検査で歴史!


1.アンネフランク〜発疹チフス
2.マリーアントワネット二人の王子〜結核
3.悲しい血沈 
4. 
5. 

管理人の隠れた学歴;
某通信制大学 史学科
中退
単位がなかなか取れずに放送大学に移りました。
いつか史学科卒業してみたいな♪(笑)



1.アンネ・フランク〜発疹チフス

 私の趣味の一つに読書があります。
 本の虫というほどではありませんが、好きな本や感動した本は時間を置いて読み返したります。
 中学生の時にはじめて読んで、その後も読み返す本に「アンネの日記」があります。
 世界的に有名な本なので、私が説明するまでもないかもしれませんが、
 第二次世界大戦時、ユダヤ系ドイツ人のアンネは、ナチスの迫害から逃れるため、一家で隠れ家生活を行います。
 アンネの一家以外のユダヤ人も合流し、合計8人の二年間の隠れ家生活を綴った日記です。
 一家は密告により逮捕、ナチスの強制収容所に移送されます。
 ナチスの強制収容所というとガス室が有名ですが、アンネはガス室送りで殺されたわけではなく、チフスが原因で亡くなりました。
『チフス』としか記載されていなかったので、数年前まで『腸チフス』だと私は思い込んでいました。
 腸チフスは、サルモネラの一種であるチフス菌 (Salmonella enterica serovar Typhi) の感染によって発症する伝染病です。
 でも違うんですね。アンネは腸チフスではなく、衛生環境の悪い収容所に蔓延した『発疹チフス』で亡くなったんです。
 発疹チフスはリケッチア(Rickettsia prowazekii)による急性熱性感染症であり、患者の血液を吸ったコロモジラミにより媒介されます。
 コロモジラミに刺された傷口から感染が起こり、発熱、頭痛,悪寒、手足の疼痛などで突発し、高熱、全身に発疹が広がり、
頭痛・精神錯乱などの脳症状が強いのも特徴です。
 アンネの日記を読んだ当時、ガス室送りではなく、収容所に蔓延する感染症で亡くなってしまったというだけで衝撃でした。
 臨床検査技師になり、たまたまアンネの日記を読み返す機会があって
腸チフスではなく発疹チフスで亡くなったということに気づきました。

 隠れ家が密告されアンネ一家は1944年8月4日に逮捕。
 その後、強制収容所を転々として、最期はベルゲン・ベルゼン強制収容所という恐ろしく不衛生な収容所で
発疹チフスに感染し、1945年2月の終わりから3月に15歳で亡くなっています。詳しい日付は記録に残っていないそうです。
 逮捕からたった半年で亡くなってしまったアンネ。
 アンネの日記の中で、イギリスのエリザベス女王(当時は王女)の婚約を喜んでいる日記があります。
 アンネの父は1980年、隠れ家生活を支援したミープ・ヒースという女性は2010年まで存命でした。
 もしかしたら同時代に生きていた人なのだと思うと、なんともやりきれない気持ちになります。

 発疹チフス リケッチア コロモジラミ

 日本では1957年以降の発症はありません。
 身近にある病ではないので、こんなふうに、ただ単語だけ暗記して
 テストや国家試験を乗り切って、終わりにしてしまいそうですよね。
 認定一般検査技師の試験にもコロモジラミの写真問題が出ていました。
 ここのページに辿り着いたからには、その疾患の時代背景も兼ねて、しっかり覚えましょう!

 発疹チフスはリケッチアによる感染症で、コロモジラミによって媒介。
 戦争、貧困、飢餓など社会的悪条件下で流行する疾患。

 アンネだけでなく、姉のマルゴーも同じ病で亡くなっています。
 少しだけ時代が、地域が違っていただけなのに、こんなにも苦しんだ人々がいるのだと思うと、本当に心が痛みます。
 日本での発症はありませんが、海外では局地的に流行している地域もあります。
 一つ一つの病には歴史があって、命を落とし苦しんできた人がいる。
 そういう目線、または考え方で勉強すると、興味もわいてくるし、忘れることもない。
 丸暗記の勉強ではなく、知識を無理なく増やしていけるのではないかと思います。

 と、いうわけでこのコーナーは検査で歴史!
 疾患の歴史を通して臨床検査をはじめ、病気のことを理解するページを目指します。
 今のところ5疾患分考えています。
 

【参考文献】

増補新訂版 アンネの日記 (文春文庫)

アンネの日記って中高生の読書って感じがしますけど、
年齢なんて関係ありません。
是非一度、読んでみてください。


これも読んでみて!
アンネの童話 (文春文庫)

隠れ家で潜伏生活中に書いたアンネの童話です。



思い出のアンネ・フランク (文春文庫)

もっと詳しく知りたい人向けです。


寄生虫関連の本はこちら。


コロモジラミの写真も載っています。


2.マリーアントワネット二人の王子〜結核

 私の脳内知識をグラフで表すとしたら……

       漫画(50%)         小説(25%)   その他(25%)

 こんな感じになりますかね(笑)。
 文字が読めるようになったと同時に漫画を読んでいたので
歴史をはじめ、知識はほとんど漫画から覚えました。
好きな漫画があったら、その関連の本を読んでみたり、大人になってからは聖地巡礼してみたりと……
ただのオタクですがが、本人はかなり人生楽しんでいます!(^-^)
 今回のマリーアントワネットの二人の王子の話も、もちろん漫画からの知識です。
 何の漫画かというと、それはもう

 ベルばら
(ベルサイユのばら)

しかないでしょう!



 有名な作品ですが、初めて読んだのは臨床検査技師の専門学校のとき。
 マリーアントワネットは4人の子を産んでいます。
 第一王女マリー・テレーズ、第一王子ルイ・ジョセフ、第二王子ルイ・シャルル、第二王女がいますが、
第二王女は1歳になる前に亡くなってしまいます。
 第一王子であるルイ・ジョセフも生まれつき身体が弱く、8歳で病のためこの世を去ります。
 病名は「脊椎カリエス」。
 脊椎カリエスとは、肺からの結核菌が血行性に脊椎に運ばれて発症する結核性脊椎炎です。
(血行性ではない例も一部あるそうです)
 病気が進行すると椎体内に乾酪壊死(チーズが腐ったような壊死巣)がおこり、
さらに病気が進行すると椎体が潰れて背骨が変形してしまうそうです。
 マリーアントワネットが「ルイ・ジョセフの背骨はボコボコに変形していてもう長くない」
と涙ながらに言っているシーンがあります。ちょうどのその時、結核の授業があったので
(ルイ・ジョセフの病気だ!)と思って真剣に聞いていたのを覚えています。
 血行性に結核菌が脊椎に運ばれるということは、
 当時、髄液検査なんてありませんが、もしルイ・ジョセフの髄液を検査したら、
結核性髄膜炎の所見を示しますよね。

 外観は水様透明(日光微塵)
 細胞数は髄膜炎なので細胞数は増加します(細菌性髄膜炎ほどではない)。
 最初は多核球優位ですが、1〜7日にかけてリンパ球優位になります。
 髄液中の蛋白は中等度増加は結核菌が消費してしまうため低下します。
 結核性髄膜炎に特徴的なのが、髄液中のクロールが低下します。


 偉そうに言っているけど、もちろん教科書からの知識です。
 参考;臨床検査総論 (標準臨床検査学)
 私自身は7年、一般検査に従事していましたが、結核性髄膜炎の髄液は経験したことありません。
 私がわからなかっただけかもしれないけど、結核拠点病院ではなかったからだと思います。
 髄液検査だけでなく、PCRや培養、頭部のMRIと合わせて診断します。

 話はフランス革命時代に戻りまして、
 脊椎カリエスで一国の王子が亡くなったのに、ルイ・ジョセフのお葬式を出すお金が国家にはありませんでした。
仕方なく、国王は王宮にある銀製品を売ってお葬式を出します。
 ベルばらの漫画の中で、この時のマリーアントワネットの「お金がない!」っていう一コマが大変印象的です。
 私の脳内知識の半分は漫画なため、ベルばらではマリーアントワネットが処刑されて
そのちょっと先しか描かれていないので、ここで知識は止まっていました。
 このページを書くにあたり、マリーアントワネットについての本を何冊か読んだのですが、
なんと、第二王子のルイ・シャルルも結核にかかっていたということを知りました。
 第二王子のルイ・シャルルは父であるルイ16世が処刑された後、タンプル塔に幽閉されます。
 非人間的な扱いを受けて、10歳で病死してしまいます。
 解剖が行われ、結核結節が多数あったという記録があります。
 マリーアントワネットの二人の王子は結核にかかっていたんですね。
 古代エジプトのミイラや中国前漢時代のミイラから結核にかかったと思われる結節が
発見されていることから、

ずーーーーーっと昔から現在まで

なくならない病気なんですね。
培養とか疫学とか調べて書き始めると、この後読んでくれないくらい長くなってしまいそうなので、
最後に一つ、これを覚えましょう。

結核は空気感染(または飛沫感染)する代表的な疾患です。

空気感染する細菌、ウイルスは(今のところ)3つしかありません。


結核、麻疹、水痘


ついでに覚えておいてください。


このページを読んで、
ちょっとマリーアントワネットに、その王子たちい興味がわいてきたという方には
この本がオススメです。
フランス革命の歴史とか分からなくても面白く読めると思います。

マリー・アントワネットと悲運の王子

色々な本が出てるけど、下記の本が王道です↓

マリー・アントワネット 上 (角川文庫)

マリー・アントワネット 下 (角川文庫)

   



3.悲しい血沈

 図書館で検査を築いた人びとという本を読みました。
 臨床に関わる検査法がどのような経緯で生まれて実用化しに至ったのか書いてあります。
 一人につき見開き一ページの簡単な伝記として100名分まとまっています。
 元は医学書院の「検査と技術」に連載されていた作品で、
臨床検査に関する項目は三分の二くらいです。放射線や心臓カテーテルの検査についても書いてあります。
 この中でも私にとって一番印象に残ったのが、
 
 赤血球沈降速度(赤沈または血沈)について

 赤沈は1894年ポーランドのエドムント・ビールナキィによって考案されました。
 血液を採取する量、抗凝血剤について、検査時間や器具、検査結果について詳細な検討がされています。
 これよりも前に、1786年にイギリスのジョン・ハンター、
1820年にオランダのファン・デル・コルクもある病気や妊娠で血液の分離の速度が速いことを記しています。
 エドムント・ビールナキィは、赤沈が将来診断に広く活用される検査になると違いないと信じて論文を発表しましたが、
そのときは誰も価値を認めませんでした。
 1911年45才でこの世を去ります。
 それから10年後の1921年にスウェーデンのロビン・フォレウスが赤沈の意義を確認し、
アルフ・べステルゲンによって臨床的実用化されます。
 血球が落ちる速度を見るという単純な検査ですが、
100年以上たった現代でも、まだまだ臨床で活躍している検査ですよね。
 採取した検体は抗凝固剤の割合から赤沈にしか使えないし、
今は炎症反応のCRPもあるので、消滅する検査なのでは……? 
なんて噂もされますが、まだまだやっている施設が多いと思います。
 生きている間は認められなかった赤沈の検査法。
 フランダースの犬の主人公ネロが、絵の才能を認められなかったアニメのエンディングとかぶります〜。
なんだか泣けてきます〜( ノД`)シクシク… 
 まあ、こういう話よくある話かもしれませんが、実際、毎日手にしている赤沈にそんな過去があると思うと、
ちょっと明日から赤沈見る目が変わりません? 
 哀愁に浸りながら検査してしまいそうです。

 赤沈検査法の考案者、ポーランドのエドムント・ビールナキィ。

 このページを読んだ記念に頭の片隅に入れておきましょ (^-^)♪



検査を築いた人びと
この本、実は絶版なんですよ〜。
面白い本なのに購入できないなんて悲しいですね……。


 この他にも、視力検査表も発明で、あの表が出るまで、
目が見えないという漠然としたとらえ方で、近視・遠視・老眼などの区別がなかった。
 グラム染色の創案者、クリスティアン・グラムはかなり控えめな人柄だったようで、
85才で亡くなった時、世間では「えっ? その人生きてたの? 同時代の人だったの?」
と驚かれたそうです。うーん、グラム染色も意外性たっぷりですね。
 図書館とかで見かけたら、是非読んでみてください♪



【BACK】 【HOME】