「すみません。あなた現代の方ですか?」
 近づくとその男の肌の色は蜂蜜色をしていた。瞳は金とセピアのオッドアイ。
胸ポケットには真紅の薔薇が一輪刺さっている。
(あ、ラムセス)
 と心のなかで呟いた。
「おやおや、俺様は見えるなんて、アンタここの人間じゃないな?」
「はい、服装は古代人ですが、20世紀の人間です」
「ふーん。おれは夢先案内人。もちろんこの世界の人間でもないし、20世紀の人間でもない。
時空をさまよう流浪の民ってところかな?」
 金色の瞳の方をパチっと瞑り、天子にウインクした。
「うーん、よくわかんないけど、もしかしてあなたラムセスさん?」
「ラムセス? 違うね。さっき言ったばかりだろう。俺は夢先案内人。
ラムセスとやらじゃないね」
「そ……う。そっくりだけど」
 本人が違うと言うのだから違うのかもしれない。でも見た目はラムセスそのものだった。
古代エジプト人であるラムセスが燕尾服など着ているわけないから、違うと言われれば
それを信じるしかない。
「なんで20世紀のアンタがこんな大昔にいるんだい?」
「あのね」
 天子はユーリと一日だけ入れかわったことを説明した。
「それは大変だ! アンタ、そのユーリとやらが戻ってこなかったらどうするつもりだい?
この世界に一生いることになるんだぞ!」
「えっ、でも、ユーリはちゃんと戻ってくるって約束したわ」
「もしユーリとやらの気が変わったらどうするんだい? 久しぶりの現代だろう?
それに両親がやっとのことで帰ってきた娘を放すと思うかい?」
 天子は沈黙した。確かに燕尾服ラムセスもどきの言うとおりである。
ユーリの気が変わらないという保証はない。古代の生活は不安定だ。食物だって
現代ほどに豊富にあるわけでも、美味というわけではない。マックもコーラも
ポテトチップスもコアラのマーチもトッポもチョコレートパフェもない。
両親や姉妹がユーリをすんなりと返してくれるという保証もない。
「ユーリは戻ってくるよ! だって、イシュタルですもの! 皇帝陛下の寵姫ですもの!
陛下を捨てて現代に残るはずない! コミックス14巻で誓ったの読んだもの!」
 ラムセスもどきに必死になって言う。
「とにかく、そのユーリとやらの所在は確かめておいたほうがいいな。ユーリの
本名はなんだい?」
「ユーリ・イシュタル!」
 元気に答える。
「いや、こっちの名前じゃなくて、現代の名前だよ。姓名は?」
「姓名……?」
 なんだっけ? タナカユウリ? サトウユウリ? ヤマダユウリ? コバヤシユウリ????
1巻で漢字の名前が出てきたような……。
「わかんない!」
 ハッとして天子は答える。
「ええ! ユーリという名前だけで調べるのは大変だぞ! どうするんだっ!」
 ラムセスもどきは真剣になって天子に言う。
「どうするって……、どうしよう!」
 天子はオロオロ。もしかしたらこのままこの世界に残留ということに
なりかねないかもしれないのだ。
「とにかくユーリとやらについて調べるんだ。ユーリはヒッタイト皇帝の后なんだろう?
王宮に行ってみよう!」
 ラムセスもどきは王宮に向かおうとする。
「王宮に行っても、入れてくれないわ。警備兵がいるもの」
 天子はさっき断られたことを告げた。
「大丈夫だ。私は夢先案内人。私と一緒にいれば、この世界の人間からは姿は見えないんだよ」
 セピアのほうの目を瞑って、ウインクした。

***

 ラムセスもどきと一緒に行くとすんなり王宮の門をくぐれた。
警備兵をはじめ、この世界の人間にはラムセスもどきの姿は見えないらしい。
ラムセスにそっくりだが、彼はやはり夢先案内人。常人ではないらしい。
「大変だー。ユーリ様はいないー。脱走かぁ!」
 王宮の中は騒然としていた。ユーリがいないのは当たり前である。
現代に帰っているのだから。
「ユーリさまぁ〜。どちらにいらっしゃるんですぅ〜!」
 そう叫ぶ声の主は宮廷女官長のハディであった。後ろからリュイとシャラもいる。
 バタバタバタ。
 カッシュ、ルサファ、ミッタンナムワの三隊長も天子の前を通りすぎて行く。
「まだユーリは見つからないのか!」
 皇帝陛下の登場である。コミックスそのもののカイルが今、天子の目の前にいる。
「はい、どこにもいらっしゃいません」
 側近のキックリが言う。
「きゃあああああ!」
 天子は悲鳴を上げた。ラムセスもどきはビクっと驚いたが、古代の人間にが
この悲鳴も聞こえないようである。
「どうしたんだ?」
 シルクハットのラムセスもどきはオッドアイを見開いた。
「カ、カイルがいるー! きゃああああ! カッコイイ!」
 天子は本物のカイルを目の前にして瞳がハートマークであった。
「あー! カメラ持ってくればよかったぁ!」
 地団駄を踏む天子。もはや本当の目的を忘れていた。

 ユーリは古代と現代をまるっきり分けて考えてたためか、現代の本名や住所を
あらわすものなど、どこにも書き記されてはいなかった。日本語はもちろんのこと、楔形文字でも。
現代の名前など、ユーリにはもはや関係ないのかもしれない。
「手がかりはないな……」
 燕尾服のオッドアイの男は残念そうに呟く。
「大丈夫よ。ユーリは約束をやぶったりしない。カイルに対する想いは本物のはず!
戦いのないオリエントを築くって誓ったんだもの! 必ず戻ってくるよ!」
 天子は信じるしかなかった。もしここでユーリが現代に戻ったなんてことになったら、
全国の天河ファンが怒りまくるであろう。こんな結末は迎えて欲しくない。
 でも、ラムセスもどきの言うように、本当に戻ってこなかったとしたら……。
どうしよう! ユーリのように皇子様に拾われるなんて幸運があるわけないし、
美人でもスタイル抜群でもない。見栄えのしない平凡な女である。
(もしユーリが戻ってこなかったら……、こんなことなら現代で美容整形
しておけばよかった。そうすればラムセスの側室くらいにはなれたかも……)
 両手を頬にあて真剣に悩む天子であった。
 その夜、天子はアナトリア満天の星を見つめながら眠りに落ちた。
ユーリが戻ってくることを信じ、祈りながら……。

***

 アナトリアの熱い太陽が天子のまぶたを朝早くから焼きつけていた。
「まぶしぃ」
 目をパチパチしながら起きあがった。
 ユーリは今日、あのミラーハウスに来るだろうか? 現代の世界が気に入ってしまって
戻ってこないなんてこと……。いや、そんなことはない。
 天子はとりあえず顔でも洗おうと思った。
 確か近くに井戸があったはず……。
昨日の記憶を辿ろうとしたとき、あるひらめきが天子の思考回路をさえぎった。
「そうだ! アナトリアに来た記念に赤い河の水で顔を洗おう!」
 川辺まで行き。赤い河の水を両手ですくった。
アナトリアの赤い土が溶け出して赤い色をしていると言われる赤い河。
すくった水は透明であった。水そのものが赤く着色しているわけではないのだ。
天子の両手には澄んだ色の水が満ちていた。
『ザブッ!』
 何度か天子は顔に水をかけた。
「あーすっきりした! さてと!」
 天子ははりきって立ち上がると。
「行きますか!」
 いつのまにか天子の背後にいたオッドアイのラムセスもどきが、続きの台詞を言った。
「うん」
 夢先案内人と名乗るオッドアイの男と一緒にユーリが戻ってくるはずのミラーハウスに向かった。
 赤い河をよく見渡せる高原の上に現代とつながる昨日のミラーハウスはあった。
 ラムセスもどきと散々心配したことは、無駄な心配であった。ユーリは天子が来るよりも早く
ミラーハウスに来ていたのだ。ユーリだけでなく、彼女の両親と姉妹もきていた。
「変わってくれてありがとう」
 ユーリは天子に向かってにこやかに言った。
「ちょっとユーリ、誰と話しているの? 誰もいないじゃない」
 ユーリの母と思われる女性が娘に向かって疑問を投げかける。
「ママたちには見えないけど、目の前に私と変わってくれた人がいるのよ。
さあ、もう還らなくっちゃ! カイルが、みんなが待ってる」
 頬は笑っていたが、瞳は笑っていなかった。母に向かっての作り笑いだということが
嫌でも天子い伝わってきた。
「どうして? どうしてそんなワケもわからない古代に還らなくっちゃいけないの?
もう戻ってくることはできないんでしょう? せっかく還ってきたのに、どうして
また離れなければいけないの? 行かないで!」
 ユーリの母はきつくユーリに抱きつく。
「だめだよ。私と変わってくれた子が現代に戻れなくなる。それに私を待っている人はいるもの。
パパとママ、お姉ちゃんに詠美。もう一度会えただけでも嬉しいよ。
古代で幸せだから、本当に幸せだから、元気にやって行くから、お願い放して」
 ユーリの母が泣いていたのは言うまでもない。ユーリ本人も瞳から大粒の涙が零れ落ちていた。
「夢なら醒めなければいい。夢から醒めても夢がいい! 夕梨がいてくれうならっ!」
 子を想う母は激しく叫ぶ。
「時間がないわ! ちょっと天子さん。早く私の右手をつかんで! ほら、早くっ!」
 ユーリは母に抱きしめられたまま、なんとか右手を天子に向かって差し出す。
「ほら、何しているんだよ。早く手を差し伸べろ!」
 ラムセスもどきが天子の肩を叩いた。
「そ、そんな……」
 天子にはできなかった。あんなにも子を想う親の心を目の前にして手なんて出せない。
「ちょっと、天子さんどうしたの! 早く手を出して! あなたがもし古代に残るような
ことになったら、うちのママと同じ苦しみを味わう人がたくさん出るわ。そんなことできない!
それにカイルの元に……、ヒッタイト帝国タワナアンナとして国を治めなきゃいけないの!
それが私のハッピーエンドなんだから! 早くっ!」
 ユーリに瞳は真剣そのものだった。天河コミックスを思い返した。ユーリが
どんな気持ちで古代に残ると決めたか、どれだけヒッタイト帝国にとってユーリが
必然的な存在であるか。天子は決心を決め、ユーリに向かって右手を差し伸べた。
だが、母がきつくユーリを抱きしめ手は届かない。
「おい! 時間がないぞ!」
 ラムセスもどきは焦って言う。ユーリも天子も必死にお互いの手をつかもうとする。
だが、もうすこしのところで手がかすってしまう。
 するとユーリが突然、差し伸べていた手を引いた。
「ユーリ!?」
 天子もラムセスもどきも焦った。母の愛に押されてユーリが古代に帰ることを
やめたのかと思ったのだ。
 ユーリは引いた右手をそのまま母の背中にもってゆき、ギュッと母を抱きしめた。
 そして一言、
「ごめんね」
 そう呟いた。すると母は強く我が子を抱いていた力を緩めた。
 ユーリはすぐさま立ちあがり、天子の右手を取った。
 最後に天子はユーリの穏やかな黒い瞳を見た。
「ありがとう」
 その言葉と同時に暖かさが重なり合った手から全身を伝わり、強い光が放たれ天子は
眩しさのあまり目を瞑った。吹き飛ばされるかのような強い風が吹き、その風の中で
「出会った記念にこれやるよ!」
 ラムセスもどきの最後の言葉を聞いた。
 次に気づいた瞬間、天子はミラーハウスの玄関前にいた。
いや、ミラーハウスの前にいたというのは間違いかもしれない。ミラーハウスではなく
ただの古い空家だったのだ。
「あれ?」
 キョロキョロ辺りを見まわした。セーターにジーパン姿であった。
 ミラーハウスの玄関も窓も固く閉ざされてる。受付のおばあさんもいない。もちろん
ユーリもラムセスもどきの姿もない。残されたユーリの家族の姿さえなかった。
「どーしたのかしら私???????」
 頭の中に?マークが飽和状態であった。しばらく考えて天子は次の結論を出した。
「夢……かな!」
 ユーリと入れ替わって古代に行ったこと、実物カイルを見たこと、ラムセスもどきと
お話したこと。どう考えてもおかしい。このオチが一番しっくりくるオチだった。
夢だとしたら、なんとまあリアルな夢であろう。
 その夢? の中で最後にユーリとしっかり右手を握り合ったためであろうか?
いまだにギュッと右手に力が入っていた。右手を見ると……。
 薔薇の花を一輪握っていたのだ。
 自称夢先案内人、ラムセスもどきが燕尾服の胸ポケットに刺していた真紅の薔薇とそっくりである。
「お土産つきの夢なんて、なんてお得な夢なの……」
 天子は薔薇をじっと見つめニコリと笑った。
 
♪おわり


参考文献 夢から醒めた夢 赤川次郎作 角川文庫
 


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赤川次郎原作の小説をちょっとシリアス?なパロにしてみました。
実は今日、劇団四季の夢から醒めた夢のミュージカルを見てきたばかりなのです。
それに影響されて書いてみました。
この夢から醒めた夢は私の大好きな小説の一つです。何度も読み返しました。
イラストも多くて絵本風の小説なのでスラスラ読めます。
読んでいない方は是非ご一読を♪
子を持たない身で「我が子を思う母」など書いてしまって
厚かましいなぁとつくづく思います。いやぁ、どうもすみません。
なにせ、まだねねの精神年齢は子供ですから(^^ゞ