***人魚姫編***




 エジプトの都メンフィス、テーベ。いにしえの都の並ぶナイル川をずっと遡っていくと
地中海に辿り着く。アフリカ大陸とユーラシア大陸に囲まれるこの海は、
人々が生活するにあたって様々な恵みをもたらしている。古き日から、交易でも重要な役割を
果たしている海だ。
 そんな恵みの海には、人目を忍んで人魚が住んでいたのだ。
 人魚 ― にんぎょ ― ひとさかな。
 人と魚の合体した生き物である。人は肺呼吸。魚はエラ呼吸。果たしてこの人魚は
どちらの呼吸をするのだろうか? 気体の酸素を取りこむ哺乳類ならではの肺呼吸か?
水中の溶存酸素を取りこむ魚類か? さまざまな不思議があるとは思うが、
魚類も哺乳類も同じ脊椎動物であり、大きな分類は一緒だということで、細かいことは
気にしないで本編に進もう!(爆)
 2本の足の変わりに尾っぽを持つ人魚。この地中海に住む人魚はちょっと特殊で
蜂蜜色の肌をしていた。この頃の流行りで、女性は貝で胸を隠さずに、あらわにしているという。
 この人魚たちは人間に姿を見られてはいけない鉄則があった。文明が発展し、近頃では
船で移動する人間達も増えてきた。ホレムヘブ王をファラオとする人魚王国に、部外者が
進入しないよう、いつも人魚の国の海面入り口には見張りの兵がいた。
三交代制(夜勤あり)の八時間制の見張りである。
 今夜は見張り隊の隊長であるラムセスの夜勤の日であった。
 見張りといっても暇である。人間など、滅多に近づいてこない。静かに揺れる波の音を
聞きながら暗闇でボーとしているだけである。規則正しく揺れる波の音が子守り歌のように
聞こえ、左右色の違うオッドアイは除々にまぶたの中に隠れつつあった。
ここで居眠りをしてはファラオのホレムヘブに大目玉だ。
ラムセスは眠気冷ましに人泳ぎしてくることに決めた。
 ザッブーン!
 規則正しい波の音の間にラムセスが派出に泳ぐ音が混ざる。
蜂蜜色にひきしまった両腕で水をかきわけ、尾っぽを激しく振って塩水をバチャバチャ鳴らした。
「ふぅ〜、やっと目が覚めた」
 ラムセスは海と同じくらい広い空を見た。星が何か言葉を呟いているかのように瞬き、
月が太陽のように明るかった。ラムセスの頭上には、無数の星のきらめきと、
スポットライトのように自分を照らす月のあかりがあったのである。
 しばらく海と夜空を交互に見つめていると、オッドアイと同じ高さから光りが指しこんできた。
「人間だ!」
 人間の乗った客船がラムセスのほうに近づいてきたのである。
 姿を見られてはいけない。人魚の掟にしたがって、ラムセスは咄嗟に海に潜った。
 船がとおりすぎるまで、じっと潜っていようと思ったが、滅多に見ることのできない人間である。
オッドアイは好奇心に輝き、船にとって死角となるだろう場所から、人間達を観察しようと考えた。
 船の名前は「イシュタル号」。ヒッタイト帝国とかいてあった。
 人魚であるラムセスには何のことだか意味がわからない。
 船上では、女官がバタバタと忙しく働いていた。しばらく観察すると、
どうであろう! ラムセス好みの黒髪のかわいらしい少女がでてきたのだ。
黒い瞳に象げ色の肌。オッドアイはたちまちハートマークに変わってしまった。
 しばらくすると船はラムセスを残し去って行ってしまった。船はラムセスの瞳から
消えたが、先程の黒髪の少女は左右色の違う瞳から消えなかった。
 ラムセスはもう一度その少女に会いたくてたまらなかった。このまま一生、
ホレムヘブの下働きなんてまっぴらだ! 
自分の気に入った女を射止めて、いつかファラオになってやるという
野望があったのだ。この際、人魚をやめて、黒髪の少女を我が物にしてやろうと、
ラムセスは決心を固めた。それにはまず、2本の足がなくてはいけない。
尾っぽの代わりに2本の足を手に入れるのだ!
 人魚王国の越後屋、黒い水科学研究所。そこの所長のナキアに賄賂を積めば、
2本の足を手に入れることは可能であった。
 ラムセスは早速ナキアに2本の足に変えてくれるよう頼みに行った。
「変えてやってもいいが……、二つほど条件がある」
「条件ってなんだ?」
「一つめはお主の美声(?)を頂くこと。もう一つは必ず、黒髪の少女を妻とすることじゃ!
妻にできなかったら、お主は海の泡となるのじゃ!」
「よし! その条件のんだ!」
 ラムセスは声を失った変わりに2本の足を手に入れた。
 ラムセスが去ったあとのナキアと言えば……。
「フフフ。ラムセスがヒッタイト帝国皇帝の寵姫を我が物とすれば、皇帝は倒れるのは
必須のこと、そのスキに我がジュダを帝位にたたせてやるわい!」
「さすがはナキア様。すべて計算道理なんですね」
 ウルヒとナキアは視線をかわした。

 ラムセスは2本の足をもらってから、自分で黒髪の少女のことを調べた。
黒髪の少女はなんと、ヒッタイト皇帝の側室であった。名前はユーリ。
 ラムセスはがっくり……とくるどころか、人のものをとってやる! という、
横取り精神の元気が沸いてきた。
 とりあえず、ラムセスはヒッタイト王宮の庭の草むしり係りとして
ユーリと同じ館に侵入することができた。
 その後、声はでなかったが、悪知恵……じゃなかった。知力を駆使して、なんとか
皇帝側室警備兵にまでのぼりつめた。ラムセスはユーリの側のいることができて
大変うれしかった、うれしさのあまり、ユーリに不必要に近づいたり、おしりを触ったりして、
本人と皇帝の不孝を買って、王宮職員を首にされてしまった。
 王宮から追い出されてしまったラムセス。これでは到底ユーリを妻にすることなどできない。
「困った!」
 そう叫ぶと、海に住んでいるはずのナキア人魚が、空から側近ウルヒと共に降ってきた。
「お主、約束をやぶったな! 役立たずめ! 海の泡となってきえるのじゃ。
ウルヒやれ!」
「はい、ナキア様」
 ウルヒは持ってきたノートパソコンでカタカタとプログラミングを入れた。
「それっ!」
 ウルヒはラムセスをあわに変えるボタンを押した。
「やめてくれー」
 叫ぶラムセスの声もむなしく、ラムセスは人間の姿を失ってしまった。
 ―――が、しかし。
 よくみると、ラムセスのいた場所には真紅の薔薇が一輪のこっていた。
「なんじゃ、これは? ウルヒ!」
「あっ、間違えました。泡と打つところを薔薇と売ってしまいましたー!
すみませんー!」
「何でそんな間違いをするのじゃ! 泡と薔薇じゃ全く違うではないか!」
「いいえ、あわ(awa)とばら(bara)では、『あ』と『ば』同じア行。
『わ』と『ら』も同じア行です。それも、あわのaとばらのbは連続の文字ですし、
わのwとらrもアルファベット順ではとても近いです」
「いいわけするでない!」
 ナキアはジャイアンがのび太をいじめるようにポカポカとウルヒを殴っていた。

 その後―――
 真紅の薔薇には、黒髪の少女に恋した、ラムセスの心が宿っていると
世間に広まったのである。

♪おわり